士学位論文要旨

 

タイトル: 『文学空間』の成立と解体 
1940年代から50年代に至るブランショの活動についての省察
––「死」の空間から「生」の場所へ ––
論文提出者: 平手 伸昭

 


始めに


本論は、モーリス・ブランショ(1907-2003)の1940年代から1950年代における批評活動に焦点を当て、論の対象としている。より具体的に は、1955年出版の『文学空間』におけるブランショの「文学」概念を検討し、彼の特異な概念を構成している要件を示すと同時に、その構成要件が自らの 「文学」概念を破壊する性質を持つことを提示する。それによって、60年代以降のブランショの立場が開かれてくることを、ブランショの記述に従いつつ跡づ けることが本論での目標である。


問題の背景


ブランショは、ジャーナリストとしてその職歴を始め、その後、作家として、あるいは、批評家として活動することでその高名を確立していく。1930年代 後半から40年代にかけての彼は、小説を書く傍らで、様々な雑誌や新聞の文芸欄を担当し、ジャーナリストとしての旺盛な活動を続けている。それらの時評を まとめる形で、1943年に出版されたものが『踏み外し』という彼の第一批評集である。そこでは、どれも10頁ほどの論考が、四つの章に配分されて展開さ れる。サルトルの『蝿』やカミュの『異邦人』など、同時代の小説、戯曲に目配せをしつつも、その一方ではラシーヌの『フェードル』や17世紀の詩人たちが 論じられている。その分野は多岐に渡り、端的に言えば、古典期以降の文芸が様々な形で論じられている、とすることができる。だがそれは、一冊の本としてま とめられていはいるものの、各論考の間には明示的な繋がりが存在しておらず、ひとつの思想を全体として構成するといった体裁をとっていない。つまり、新 聞・雑誌に掲載された各時評は、本として出版する際にもほとんど加筆修正されておらず、アンソロジーの域を多分に出ていない。これが40年代のブランショ の批評スタイルであった。それは、1949年の第二批評集、『火の分け前』においても同様である。
1955年、ブランショは第三批評集である『文学空間』を出版する。この時期のブランショは、ジャーナリストとして(特に日刊紙の新聞記者として)の活 動から遠ざかりつつある。その反映と言えるであろう、『文学空間』においては大きな変化が見て取れるのである。確かに、幾つかの批評がそのままの形で組み 入れられてはいるが、それは、もはや散逸な並列状態に堕していない。この本のタイトルがすでに示すように、ブランショは文学の営みを「生」における特異な 活動と捉え、それをメタレヴェルで思考しようとする。『文学空間』にはその方向性が明示的に表現されており、各論考は、全体の論点を示す具体的な分析とし て利用されるようになる。あるいは、『N.N.R.F.』といった雑誌に掲載された比較的長めの論考は、文学に対する省察の方向性自体を形成するものと なっている。むろん、メタ次元の方向性は、突然の閃きとしてこの時期に現れたものではなく、40年代の各分析を踏まえたものである。あるいは、文学に対す る40年代前半までのより実践的な関係が、自らの拠って立つ場をブランショに思考させ、それがこの『文学空間』において時熟したものとして提示されてい る、と言うこともできよう。いずれにせよ、この批評集は、批評家ブランショにとっての到達地点であると一般に見なされている。
続く批評集である1959年の『来るべき書物』は、作家の各論に割かれる頁が『文学空間』よりやや多いものの、『文学空間』と同じ方向性、同じ体裁を持つ批評集と考えることができるであろう。
だが、その後の彼の活動には、大きな変化が現れる。つまり、1966年の『無限の対話』という評論集以降、ブランショは大きくその姿を変えてしまう。そ の方向性を端的に述べるならば、彼の批評は、「〔文芸〕批評」という言葉が上手く当てはまらないようなものに変化していく、とすることができるであろう。 50年代までのそれとは、内容も論述のスタイルも大きく変わってしまう。
確かに、ブランショが好む一部の作家や詩人たちは、60年代以降も折に触れ考察の対象とされている。だが、一般に言うところの文学的事象が論ぜられる機 会は激減する。これは、時事批評を担当するジャーナリストの立場を捨て去ったことに対する帰結とも取れるが、むしろ、文学的な事象に対する関心が薄れて いった結果が、ブランショをそうした立場から遠ざけたと、ここでの我々は、因果関係を逆にしてこの事態を捉えることにしたい。
文学一般についての言及が減少するその一方で、論じられる機会が増大するものがある。それは、言葉に対する省察であり、思考についての思考であり、他者 との関係である。あるいは、論考で扱われる人々にも変化が現われる。例えば『無限の対話』では、ニーチェやヴィトゲンシュタインといった哲学者や、あるい は、シモーヌ・ヴェイユやロベール・アンテルムといった人々が登場し、言葉や神学的問題、あるいは、ユダヤ人問題や「強制収容所」などについての省察が語 られている。これを単純にまとめれば、文学活動に限らない「生」の次元が語られるようになる、と言えるのではないだろうか。
一方、論述のスタイルに現れる変化は、一層劇的なものである。その重要な二つの側面は、すでに『無限の対話』に見て取ることができる。そのひとつが、 『無限の対話』の冒頭が端的に示している対話の形式、あるいは、対話の闖入である。「一方l’Un」と「他方l’Autre」という語で示される二人の人 (?)の対話が文中で突然開始される。いわゆる「地の文」での語彙を引き受けるような形でその対話は突然始められ、突然中断される。なるほど、それは時 に、論の展開に寄与しているようにも思われる。だが、多くの場合、展開されていた議論を論理的な止揚へ導くものとはなっておらず、一方が言った言葉を他方 が繰り返す、声の反復にすぎないものである。そして結局、その二つの声のいずれかが主となることもなく、さらには、地の文までがこの二つの声に壊乱される ことにより、自らを統一された全体であると主張できなくなってしまう。これがひとつの変化である。
もうひとつの変化は類比的なものであるが、断章化あるいは断片化である。時に、地の文が、前後との脈絡も把握し難い断片と化す。これは恐らくは、地の文 までがひとつの声のようなものになるのだ、と考えることを我々に許すものであろう。そして、この断片化の傾向は、『友愛』(1971)から『彼方への一歩 へ』(1973)や『災厄のエクリチュール』(1980)へと続く彼の評論集にあって、ますます顕著なものとなっていくのである。
いずれにせよ、対話に擬せられるこうした論述の仕方は、50年代までのそれとは大きく異なっているのであり、この劇的な変化が起きるという事実を、我々の論考は問題としている。


本論の目標と方法論


したがって我々は、断章形式によって指し示されている「声」の反復へと転進していくブランショの歩みを視野に入れつつ、この劇的な変化の地点を思考する ことを目標として掲げる。もちろん、そのためには、60年代以降の評論の射程をより論証的に確認する必要があると思われるが、それは後の課題に留めおき、 ここではブランショが辿った変化を「文学」から「生」の次元への変化、あるいは、コミュニケーションの次元への回帰といった意味に捉え、考察を進めること にする。付言すれば、こうしたコミュニケーションの次元の回復が、最終的には他者との連帯をもたらすものであるという見通しを我々は持っている(ブラン ショは1983年には『明かしえぬ共同体』を書き、共同体について論じている)。
だが、次のような事実を指摘しておく必要があるだろう。それは、こうした明らかな変化が見て取れるにもかかわらず、この変化の原因について、論証的に研究されたことがない、という事実である。
その理由のひとつは、ブランショという作家(批評家)が、私的な生活を極力人前に曝さずにきた人だからであろう。「顔」のない作家と言われるブランショ は、自分の写真すら公開しておらず、我々は、彼の友人であるエマニュエル・レヴィナスが明らかにした数枚の写真から、かろうじてその容姿を知りうるに留 まっている。このような秘匿性の内にあるブランショの行動の理由を推察することは難しい。
論述の対象や、その際に使われる語彙や概念の類似から、ジャック・デリダやエマニュエル・レヴィナスといった人々との交流が、彼の60年代以降の立場を 準備したのであろうと想定することができるのであるが、秘匿性の内にあるブランショにおいては、それを裏づける「証言」を見つけることが困難である。むろ ん、彼らの名前をブランショのテキスト中に直接見い出すこともできる。だが、それも、「註」にその名前が付される程度の控え目な言及に留まっており、「証 拠」としての説得性をもつものではないように思われてしまう。結局、ブランショにおいては、自らの思索を平易に解説する機会も、自らの行動の理由を語る機 会も(管見の及ぶ限りでは)存在しなかった。こうした事実は、伝記的レヴェルからその影響関係を提示することが難しいことを示している。
確かに最近では、ブランショの幾つかの手紙も公開され、あるいは、クリストフ・ビダンの労作『モーリス・ブランショ、不可視のパートナー』(1998) といった伝記に依拠した論考も登場しつつあり、その私生活が徐々に明らかにされてきている。さらには2003年2月の彼の死去に伴って、今まで非公開で あった様々な資料を目にする機会も今後増えるであろう。だが、現段階にあっては、それでも、具体的なドキュメントが絶対的に欠如しており、そうした資料が 不可欠となるであろうような読解、つまりは、ブランショが実際に生きた経験のレヴェルにその変化の原因を見い出そうとする試みは、非常に困難なものになる と思われる。
そこで、我々は、そうした他の思想家との影響関係によりこの変化を説明するという立場を取らない。ここでの我々の目標は、ブランショの記述に留まりなが ら、その中に、後の変化を準備するものが萌芽している点を指摘することとなる。それは、『文学空間』によって到達したと目される地点を解体する試みであ り、より具体的には「文学」というものに付与されている特別な意味合いを剥奪する試みとなろう。ただし、ブランショの「文学空間」を否定することを目標に するとは言え、それは、彼の記述の中に、他の〔思想家の〕思想や論点を牽強付会に読み込もうとするものではない。例えば、精神分析という格子を押しつけつ つブランショを読み解こうという作業ではない。あくまでも、ブランショの記述の中に、あるいは、ブランショが示す論理展開の内に、その崩壊をもたらしたも のを読み解こうとする試みである。つまりは、ブランショの営為を自己破壊的な営為として捉えようとするものである。このような見解の下に60年代に至るま での彼の批評家としての歩みを考察する。
したがって、本論の射程は、40-50年代のブランショ、それも批評家としてのブランショに限定される。60年代以降の彼の思索は、本論においては、『文学空間』とのかかわりにおいて補足的な役割を占めるにすぎないことになろう。


本論要旨


一章.ブランショの文学を支える言語:本質的なものへの運動


この章での目標は、まず第一に、ブランショにとっての「文学」が非常に特権的なものであることを明示することである。さらには、その特権が付与される 「文学」がどのようなものであるのか、あるいは「文学」が特権的なものであるためには、どんな要件が必要であるのかを考察することが課題となる。結果的に それは、「文学」を支える基盤としての言語に対する省察となるはずである。
そこで、この特権性を示すという目標から、メタ次元での省察が十分に展開されている50年代のブランショから論を始めることにする。
50年代の論考から抽出できる要件は、「文学」の特権が、ある特定の語彙と結びつく形で提示されていることである。それは、例えば『来るべき書物』の最 初の論考である「想像的なものとの出会い」においてなら、レシと呼ばれる語である。このレシは「物語」とでも訳すことができる語であり、その論考では、ロ マン(小説)という語と対比され使用されている。つまり、「文学」とは言え、そのすべてに特権的な価値があるのではなく、レシと呼ばれるものだけが特別で あることになる。
「文学」を二つの語彙で区分するというやり方は、すでに40年代の論考において登場している。その場合の二項対立は、ロマンとポエジー、つまり散文と韻 文である。これは、ブランショの「文学」に見い出せる特権的な価値が、特定のジャンルの特権であるのかを、検討すべき課題として我々に提示するものとな る。この問題設定に鑑み、40年代のブランショの批評的実践を検討することが、引き続いての手順になる。
だが、こうしたアプローチにおいて明らかになるのは、ある種の語彙が「文学」の特権性と深く結びついている(ここでは、ポエム)が、それは一般的なジャ ンルの問題としては抽出できないということである。なぜなら、散文にも韻文にも同様に「ポエム」が存在すると語られていることを我々は見い出すからであ る。その時、我々にとっての検討課題となってくるものは、言葉自体の様態である。ジャンルに与しない以上、言葉の使用法に、つまり語り方に特権を招来する 根拠があることにはならない。それ故、我々は、言葉自体に内在する問題としてそれを考察しなければならないであろう。
そこで、一章では引き続き、ブランショの言語観について考察を行う。ブランショに影響を与えた一人の詩人(ステファヌ・マラルメ)を特に取り上げること により、マラルメが語る「生の言葉」と「本質的な言葉」の区別に、ブランショの「文学」の特権が依拠していることが示されるであろう。つまり、「本質的な 言葉」によって構成されていることが「文学」の特権の基盤となっている。では、その「本質的な言葉」とは何であるのか。それは意味作用を逃れた言葉であ る。それは、« c’est »(「それは?です」)で示されるような言葉であり、意味作用を逃れることで物に近づく言葉である。この時、言葉の役割は物を再現することではなくなって いる。自身が物に近づくことで、〔日常的意味における〕対象を不在にすると言われている。こうした言葉によって構成される「文学」は、世界を再現するもの ではなく、新たなひとつの世界を構成するものとなるであろう。特に、それが対象の不在を引き起こすという意味で、「死」に類した、日常的世界からの脱落と いう形で想定されることになる。この「死」との類似は、次の二章にてさらに確認をする。
だが同時に、一章のこの検討は新たな問題を引き起こす。それは、「生の言葉」と「本質的な言葉」という言い方によって別たれた言葉の二つの様態が提示さ れた時、その区別の根拠が問われなければならない、という問題である。というのも、「生の言葉」と呼ばれる日常言語も、「本質的な言葉」と呼ばれる「文 学」の言語(詩的言語)も、それぞれ違ったもので構成されているのではないとされるからである。これは同じひとつの言語の二つの側面にすぎない。それで は、いかなる瞬間に、いかなる要件を満たすことによって、「生の言葉」が「本質的な言葉」に変質するのかが考察されねばならないだろう。これに対し、40 年代前半のブランショは、「フィクションの言葉」という論考において、言葉が虚構の中に置かれることによって変質が起こる、という答えを述べている。だ が、これはトートロジックな循環論にすぎない。一方、『文学空間』における50年代のブランショは、この問題に対する考察を更に深めたように思われる。こ の区別が成立する瞬間が特権発生の瞬間であることから、我々は二章において、この「文学」の言語が成立する瞬間を、つまりは「文学」の「始まり」を探求す ることになる。


二章.時空を壊乱する力としての文学:時間論からのアプローチ


この章での我々の目標は、先の章で確認された「始まり」の問題が『文学空間』の中でどのように描写され、どのように解決されているのかを検討することに ある。こうした検討をすることによって、『文学空間』の特異性が照射されるであろうと考えている。この検討の結果描き出されるものは、「文学空間」がいわ ゆる「生」の時空に属していないことである。つまり「生」と対立する「死」の空間としてそれを定義することができるであろう。それ故、「生」の次元を壊乱 する力を持つものとして、この空間を思考できることが示されていく。
議論の手順としては、ヘーゲルが語った「作家の才能」にかんする矛盾(書くためには才能が必要だが、才能は書いた後にしか提示されない)から議論を始め る。40年代のブランショは、このヘーゲルを引用するのだが、この矛盾が「フィクションの言葉」における矛盾と同じものであることを、まず最初に確認す る。それは一方が他方を前提としているが、その他方は先の一方を前提としているという循環論として提示されるだろう。これに対してブランショは、「直ちに 行動すること」によってこの循環を断ち切るという解決法を、同じヘーゲルに依拠しつつ述べている。我々は、このブランショの見解を支えるものとして、主体 の権能に対する一種の信頼のようなものを見い出すのであり、そして、「死」に対するブランショの考察を検討することで、その信頼が、「死」へ向かう人間の 能力によって裏打ちされていることを確認することになる(人は自殺することによって、死までを自分の支配の下に置くことができると考える)。ここで、「文 学」は「死」と重ね合わされるようになり、「無」から「全て」を一挙の転換によって到来させる場として考えられるようになる。
だが、『文学空間』においては、「文学」の空間が「死」のそれとして、より一層の論理的厳密さを以て思考されるようになる。そしてその結果として、「始 まり」の問題が回帰してしまう。つまり、「文学」を書く主体と、「死」の両立不可能性が焦眉の的として示されることになるのである。それにより、「死」が 一挙の転換をもたらす地点として想定されながらも、作家は、「私」という主体のままでは、その地点へ赴けないことになってしまう。
我々は、ブランショが、作家の受動的な側面を強調することによって、この難問を乗り越えようとしたことを、以下に提示していく。そして、この検討によっ て明らかにされることは、「本質的なもの」の開示となり、一挙の転換を到来させる「死」が主体に対して先行するという、「個」に対する「本質」の先行性で ある。
すると、以降、この二章で検討する「始まり」の問題とは、一人の主体としての作家がすでに「本質的なもの」に捉えられてある、という様態を抽出してみせ る作業となる。作家にとって「本質的な言葉」は、すでに前もって与えられており、同様に我々は、すでに捉えられているという形で「死」と関係を持ってい る。つまり「始まり」の問題を通して明かされるものは、存在の根本的な受動性であると言えよう。
だが、個別的な存在である主体が「本質的」なものを語るためには、「個」から「本質」へという逆転されたアプローチが必要となるであろう。この逆転した 関係について、ブランショは、「再-開始」が「開始」に先立つと表現しており、二章は、引き続きこの記述を整合的に解釈しようとする試みとして展開される ことになる。


三章.壊乱された主体:「私」から「全ての人」へ


続く三章は、主体の変質として、「文学」を巡るブランショの思考を繙こうとするものである。「死」に類するものとして「文学」の特権的場を想定したブラ ンショにあって、主体という存在とその特権的空間の両立不可能性は、「始まり」の問題として検討された困難を彼に与えるものであった。ブランショはこの問 題に対し、一方で、主体の変質としてその特権的空間へのアプローチを語ろうとするのである。
だが、「始まり」の問題に対する彼のアプローチを違った角度から検討し直すことだけが、ここでの我々の目論見ではない。「文学空間」に接近する作家は、 特権的な場とかかわることができるが故に特権的存在と考えられている。だが実は、この特権的存在に訪れる変質は、特権性の確立を目指すものとして出発しな がらも、逆にそれを破壊する方向に働くのではないか、というのが我々の見解である。具体的な検討としては、『文学空間』での受動性の思考の深化と共に、特 権的な存在である作家が、一般的な「人」へと開かれていく変化を見い出すことがこの章での課題となる。
言語観と共にマラルメから受け取った「非人称」という概念を用いて、ブランショは作家の変質を語る。例えばカフカが作家になったのは、「私はJe」では なく、非人称の代名詞でもある「彼はIl」を使うことによってであることを語る。なるほど、このこと自体は、特権性を紡ぎ出すもののようにすら見える(超 越的存在)。だがブランショは、主体を否定するこの形象を、一般的な人を指す「人はOn」という語によっても指示するのである(「私が死ぬのではなく、人 が死ぬのだ」)。こうした表現においては、特権的な存在となるために主体性を放棄するという意味を越えて、その成立自体が拒絶されているのではないか、と 考えられるのである。個を越えた本質への運動が、個を越えた「全ての人」を到来させることになる。この「全ての人」の次元に、ブランショが語りだす、他者 との共同体の可能性が萌芽することになろう。
むろん、50年代のブランショは、文学者として批評家として、自らが想定したその特権性に固執しているようにも思われる。ブランショは「文学」の特権性 を語り続けているのではないか。だが、例えば、批評家としてのブランショが、各作家の個別性を越えて、「文学」という営みの特権性を語れば語るほど、個を 越えた他者との連帯の次元が現れるのではないだろうか。


四章.活動するブランショ:批評家として/読者を迎え入れつつ


そこで、自らの特権性を裏切る営為として、四章において我々は、批評家としての彼の活動を具体的に検証する。それと共に、他なる者との連帯の形象として 「読者」の問題を提示していくことになる。つまり、この章は、「文学」の営みにかかわる人々の特権性を破壊する試みとして展開される。


五章.文学と世界:詩人が我々に開くもの


本論の最終章である五章は、ブランショのヘルダーリン論を取り上げ、特権的な形象としての「詩人」の像を破壊することを試みる。それと同時に、芸術の問 題を「存在論」という哲学的なアプローチとして読み解く可能性を示唆することで、「文学」へ与えられた特権を解体することを目指すことになる。つまり、芸 術を哲学の証明とみなす伝統があることを示し、その系譜に繋がる哲学者とブランショが結びつくことを示すことになる。ここでそうした哲学者として想定され ているのは、ハイデガーという哲学者である。つまり、ヘルダーリンについての論考を検討するというアプローチは、この詩人を語るハイデガーとの連帯を確認 する目論見を持つものである。
そもそも、「文学空間」が「死」のそれとして想定されたこと自体がこの哲学者の影響によるところが大きい。そしてこの「死」の空間へと向き合うことを通 して「存在」という「生」の本質が発露するという方向性は、まさにこの哲学者のものであると言えるであろう。つまり、こうした検討によって、ブランショの 『文学空間』は、ハイデガーに寄り添った形で展開されていることが理解されることになる。
だが、その一方で、『文学空間』で述べられるブランショのハイデガーに対するコメントには、距離を置き相手を批判しようとする態度が見て取れるのもまた 事実である。幾人かの批評家は、ブランショ自身が語った否定から、両者の相違を論の主題として展開している。だが、ここでの我々の立場は、ブランショが述 べる否定的なコメントの照準はハイデガーの思想自体にあるのではないというものである。だが、だからといって彼の反ユダヤ主義という政治的なコンテクスト を導き出すものでもない。その否定の照準は、この論考で展開する「全ての人」の形象とかかわっているのではないだろうか。つまり、死への先駆的決意によっ て自己の本来性へと目覚めることを述べるハイデガーにあっては、決意する人を特権的な人として区別する。ブランショの側からのハイデガーに対する否定的な 言及は、この「区別する」という行為に原因があるのではないだろうか。選り分けが、民族の問題へと展開される性質のものであるからではない。それが「全て の人」への制限として機能してしまうことが、否定の対象となる原因ではないだろうか。こうして、ハイデガーとの乖離は、逆に、「存在」という本質的なもの を「全ての人」の問題として展開することを可能にしていると、我々には思われるのである。


終わりに


三章以降の検討により、我々は、「文学」を構成する特権的な人々の形象 –– 作家/批評家/読者/詩人 –– が特権性を剥奪され、「全ての人」が到来することを確認したことになる。こうした検討によって、我々は、「死」の空間と語られる「文学空間」の果てに、 「全ての人」の「生」の場所があることが確認できた、と言えることになるであろう。それは否定の果てにある肯定であり、友愛であり、人々の連帯の希望が見 い出せる地点である。ブランショの言葉と向き合うことで我々は、そうした希望を我々自身のものとして持つことができるようになるのではないだろうか。