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柳原敏明教授

歴史科学 柳原敏昭教授(Yanagihara Toshiaki)

1961年新潟県生まれ。1984年東北大学文学部卒・1990年文学研究科博士後期課程中退。鹿児島大学講師・助教授を経て、1997年東北大学へ。
著書に『中世日本の周縁と東アジア』(2011年2月)、共編著に『鎌倉・室町時代の奥州』(2002年)、 『展望日本歴史9 中世社会の成立』(2001年)、論文に「中世前期南薩摩の湊・川・道」(『中世のみちと物流』所収)、 「西の境界領域と万之瀬川」(『境界の日本史』所収)、「寺塔已下注文の新解釈をめぐって」(『平泉・衣川と京・福原』所収)、 「中世日本の北と南」(日本史講座4『中世社会の構造』所収)、解説に「奥羽史料調査部−地域史研究の先駆−」 (『ものがたり東北大学の至宝』所収)、共同執筆「東北大学史料館所蔵『大島正隆文書』目録」など。

3・11当日、そして3・11以後

 2011年2月、東北大学文学研究料日本史専攻分野の柳原敏昭教授は、中世地域史研究の成果として 『中世日本の周縁と東アジア』を刊行しました。この本を軸に教授の研究を紹介していきますが、 その前に3月11日のことに触れないわけにはいかないでしょう。

 当日、柳原教授は沖縄県久米島で「上洲家(うえすけ)文書」という古文書の共同研究に参加していました。 最近の古文書研究では、記された内容や様式だけでなく、用いられた紙の組成や製法にまで関心が向けられています。 柳原教授は顕微鏡などの調査器具を携え、古文書の紙質調査を行っていたのです。

 東北地方太平洋沖地震(軛東日本大震災軣)が発生したのは、 柳原教授らがまさに久米島空港で帰りの飛行機に乗り込もうかという時でした。もちろん仙台空港は閉鎖され、 東北新幹線も不通となりました。そのため、仙台に戻ることができたのは1週間後のこと。研究室は、書棚そのものは倒れなかったものの、 書籍や器物で埋もれている状態でした。

 地震と津波は、人々から生命と生活・財産を奪いとりました。それとともに忘れてはならないのは、 数多くの文化財や古文書などの歴史資料(史料)が失われ、被災したということです。柳原教授は、 宮城歴史資料保全ネットワーク(略称迯宮城資料ネット。理事長迯平川新東北大学東北アジア研究センター教授)の一員です。 この組織は、2003年の宮域県北部地震にさいして宮城県在住の歴史研究者を中心に結成され、災害時の史料救出や、 日常的な史料所在調査にあたってきました。今回も震災直後から活動を開始しています。なぜ、このようなことを行うのでしょうか。

 もちろん史料が歴史研究の素材であるということがあげられます。しかし、それだけではありません。 今回の震災においても被災された方々が、津波で流された自宅周辺で写真やアルバム、 手紙・日記等をさがしている様子がしばしば目撃されました。それらが家族や個人の大切な記憶であり、 生きていくよすがとなるものだからです。同じように地域の史料は、人々が様々な営みを行ってきたことの証であり、 それを残すことは過去と現在・未来をつないでいくことになります。

 柳原教授は日々、史料が失われていくという現実を前にして、少しでもそれを未来に残すことが必要と考え、 今、宮城資料ネットの史料救出活動に参加しています。加えて、歴史上の地震・津波と、 それらへの人々の対応があらためて注目され、知人の中世史研究者が存在を指摘した津波史料が 若狭湾の原子力発電所の帰趨にかかわるほどの影響を与えたこと(『朝日新聞』2011年5月27日Web版)などを目の当たりにして、 歴史学の社会的責任について考えをめぐらしています。

※詳細は東北大学大学院文学研究科・文学部ブックレット「考えるということ」Vol.6の『文学部の研究紹介』をご参照ください