2010年度日本思想史研究会月例会報告要旨(予告)


開催日報告者題目
2月19日 森田明彦氏 「人権の日本的基層哲学の可能性
―「義理と人情」は人権哲学となり得るか?」
2月12、13日 修論卒論発表会
12月11日 三浦達尋氏 「近世における轆轤首の語られ方」
11月6日 葛睿氏 「明治初期における「国民」言説に関する一考察
――西村茂樹を中心に」
10月2日 小泉礼子氏 「平安文人貴族の仏教観
〜源為憲『三宝絵』を中心に〜」
7月17日 岩根卓史氏 「近世儒家言語論と国学言語論における〈音義〉分析の位相
―皆川淇園・富士谷成章・富士谷御杖―」
6月26日 島田雄一郎氏 「福沢諭吉における「理」と「情」
―その道徳観の一考察―」
佐藤伸郎氏 「日蓮のたどりゆく境地について:
法華経の行者ではなく、発言者として」
5月22日 松山和裕氏 「北畠親房の皇統観
―『神皇正統記』における「代」と「世」―」
油座圭祐氏 「柳田国男のサンカ思想」
4月24日 小嶋翔氏「与謝野晶子の国民意識」

2月特別例会

森田明彦氏

チャールズ・テイラーも指摘するように、人権規範には実定法上の法言語としての側面とその正当化根拠である基層哲学の側面がある。西洋社会で誕生した人権規範が非西洋社会に定着するには、それぞれの国・地域で広く承認された道徳秩序構想が人権規範の正当化根拠として受け入れられる必要がある。本報告では、日本社会における人権の基層哲学としての「義理と人情」の可能性を検討する。(尚絅学院大学)

2月例会

2月12日(土)修士論文発表会

時間 発表者 題目
10:00-11:00 松山和裕氏 「『神皇正統記』の思想」
11:00-12:00 佐藤伸郎氏 「日蓮の思想について」
(休憩1時間)
13:00-14:00 島田雄一郎氏 「福澤諭吉の道徳論」
14:00-15:00 小嶋翔氏 「明治期与謝野晶子における自己認識の形成と変容」
(休憩15分)
15:15-16:15 油座圭祐氏 「柳田学における「信仰」の変遷」

2月13日(日)卒業論文発表会

時間 発表者 題目
10:00-10:30 小松敬太氏 「出羽三山の思想」
10:30-11:00 瀧塚真之氏 「「天鼓」の研究
―音が鳴る意味、鳴らない意味―」
11:00-11:30 高橋一氏 「藤田省三の思想」
11:30-12:00 細田雄大氏 「新渡戸稲造の女子教育思想」
(休憩1時間)
13:00-13:30 木原倫子氏 「海幸山幸論」
13:30-14:00 石山智恵氏 「平安時代の女性の身分意識について」
14:00-14:30 菅沼都萌氏 「『今昔物語集』における「霊」と「鬼」」
14:30-15:00 佐藤淳氏 「後鳥羽院御霊の信仰についての研究」
(休憩15分)
15:15-15:45 軽部友理恵氏 「『雨月物語』における上田秋成の思想」
15:45-16:15 小柴綾佳氏 「「法世物語」にみる安藤昌益の思想」

12月例会

三浦達尋氏「近世における轆轤首の語られ方」

近世期に登場した化物のひとつに轆轤首がある。近世の物語文化において轆轤首がどのように語られたのかを仮名草子や随筆、草双紙や読本などを例に説明する。轆轤首は、元は漢籍などにある異民族の記述であったが、以前からあった本邦の物語文化と融合してその性格と形状を獲得し、様々な形式でもって語られるうちポピュラリティを獲得していった。はじめは仮名草子の百物語などでは仏教的な解釈で語られていたが、医書において奇病として扱われたりするなど、ある程度のリアリティを保持していたと思われる。近世における人々の博物的な興味の流行がそこには影響している。そのリアリティのためか、巷間にはある個人が轆轤首であるという噂が流れることもあった。轆轤首であると周囲から 看做されることによって轆轤首が誕生したのである。その一方で、轆轤首は草双紙などの絵入の物語で化物という人間とは対になる生物の一種として描かれていた。民俗的な説明装置として現実に機能する轆轤首と、フィクションにおけるキャラクターとしての轆轤首、この両者が相互に影響し合うことで近世の物語空間における轆轤首のポピュラリティを盛り上げていったのではないかと考える。(東北大学大学院)

11月例会

葛睿氏「明治初期における「国民」言説に関する一考察――西村茂樹を中心に」

明治維新は日本の国民国家の形成において画期的な変革であることは言うまでもない。しかし、「日本にはただ政府ありて未だ国民あらず」(『学問のすすめ』)と福沢諭吉が言ったように、明治20年ごろに至っても、多くの知識人たちは「国家」にいる「国民」が依然として単なる「国家所属員」に過ぎず、真の意味の「国民」ではないと認識していた。そのため、彼らは真の「国民」を形成するべく様々な試みを行っていた。本発表は「国民道徳」を主唱した西村茂樹における「国民」言説を中心に考察することによって、当時の「国民」形成の一側面を明らかにする。(東北大学大学院)

10月例会(博論構想発表会)

小泉礼子氏「平安文人貴族の仏教観〜源為憲『三宝絵』を中心に〜」

平安時代中期(10世紀〜11世紀初め)という時代の、日本における仏教(および浄土信仰)がどのようなものであったか。発表者はこの点を明らかにするべく、これまで研究を行ってきた。このような研究関心に基づき、本発表ではとくに当時の平安文人貴族源為憲に焦点をしぼり、著作『三宝絵』における記述内容等から、彼の仏教理解について抽出・検討することで、そこから見えてくる仏教的世界観についての考察を述べたいと考える。(東北大学大学院)

7月例会

岩根卓史氏「近世儒家言語論と国学言語論における〈音義〉分析の位相―皆川淇園・富士谷成章・富士谷御杖―」

富士谷御杖は、『経緯畧辧』で次のように述べている。「わか伯父皆川愿、韻学に長す。又密宗の僧、悉曇に長したるにもしは/\とひけれと、漢土・天竺、音におきてはたかふ事あるましけれと、風土のしからしむる所にや、用ふる所ことにして、和音に叶はす。されは所詮、和韻は別に草創するにしかすと」(『新編富士谷御杖全集』第七巻、p721)。 本報告における問題設定は、「されは所詮、和韻は別に草創するにしかす」という、皆川淇園の「回想」から出発する。皆川淇園の「開物学」は、もちろん難解なものである。さらに、従来の研究史が指摘するように、皆川淇園の言語論が、富士谷成章と富士谷御杖の〈歌学〉に多大な影響を与えたことを示唆しているが、ほとんどは言及にとどめているだけである。 このような近世日本の言語思想を、より相互における〈動的な関係性〉から考察し、儒家言語論と国学言語論の〈共時的空間性〉を組み込みことで、従来の研究の臨界点を突破する糸口として、皆川淇園・富士谷成章・富士谷御杖における〈音義〉分析の位相を検討していきたい。(立命館大学大学院)

6月例会(修論構想発表)

島田雄一郎氏「福沢諭吉における「理」と「情」―その道徳観の一考察―」

福沢諭吉(1834‐1901)は、日本の「文明」の進歩、とりわけ無形の「智徳」の進歩を終生希求した。その思索は、未来の「文明」を見据えながら、それと距離感のある現実をまずは認識し、「今」の日本において何が求められているかを考える形で展開された。福沢は日本の現状認識を折に触れて語ったが、そのひとつに、当時の日本を「情実社会」、または「人情の世」と捉える言説がある。その社会において人々を律するものとして要請されるのが「道徳」である。

発表者は、福沢諭吉の道徳観、宗教観を考察することを目的にしている。本発表では、まずその端緒として、福沢における「情」と、その対概念として主張される「理」について考察することを企図している。(東北大学大学院)

佐藤伸郎氏「日蓮のたどりゆく境地について:法華経の行者ではなく、発言者として」

これまで日蓮について、論文・伝記など実に多くのものが発表されている。それらの大半が、日蓮の教義内容、日蓮の宗教的人格、日蓮の真蹟、または日蓮を現代的視点(マルクス主義・民主主義など)から分析し、そのうえで日蓮の教義を現代的に解釈しなおそうとするもの、などがある。簡単にいえば、<法華経の行者>としての視点から分析するものが大半を占めているといって、過言ではない。発表者の今回の意図はそのような視点から日蓮を捉えない。日本社会において、ある状況が間違っていると判断したものが、日蓮においては仏教であったのだが、その自らの判断に対し命を賭けて公言し、自らの主張を貫徹しようとする個人がいかなる迫害を受け、その迫害を通して、いかに思索し、いかなる人生をたどり、どのような境地に至ったのかを分析することにある。そのような視点の描出の仕方に意義があると、発表者は考えるからである。その理由を以下の3点にまとめる。

  1. 「これはおかしい」と公然と発表する際、予想される圧力に抗する勇気は、今日の日本社会においてさえ、際立つことがあっても古びることはない、と考えるからである。
  2. @のおけるような発言者は必ずしも孤立無援になるのではない。多くはないが、豊かで濃密な人間関係を持ちえたのである。迫害者日蓮に向けられた、他者たちの我が身を省みない献身と、それに対する日蓮の絶え間ない感謝こそに、実は救いがあるのでは、と考えるからである。
  3. @Aを通し、<発言者>日蓮がいかに自らの思索を重ね、いったいいかなる境地に到達したのか。それが、今なお語りかける力を持ちうると考えるからである。

以上のような理由において、<発言者>としての日蓮を追う。(東北大学大学院)

5月例会(修論構想発表)

松山和裕氏「北畠親房の皇統観―『神皇正統記』における「代」と「世」―」

北畠親房(1293−1354)の主著『神皇正統記』においては、「第九十五代、第四十九世、後醍醐天皇」のように、各天皇条の冒頭で、歴代の「代」数と共に「世」数が記される点に大きな特色がある。この「世」とは「直系を示す」と、これまで半ば当然のように理解されてきた。発表者は他の史料における「代」「世」の用法を比較しながら、『正統記』における「世」の問題を改めて問い直すことで、そこに込められた親房の皇統観を探っていきたい。(東北大学大学院)

油座圭祐氏「柳田国男のサンカ思想」

柳田国男(1875−1962)は明治末から大正にかけて漂泊民や被差別部落に対して多大な関心を払っていた。そこでは木地屋や巫女、毛坊主等の様々なタームが登場してきているが、その一つの「サンカ」に焦点を当てるのが本発表の目的である。従来、漂泊民や被差別部落問題の一部として扱われることの多かった柳田のサンカ思想に関して当時のサンカ観、そして柳田の山人思想の視点から論じたい。(東北大学大学院)

参考文献:

4月例会(修論構想発表)

小嶋翔氏「与謝野晶子の国民意識」

明治期の浪漫主義歌人である与謝野晶子(1878〜1943)は、大正期以降、積極的な社会評論を行い、平塚らいてう等とともに代表的な女性知識人と目されるようになった。社会評論家としての晶子は、二次大戦下における時局迎合的な発言から、結局は近代国家に回収されていった人物として批判的に論じられることが多い。しかしその一方で、らいてう等と争った所謂「母性保護論争」では、国家に依存しない独立的・主体的な個人を追求していたと論じられるなど、晶子における個人と国家の関係はまだ十分に整理されていない。そうした問題を踏まえ、本発表では、明治以降の国民国家形成に関する議論等を参照しつつ、明治後半から大正初期にかけての晶子における国民意識の内実とその変容過程を明らかにしたい。(東北大学大学院)


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