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『日本語学』2018年5月特大号 (特集世界の標準語と日本の共通語), pp.158-169. 掲載

国際語エスペラント ―言語共同体の特性から―

後藤 斉

1 はじめに

エスペラントは、異なる民族に属する人々の間の相互理解を目的として、1887年にザメンホフが提唱したことから成立した言語である。発表時は「国際語」という名称であったが、ザメンホフが使用したペンネームから、一般に「エスペラント」と呼ばれるようになった。

ある言語が特定の人物の提案から発している事情は確かに特徴的なものである。そのためにエスペラントは一般にはもっぱら「ザメンホフが創った人工語」という側面から捉えられる。また、外部の人に向けられた普及活動という側面も目を引くことがある。この際にエスペラントの実際を知らない人が独り合点や誤解に基づいてエスペラントを論じることがしばしば見受けられる。

ところでエスペラントの発表の時点ではその言語を使うことのできる人はザメンホフ本人のみであって、他にはいなかったから、当然のことながら言語共同体は存在していない。エスペラントは紙の上の存在にすぎなかった。

しかし、次第にこの言語を学ぶことに賛同する人が現れだし、実際に使用されることでエスペラントによるテキストが生みだされるようになった。さらに音声言語として使われてディスコースも発生した。言語活動が十分に活発になって一定規模に達した時に、エスペラントの言語共同体が成立したと言うことができる。

エスペラントの言語共同体には際立った特徴がある。なじみのある多くの言語の場合、特定の地域(ないし国)における民族集団などにその基盤があり、個々の子どもにおける母語の獲得という形で言語が世代を越えて伝承されて、言語共同体が維持される。それに対して、エスペラントの共同体には国や民族、地域という背景がない。その成員の大部分は、ある程度長じてから自らの意思によりこの言語の使用者となることを選択し、第二言語以降として学習して習得した人である。

つまり、エスペラントの言語共同体を成立させているのは、エスペラントを意識的に選択して学習し、母語を異にする人との間でのコミュニケーションに使用するという、共通の意思と行動である。エスペラントの使用者(エスペランティスト)は国や民族の境を越えて世界に散在しており、この共通の意思と行動によってゆるやかに結ばれている。

このような形で言語共同体が成立したこと、まして、それが提唱者の死(1917)ののち100年以上にわたって存続していることは、類例のない社会現象である。エスペラントの著しい特徴はむしろここにあると言うべきである。しかし、正にこの特異的な性質のために、エスペラントという言語は、この共同体に参加していない人には認識されにくい。

2 言語共同体の成立

エスペラントの歴史が始まったのは、ザメンホフがエスペラント博士の筆名で『国際語』(1887)[別サイト]をワルシャワで自費出版した時である。ロシア語書きの40ページの小冊子で、15コペイカの値段で3000部発行された。引き続き、ポーランド語、フランス語、ドイツ語、英語の各言語版が刊行された。

ザメンホフは、当時ロシア帝国領だったポーランドのビャウィストク生まれのユダヤ人だった。少年期から言語の違いに由来する民族間の不和に心をいため、国際共通語への憧れを抱いていた。彼はエスペラントを公表するまでに、学生時代からかなり長い期間、個人的に試行錯誤を繰り返していた。

よく誤解されているようだが、提唱者のザメンホフが言語のしくみの全体にわたって細かく規定したわけではない。『国際語』の大部分は読者に対して平易で中立的な国際語の必要性を訴えた文章であり、エスペラントの言語の概要の紹介が含まれてはいたが、まとまって言語を提示している部分は、アルファベットと文法の骨格が6ページ弱、若干の例文集が4ページ強のほかロシア語対訳の語根一覧(約900語根)に過ぎない。

例文には手紙の例や「主の祈り」と聖書の一節のほか、ハイネの詩の訳とザメンホフのオリジナルの詩が含まれていた点に注意しよう。文学作品の翻訳や創作にも耐える言語が当初から想定されていたのである。

この提案には当初ロシア領内で、さらにドイツやスウェーデンなどの近隣国で賛同者が現れた。翌1888年にはエスペラントで書かれた続編を刊行することになり、同年にはさらにザメンホフ以外の筆になる最初の著作がグラボフスキによるプーシキン『吹雪』の翻訳として現れた。グラボフスキはこのころ最初のエスペラントの会話をザメンホフとの間で交わしたとも伝えられている。

1889年には最初の定期刊行物“La esperantisto”がドイツのニュルンベルクで創刊された。1895年までの約6年間に総ページ約800を数え、ザメンホフ以外にも多数の人が寄稿した。内容はエスペラントの普及に関わる議論や情報交換が多いが、文学作品の翻訳も目立ち、創作も少しずつ現れる。もっとも、このころはエスペラントの表現の慣用が固まっておらず、現在からみれば文学的価値もそれほど高くないとされる。

雑誌の編集や購読手続きなど、発行に関わる実務作業にもエスペラントが使われた。また、早くも第2号(1889年11月)にニュルンベルクの切手商による広告が載っている。パズルやチェスの問題が掲載されることもあった。つまり、事務作業やビジネス、趣味のために実用するという動きもかなり早い時期から見られたのである。平行して、運用されて年月のまだ浅い国際郵便を使って、個人間の文通も進んだ。このようにして、言語の違いを越えたコミュニケーションの実践が本格的に始まった。

20世紀に入る前後には、フランスを筆頭にヨーロッパ諸国で支持者と言語使用者が広がった。各地で団体が組織されるようになり、さまざまな定期刊行物や書籍の出版も増えていき、テキストの量は拡大し、幅も広がっていく。しかし、エスペランティスト同士が実際に会う機会は地域での会合が主で、国際的な出会いは多くはなかったから、文字言語としての使用が主だった。

機運が熟して、1905年にフランスのブローニュ・シュル・メールで第1回世界エスペラント大会が開かれることになった。前年にフランスとイギリスの間で試験的に開かれた会合を拡大したものである。20ヶ国から集まった688人の参加者の多くにとって、この大会は会話や演説、演劇などにおいてエスペラントが音声言語としても十全に使えることを実体験する初めての機会になった。エスペラントが提案の域を脱して言語共同体が確立された日時を確定するのは不可能であるが、目安としてはこのころを想定することが妥当であろう。

現実世界には国境が存在し、国境を越えた結びつきはなにがしかの制約を受けるものである。それぞれの国内でも、社会的な活動を抑制するような動きが起きることも珍しくない。エスペラントに懐疑的あるいは敵対的な人は常に存在する。エスペランティスト自身も天使ではなく人間であるから、時として不和や対立が生じることは異とするに足りない。このような条件の中で、成員の自由意思を基盤とする国際語エスペラントの言語共同体は成立し、成長していくことになった。

3 言語共同体の展開

第1回世界エスペラント大会では、ザメンホフの起草の下に「ブローニュ宣言」が採択されたが、これはその後のエスペラントの言語面と運動面とを規定することになった。言語面では、別に公刊された『エスペラントの基礎』(1905)によって、少数の文法規則(主に形態論の規定および代名詞、数詞などの機能語の提示)と約1800の語根(形態素)および若干の例文集を言語の骨格部分として変更できないと規定した。「変更できない」とは分かりにくいが、これは一部の人の恣意により改造されることを防ぐという目的があった。一方で、それ以上の言語の発展は実際の言語使用にゆだねることとしたのである。これにより言語の自然な発展の可能性を保障するという意味があった。

「ブローニュ宣言」は、運動面においては、エスペランティストを「どのような目的に使うかにかかわらず、エスペラントを知り、使う人」と定義し、エスペラント主義(定訳に従ってこう訳しておくが、日本語の「主義」ほど強い語感はない)を「異なる民族に属する人々の相互理解を可能にする、中立的な言語の使用を広める努力」とだけ規定した。つまり、それ以上の思想信条がエスペラントやエスペラント主義と結びついて語られるにしても、それは純粋にその個人の問題ということになる。

この「ブローニュ宣言」によって、エスペラントという言語はザメンホフを越えて存続していくための基礎を得たと言えよう。エスペラントの言語共同体は その後たえず国際情勢の変化の荒波を受けることになるが、言語としては安定を保ちつつ、 時代に適応した語彙を得て、文体と表現力を豊かにしていくことになる。

ザメンホフ個人の根底には人類愛やすべての民族の平等という少年期の素朴な理想主義があり、それを実現するための中立的な言語を希求していた。ロシア帝国統治下のポーランドにいる抑圧されたユダヤ人として彼は青年期の一時期にシオニズムに傾いたが、彼は結局はそれをも偏狭な民族主義として退け、民族や国家を超克する必要性を認識したのだった。ザメンホフは、エスペラントを使うだけで世界平和が訪れると考えるほどお人よしではないと語っている。それでも彼は、エスペラントによって、民族間の壁がなくなることを望み、民族間の友愛こそエスペラントの「内的思想」であると唱えた。

ザメンホフは、彼個人の考えがエスペランティスト全体の考えと誤解されるのを避けるため、1912年にはエスペラント運動の中心から離れた。そして、個人の立場で民族平等主義を追求し続け、『人類人主義』(1913)にたどりつく。ここで彼は、人類の一員としての個人に重きを置き、民族・言語・宗教・社会階層による人間の抑圧を野蛮行為と断じる。そして、排外主義や偏狭な愛国心、少数民族抑圧の不当性を指弾する。

初期のエスペランティストのうち民族間の友愛という思想に共感していた人は少なくないが、すべて理想主義的な思想のためにエスペラントに関わったと考えるのは誤解である。エスペラントの実用性を強調しようとする人たちからは、ザメンホフのこの側面は疎まれていた。ザメンホフ(水野編訳、1997)、小林(2005)を参照のこと。この二つの立場は、エスペラント運動の歴史の中で姿を変えつつたびたび現れるもので、その多様性の現れの一つともいえよう。

言語面では、ザメンホフは、エスペラントを公に提案する際、提唱者としての特権を放棄していた。言語にとっては指導者よりも使用者の方が重要であることを知っていたのである。彼は、著述家、雑誌編集者、寄稿者、翻訳家、そして筆まめとして、エスペラント使用の第一人者の立場からエスペラントの言語としての発展をリードした。語法に関わることでは、ザメンホフの考えは柔軟であった。雑誌に連載され、没後に単行本にまとめられた『語学問答』(1925)では、規範を示そうとするよりは、表現の多様性を尊重し、可能性を広げようとする彼の態度が明らかである。

ザメンホフの翻訳書には、『旧約聖書』、『アンデルセン童話』、ゴーゴリ『検察官』、シラー『群盗』などがある。なかでも女性の自立の問題を描いたポーランドのオジェシュコーヴァ『マルタ』のエスペラント訳は、清見陸郎(きよみろくろう)によりオルゼシュコ著『寡婦マルタ』(改造社、1927)として日本語に重訳され、のち改造文庫に収録されて広く読まれた。宮本百合子、羽仁説子、佐多稲子、平林たい子、中里恒子、寿岳章子、中川李枝子ら多くの女性がこの作品を高く評価しており、その中で人生に深い影響を受けたと証言する人も少なくない。エスペラントが文化の橋渡しの役を果たした好事例である。

言語の発展にはザメンホフ以外の人の果たした貢献も大きい。最初期の支持者のグラボフスキは多くの著作を著したが、その中で新語を多用した。また、エスペラントの形態論の枠の中でさまざまな可能性を試して、その多くが慣用の中に取り入れられることになった。

第1回世界エスペラント大会では、エスペラントの基本原則を守るための機関として言語委員会が作られ、のちにエスペラント・アカデミーに転換して現在に至る。フランスのアカデミー・フランセーズを意識したといわれるが、その後の実際の働きとしては、『エスペラントの基礎』に規定された語根に対する追加を公認したり、文法・語法上の疑問点について検討し、整理して、助言や勧告を行ったりしたことが主であり、言語を統制するという方向には動かなかった。

エスペラントの歴史を通して見ても、言語の規範を厳格に定めようとする動きはそれほど目立たず、むしろ言語使用者の創意と共同体による受容にゆだねられる部分が多かったのである。現在では標準的な辞書としてWaringhien k.a.(red.) (2005) が広く認められているが、アカデミーのお墨付きがあるわけではない。

世界大会は、地理的な一体性のないエスペラント共同体にとって、エスペラントが実際に用いられる空間を作り出し、それを実体験できる機会として、大きな意味が与えられた。世界大会はエスペラントを用いた国際交流のモデルとなり、二度の世界大戦の期間を除いて、毎年開かれている。日本では1965年に第50回大会(東京)が、2007年に第92回大会(横浜)が開かれた。

エスペラント運動の歴史を詳しく述べることは本稿の趣旨ではない。日本における組織的なエスペラント運動については初芝(1998)を、多くの無名の人を含めた個々人がどのようにエスペラントと関わったかについては柴田・後藤編(2013)、後藤(2015)などを、参照していただきたい。

現在は、世界エスペラント協会(現在の本部はオランダのロッテルダム)が、各国や各分野の組織とも協力して、国連やユネスコと協力関係にあるNGOの一つとして、英語の世界的な使用が拡大する中で、言語権を保障する民主的な国際コミュニケーションという観点からエスペラント運動の現代的な意義を捉えなおして、活動を進めている。ただし、組織に加わることは義務ではないから、個人の立場で言語活動を行っているエスペランティストも多い。

エスペラントのテキストが年代を追ってどのように増加したかを概観するためには、Sutton (2008)が大いに参考になる。タイトルには“Original Literature of Esperanto”とあるが、作家ごとの業績を紹介する項目では、狭い意味での文学に限定せずに、母語による著述やエスペラントへの翻訳なども含めて、幅広く取り上げられている。なお、エスペラントを本格的に取り扱う文献の大部分はエスペラントで書かれているから、学問的な文脈でエスペラントを取り上げるのであれば、それらを参照すべきである。Lapenna k.a.(red.) (1974)、Minnaja kaj Silfer (2016)、Lins (2016)などがまずは基本となる。

4 言語的特徴

130年以上という時間の流れを反映して、エスペラントにも語彙や表現法の面ではゆるやかな言語変化が認められる。なお、表面的な印象からエスペラントをヨーロッパの言語の敷き写しにすぎないと見做す向きがあるが、確かにヨーロッパの言語から要素を取り入れた面も目立つ一方で、言語構造が著しく整理されているところもあり、そのような単純なものではない。エスペラントの実用的な入門書としては藤巻(2012, 2015)を挙げておこう。

エスペラントの音韻には5母音と23子音音素があり、母音音素は /i, e, a, o, u/ であり、子音音素は破裂音 /p, b, t, d, k, g/、破擦音 /ts, tʃ, dʒ/、鼻音 /m, n/、摩擦音 /f, v, s, z, ʃ, ʒ, x, h/、接近音 /j, w/、流音 /l, r/ である。音素と文字は規則的に対応しており、ラテン文字の q, w, x, y を使わない代わりに字上符のついた6文字(ĉ /tʃ/, ĝ /dʒ/, ĥ /x/, ĵ /ʒ/, ŝ /ʃ/, ŭ /w/)があって、計28文字である。

母音を中心にして音節が構成され、リズムの単位になる。音素と文字の対応関係から、単語には母音字の数だけ音節がある。開音節が比較的多いが、音節の初頭や末尾にさまざまな子音連続が現れることがある。ただし、内容語の語末では、下に述べる品詞語尾のために、限られた子音(連続)しか現れない。

単語の後ろから2番目の音節(次末音節)に強勢アクセントが固定して置かれる。アクセントの有無によって母音の音質が変わることはない。母音の長さは弁別的でないが、アクセントのある母音が(環境によって)長く発音されることがある。ピッチやイントネーションには明確な規定はない。

形態論で最も特徴的なのは、内容語には一定の品詞語尾(名詞 -o、形容詞 -a、派生副詞 -e、動詞不定形 -i)があることである。動詞ではさらに時制や法に対応した語尾(直説法過去 -is、現在 -as、未来 -os、仮定法 -us、意思法 -u)がある。名詞類では品詞語尾の後ろに複数と対格の語尾(-j / -n)がつきうる。品詞語尾を除いた部分が語幹であるが、これは単一の語根からなる場合もあれば、接頭辞や接尾辞のついた派生語や複数の語根の結合による合成語である場合もある。

品詞語尾は母音を含んでおり、語幹部分も必ず母音を含んでいるから、内容語はつねに2音節以上あって、アクセントは語幹の最終音節に落ちることになる。次末音節での固定アクセントと一定の品詞語尾のために、音声から語境界を判断することが容易である。

語彙的形態素も文法的形態素も形態変化を示すことはなく、語形が一定している。このため形態論の透明度が極めて高く、膠着語的であって、このことはエスペラントの大きな特徴の一つである。形態論の透明性は、単語の統語的な機能を判別しやすいことにもつながる。エスペラントの宣伝文句として「例外のない文法」と言われることがあるが、主にこのことを指している。この性質はコーパス言語学の観点からも興味深いのであるが、本稿では詳述する余裕がない。

一方、機能語(代名詞、冠詞、数詞、前置詞、本来副詞、従属接続詞、等位接続詞、間投詞)の語根は、語形から判別できない。他の言語の場合と同様に、機能語は数としてはそれほど多くないが、おおむね頻度が高く、学習の初期に覚えるべきものである。機能語は基本的には単一形態素からなるが、文中での機能により、複数や対格の語尾をとることがある。また、機能語の語根から派生や合成によって新しい機能語や内容語が作られることもある。

統語的には、基本語順がSVOであり、前置詞を用いる、(特定の構文を除いて)主語が必須であるなど、ヨーロッパ主要言語に近い点がある。従属節の作り方も、英語などの類推に頼る説明がかなり有効である。一方において、語順の自由度が高く、SVOのほかにSOV、VSO、VOS、OSV、OVSのいずれの語順も文法的である。特に、旧情報(トピック)を文頭に、新情報(フォーカス)を文末に置く傾向が顕著に見られる。

内容語の語根になる語彙的形態素のうち基本的なものは、主にラテン系の言語から、時にゲルマン系その他のヨーロッパの諸言語から、エスペラントの音韻体系に合わせて取り入れたものである。例えば、(品詞語尾をつけた形で)homo「人」、sama「同じ」。なお、「エスペラントはインドヨーロッパ語だ」と言われることがあるのは主にこれを根拠にしているようだが、ここで「インドヨーロッパ語」という比較言語学の概念を持ち出すことには意味がない。

『エスペラントの基礎』では、エスペラントの語根にフランス語、英語、ドイツ語、ロシア語、ポーランド語の訳語がそれぞれほぼ一対一の形で添えられていて、これにより各語根の基本的な意味が定義されたことになる。とはいえ、添えられたフランス語、英語、ドイツ語などの訳語の間でも意味が完全に一致しているはずもなく、エスペラントの語根の細かい意味や用法、とりわけ基本語義からの意味の拡張の範囲については、慣用のなかで決まってきたと言える。

語形が類似していることは確かに目立つが、語源的につながっていても、エスペラントの単語は対応するヨーロッパ語の単語と意味の範囲がつねに重なるわけではない。例えば、ĉambro「部屋」は、語源的にフランス語chambreに由来するが、意味の範囲はそれよりもっと広い。また、原語とは無関係に、エスペラントの語形成規則に従って派生語や合成語(例えばsamĉambrano「同室者」)が作られる。

語形成規則の生産性はきわめて高く、派生語や複合語が規則的に作られる。この点もエスペラントを特徴づけている点である。最も単純な派生は、品詞語尾の取り替えによるものである。ami「愛する」から、amo「愛」、ama「愛の、愛情のこもった」、ame「愛情こめて」が派生される。これは分かりやすいが、極端にはhomoを動詞にしたhomi(しいて訳せば「人たり」)のような派生も可能である。これは文体的に好みが分かれることもあるが、エスペラントの表現の幅を広げることにつながっている。

反対語を作る接頭辞mal-によってgranda「大きい」からmalgranda「小さい」が、集合を意味する語を作る接尾辞-ar-によってnomo「名前」からnomaro「名簿」が派生されるが、意味が成立する限りこれらの接辞を使うことができる。複数の語根をつなげることで合成語が形成される(homamo「人間愛」、samnoma「同名の」)。menciindi「言及に値する」(動詞)など、他の言語ではあまり一語で表現しないような派生語や合成語が作られることも普通にある。この際に、接辞も語根も形態変化が起こらないので、語形成においても透明度が高い。

機能語からの派生語も作られる。mi「私」→mia「私の」、du「二」→dua「第二の」、due「第二に」、en「~の中に」(前置詞)→ene「中に」(副詞)など。本来は接辞である語根からも内容語が派生されることがある。例えば、-et- 指小辞→eta「ちっちゃい」。

『国際語』以降、新しい概念を表すために新しい単語が必要になることはつねにあった。その際、なるべく基本語根からの派生や合成でまかなう方向と、主としてヨーロッパのいずれかの言語から外来語として語根を導入する方向との二つの方向が見られ、どのように定着するかはなかなか予想しにくい。例えばツイッターの訳として tvitero が比較的広く使用されているが、ツイートを表すには動詞 pepi「さえずる」からの派生語 pepaĵo を使うことが、筆者の観察では今のところ多いようである。

なお、少数だがヨーロッパ以外の言語から取り入れられた語もあり、日本語からの借用語には、hajko「俳句」、sakeo「日本酒」などの日本文化特有の語のほか、sudoko「数独」などがある。エスペラントに取り入れられた以上は規則的な語形成に従うので、hajkaro「句集」、hajkisto「俳人」などの派生語が作られる。

このように、個々の形態素はほとんどヨーロッパ諸言語から取られているにもかかわらず、単語という単位で考えれば、ヨーロッパのどの言語にも直接対応するものがない単語は実は数多い。また、malgrandaの意味とetaの意味とがどの程度重なっており、どの程度ずれているかは、エスペラントの語彙意味体系の中での問題であり、ヨーロッパ語と直接に対応するものではない。コロケーションも、ヨーロッパ語をなぞっている面もある一方で、エスペラントの独自の習慣によるものもある。

5 用語と概念の整理

「人工語」ないし「人工言語」という用語は比較的知られているが、その概念が実は整理されていないことに注意が必要である。自然言語処理の分野ではプログラミング言語などを「人工言語」と呼び、日本語や英語などの「自然言語」と対比させる。エスペラントは、日本語や英語と同様に人間の言語能力の発現の一形態なのであり、そうでないプログラミング言語とは区別して、自然言語の方に分類するのがむしろ論理的である。

人工言語には、現実世界での人間のコミュニケーションを目的としないものもある。SFテレビドラマ『スタートレック』に現れるクリンゴン語のような創作・架空言語などである。最近では、conlang(constructed language)と言って、人工言語をネットワーク上で議論する場が現れているが、文法を備えた記号の体系としての言語を創作すること自体を目的にしていることもあるようだ。国際的なコミュニケーションを標榜して創案された人工言語は実はかなりの数にのぼるが、大部分は机上の提案にとどまり、提唱者自身さえ使うことができなかった。このような社会性の欠けたものを言語に含めることには疑問の余地もある。

Blanke (1985)は、社会性を獲得した程度に応じて、言語案、半計画言語、計画言語とする分類を提案した。これによると、大部分は言語案にすぎず、少数のものが半計画言語に分類され、エスペラントのみが計画言語と呼ばれるに値する社会性を獲得したとされる。「計画言語」という用語は、必ずしもこの定義に限定して使われているとは限らないが、この分野に関心をもつ学者の間で定着してきている。例えば、常設国際言語学者委員会(CIPL)の『言語学文献目録』(Linguistic Bibliography, http://bibliographies.brillonline.com/browse/linguistic-bibliography)では、planned languagesという言語種別のカテゴリーが設けられている。Schubert (ed.) (1989)所収の議論も参照。

国際的なコミュニケーションという目的に注目した「国際語」や「国際共通語」という呼び方は比較的なじまれており、筆者も使うことが多い。ただ、「国際」には国家を前提としている含みが感じられがちであり、避けたがる人もいる。そのため「民際語」という呼び方が提案された。木村・‎渡辺編(2009)では「媒介言語」という用語を使っている。

エスペラントに対する大きな誤解として「世界の言語を統一しようとする企て」というものがある。「世界語」という言い方で、このような誤解が助長されているかもしれない。ただ、中国ではエスペラントを「世界语」と訳すことが定着している。

6 おわりに

エスペラントの言語共同体は、個々人の自由意思を基調としているから、拘束力は弱い。国や民族などの後ろ盾がなく、基盤は脆弱なようにも見える。エスペランティストの数は世界の人口と比べれば少なく、語学力や共同体への参加の程度にも大きなばらつきがある。エスペラントが世界中どこでも通用するという状態からは確かにほど遠い。

しかし、エスペランティストの多くは国際交流を志向して自由意思によりこの言語に取り組んでいるので、一般に相互協力精神やボランティア精神に富んでいて、共同体としては柔軟であるとも言える。

2017年に「ことのはアムリラート」(Sukerasparoブランド)という美少女アドベンチャーゲームが発売され、ある層で話題を呼んだ。異世界に迷い込んだ主人公が現地の少女とコミュニケーションをとるために異世界語を少しずつ習得していくというストーリーであるが、この異世界語は実質的にはエスペラントである。このゲームに対する好みはともかく、エスペラントの言語的特徴をうまく生かす作りになっており、それぞれの人がエスペラントの新しい使い方を実行している一例として面白い現象には違いない。

インターネットの普及もあって、エスペラントによるコミュニケーションも多様性が増している。従来は手薄であった東南アジアなどの地域で若い層への広がりが見られる。筆者が実行委員長を務めた第102回日本エスペラント大会(2015, 仙台)では、インドネシアとネパールから青年を呼んで、震災関連のプログラムで発表してもらった。このように、他の言語の場合と異なった種類の言語体験ができることが、筆者にとってエスペラントの面白さの一つである。

参考文献

(ごとう・ひとし 東北大学教授)

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