教授

杉本 欣久




【履歴】

 1973年、京都市生まれ。

 1998年3月 早稲田大学大学院文学研究科芸術学(美術史学)専攻修士課程 修了

 2001年4月 財団法人黒川古文化研究所 研究員

 2009年3月 早稲田大学大学院文学研究科 博士(文学)の学位授与  博士論文「江戸時代後期における「文人画」と作画精神」

 2018年4月 東北大学大学院文学研究科(東洋・日本美術史講座) 准教授

 2024年4月 東北大学大学院文学研究科(東洋・日本美術史講座) 教授


【研究テーマと研究内容】

(1)身分・階級と絵画表現

 「なぜ武士であるにもかかわらず、画を描いたのか?」これが私自身における最大の関心事といってよい。これまで、この素朴な疑問に基づき、江戸時代に「南画」あるいは「文人画」と称された絵画の制作背景を、浦上玉号、関口雪翁、田能村竹田、渡辺崋山などの研究を通じて解き明かしてきた。  中国明清絵画の影響を受け、江戸中期以降に隆盛した「山水画」や「四君子」などの絵画を「南宗画」「文人画」と呼び、それを描いた画家を「南画家」「文人画家」と称した。彼らの多くは職業画家でなく、武士や漢学者として幕府や諸藩に仕える身でありながら、余技として作画を楽しんだ者たちであった。一見、「画人」と「武士」は背反するようにもみえるが、どのような考えを有しつつ中国の思想や文芸観を享受し、なぜわざわざ中国絵画に倣って描いたのか、その共感と理解に関する精神的背景を今後も考察し続けていく。

(2)地域と絵画表現

 京都で生まれ育ったあと、東京の早稲田大学で学んだ私は、江戸時代の絵画史を専門として研究を続けている。早稲田大学の美術史も東北大学と同様、2年次から各専修に別れるが、その際に美術史を選んだ理由は、生まれ育った京都と進学した東京の間における文化性の違いに衝撃をうけ、改めて自身のアイデンティティを見つめ直す意味があってのことであった。その後、江戸で活躍した画家にも対象を広げ、京都と江戸間に存在する文化性の違いを意識しながら論考を発表してきた。そこで明らかになったのは、京都や江戸で活動した画家であっても、出身は東北や越後、四国や九州の者が少なからずあったという事実である。若かりし日に地方から京都や江戸へ出て修養し、その後は地元へ戻り、習得した技術を生かしつつ人生を送ったのである。その遊学期間中、彼らは画を学ぶのみにとどまらず、そこに集った文化人たちと交流を持ち、地元にはない最先端の教養をも習得した。けれども、彼らがみな同じ色に染まり、地元に戻っても京都や江戸で流行する絵画と同様の作品を描き続けたわけではなかった。地方で生まれ育った環境のなかで独自の感性や嗜好を獲得し、京都や江戸で学ぶ過程においてもそれに応じて取捨選択が働いたのに加え、戻った地元にあってはそのニーズにあわせ、習得した画風を変容させることもあったからである。  このたび東北大学へ赴任したこともあり、江戸時代に活躍した東北の画家たちにおいても、出身地域や身分階層によって育まれた感性や嗜好などのアイデンティティが、いったいどのようなかたちで作画活動に反映しているのか?という問題に意識を置きつつ、研究を行う予定である。

(3)作品資料の真贋とその弁別法

 「観察」によって作品から「情報」を読み取ることは、ものを扱う美術史や考古学に携わる者であれば、常に研鑽して向上させなければならない能力である。実際に手に取り、あるいは数十センチの近距離で見ることができる環境、展覧会場におけるガラス越し、図版によった方法など程度の差こそあれ、さまざまな「観察」が想定される。ただ、いかに「観察」してどのような「情報」を読み取ればよいかということに関しては、寡聞にして教育課程で修得したという人をほとんど知らず、むしろ教育の必要性はあまり考えられていないものと思われる。それは個々人の「感性」に任せてなされるべき問題であり、美術鑑賞に理屈を持ち込むのはナンセンスであるといった意見もあろう。けれども、自身の「感性」に対して他者の理解を期待しすぎたり、感覚的、情緒的な用語が多用されると意味内容が曖昧になりやすく、面倒なことではあるが、認識や観念を言語によって共有する研究の世界ではより分析的で具体的な説明が必要となる。  特に「真」「贋」の評価に関しては、常に美術研究の根幹に横たわる、避けて通れない問題である。けれども、所蔵者との関係や金銭的問題、さらに狭い世界ゆえの人間関係的配慮などによってタブー視され、それが純粋に真理を追究する研究上の大きな障害となってしまっている。ただ、タブーをタブーのまま放っておいたのでは学問の発展は望むべくもなく、むしろ衰亡の坂をゆるやかに下り落ちるしかなかろう。研究者である以上は資料性評価(鑑定)の問題に真摯な態度で臨む必要があるが、種々の業種や利害が絡み合う美術の世界にあっては、偽物の指弾がいたずらに悪感情をあおることになり、どんなに正鵠を得た論議であってもそれが阻害されてしまう恐れがある。このように研究という大義があったとしても、「真」「贋」の評価には社会的理由による困難がともない、さらにそれが研究上の閉塞状況を産み出すといった悪循環に陥らせてしまっている。「鑑定」そのものは、何か学術的な次元と異にするように思われており、学問としての成立はほとんど放棄されているに等しいが、ある一定のルールを前提とし、科学性や合理性を備えた共通認識が育まれれば、議論を通じて高次へ発展させていくことは可能と考える。


【編著書】

 『研究図録シリーズ1 円山応挙の門人たち』(公益財団法人黒川古文化研究所 平成26年10月)

 『研究図録シリーズ3 武士が描いた絵画』(公益財団法人黒川古文化研究所 平成28年10月)

 『研究図録シリーズ4 慈雲尊者ーいつくしみの書』(公益財団法人黒川古文化研究所 平成30年1月)


【近年の業績】

 「江戸中期の漢詩文にみる画人関係資料ー事項一覧編ー」(『古文化研究』第9号 財団法人黒川古文化研究所 平成22年3月)

 「日本近世絵画の観察と資料性評価(真偽判別・鑑定)の理論ー「鑑定学」の構築にむけてー」(『古文化研究』第10号 財団法人黒川古文化研究所 平成23年3月)

 「江戸後期の「展観録」と「款録」にみる中国書画」(『古文化研究』第12号 財団法人黒川古文化研究所 平成25年3月)

「八代将軍・徳川吉宗の時代における中国絵画受容と徂徠学派の絵画観ー徳川吉宗・荻生徂徠・本多忠統・服部南郭にみる文化潮流ー」(『古文化研究』第13号 公益財団法人黒川古文化研究所 平成26年3月)

「増上寺の学僧・忍海の作画と復古思想ー江戸中期の徂徠学派にみる文化潮流ー」(『古文化研究』第14号 公益財団法人黒川古文化研究所 平成27年3月)

「江戸時代における古美術コレクションの一様相ー古鏡の収集と出土情報の伝達ー」(『古文化研究』第15号 公益財団法人黒川古文化研究所 平成28年3月)

「妙法院門跡・真仁法親王と円山応挙の門人たちー円山応瑞・呉春・中村則苗・長沢芦雪・源gー」(『古文化研究』第16号 公益財団法人黒川古文化研究所 平成29年3月)


【リンク】


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東北大学 東洋・日本美術史研究室 > 研究室名簿歴代教官 2024年04月09日 更新