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日本思想史 佐藤弘夫教授(Sato Hiroo)

1953年宮城県生まれ。東北大学文学研究科博士前期課程修了。神仏習合、霊場、日蓮、国家と宗教、死生観等をキーワードに、中世を中心とする日本の思想史を研究。 残された文献の厳密な読解による実証的研究を軸にしながら、石塔や遺跡などのフィールドワークの方法も取り入れた上、想像力を駆使して大きな精神史のストーリーを 組み立てることを目指す。また、それぞれの時代に生きた人々の精神世界を、そうしたストーリーに位置づけてリアルに解明し、今日の有り様と比較することによって、 現代の思想状況を歴史的な視点から読み解こうとしている。その研究成果に関しては、「学問は一人相撲ではない」との立場から、出版社の協力を得て可能なかぎり 著作の形で公にすることを目指してきた。2008年3月の「死者のゆくえ」に続いて、6月には「立正安国論」を出版する予定である。

「死の認識」は、「死生観」は、いつ生まれたのか?

 私たちは、私たちの前にあたりまえのように流通している言説に対して、「それは本当なのか」「いつから、どのようにして、そういわれるようになったのか」 といった根本的な疑問を感じることが、しばしばあるのではないでしょうか。たとえば人間は、いつ、どのようにして認識力をもつようになったのでしょうか。 たとえば日本語を、日本人は、いつ、どのようにして持つようになったのでしょうか。そもそも日本人とは、どのようにして日本人になったのでしょうか。 そして、たとえば死。人はいつ、どのようにして、死と生との違いを認識するようになったのでしょうか。

 2008年3月、岩田書院という出版社から刊行された『死者のゆくえ』は、そのような大きな疑問に答えてくれる一冊でしょう。 日本人は「死」とどのように向き合い、「死者」をどのように遇してきたのか。 現代の私たちが、定期的に墓参するような死者との交流の風習は、この列島上で普遍的に営まれてきたものなのか。 たとえば「死後他界に行く」という仏教の教理は、仏教流入以前に保持されていた観念とどのように習合し、受容されてきたのか。

 そのようなテーマをもつ『死者のゆくえ』は、東北大学文学研究科日本思想史研究室・佐藤弘夫教授の最新刊。 A5判サイズで本文227ページ、引用・参考文献、使用テキスト一覧が19ページにも及ぶものです。

 序章には、「死をめぐる思想と文化」の小見出しがつけられた次のような一説があります。


 人は必ず死ななければならない存在である。例外はない。

 死はだれも経験したことのない出来事であるはずだが、みずからの存在がこの世界から完全に消えうせてしまうことへの恐怖は、 それを経験しない者でも十分に想像することが可能である。死は、人がこの世界で孜々として築き上げてきた人間関係と 地位・名誉・財産すべてを、瞬時にして消滅させる。人は現世で獲得したもの一切を失って、だれに伴われることもなく、 ただ一人未知の暗き世界に足を踏み入れなければならないのである。

 墓地や路傍で朽ち果てていく死体は、厭うべき死のイメージをいっそうリアルなものにし、 その恐怖をますますかきたてることになった。死こそはまさしく、人間のもっとも根源的な不安の要因にほかならなかったのである。

 それゆえ、これまで無数の人々が、あらゆる方法を用いて不老長寿を願った。 また古今東西の多くの思想家や哲学者が死の問題を正面から取り上げ、それをめぐる思索を重ねてきた。 仏教では人間の背負う根本的懊悩=四苦の一つに死をあげている。世界中の宗教を見渡しても、死を語らないものはほとんどないといってよい。 また世界各地の民族社会で、死はしばしば芸術や文化を生み出すモチーフとなってきた。

 死が個人や民族・国家を超えた普遍的な現象であるゆえに、それは近代の学問において、比較文化・比較思想の好個の素材となった。 宗教学や文化人類学をはじめ、民俗学・哲学・文学・美術史学・歴史学などの諸分野で、死ないしは死生観・霊魂観をテーマとした研究が推進され、 膨大な成果が蓄積されることになったのである。


そして、「生者と交流する死者」の小見出しのつけられた次のような一説が続きます。


 私はこの本において、そうした既往の研究の伝統と成果を踏まえながら、 改めて日本列島において死がどのように取り扱われてきたかを考えてみたいと思っている。 その際、著名な思想家を取り上げてその人物の死生観を再構成したり、死を論じた各時代を代表する著作を羅列したりするといった方法はとらない。 本書が目指すものは、特定の知識人の死生観ではない。それぞれの時代の人々が共有していた、死に関わる観念の解明である。

 この列島に住む大方の人間が、死をいかなるものとして捉えていたのか、死者をどのような存在とみていたのか、 それが時代とともにいかに変化していったのかという問題を、世界観のレベルで総体として明らかにしていくことである。 体系化された頂点思想としての死生観は、そうした時代思想のなかに位置づけて、はじめてその意義を理解することが可能になると考えられる。

※詳細は東北大学大学院文学研究科・文学部ブックレット「考えるということ」Vol.3の『文学部の研究紹介』をご参照ください