リンクは自由!

日弁連のリンク「許可条件」に関するコメント


後藤 斉

目次

  1. 修正は不十分なものにとどまっている (2002-06-17)
  2. 日弁連のリンク条件再考に敬意を表する (2002-07-02)
  3. 関連ページ

修正は不十分なものにとどまっている

ASCII24 ニュース / トピックス 2002年6月17日
日弁連が「リンク」の方針を転換 ネット掲示板での反発に (http://ascii24.com/news/i/topi/article/2002/06/17/print/636577.html) に掲載のコメント

今回の問題を精いっぱい好意的にとらえれば、おそらく日弁連はウェブのリンクに ついてあまり深く考えずにこのような条件を設けていたのであろう。権利に 敏感であるがゆえに、自分の権利のみを守ろうとしての勇み足であると信じたい。 しかし、リンクは表現の自由の一環であり、もっと真剣に考えるべきことがらである。

リンクとは何だろうか。あるウェブページの中で、テキストのある部分に あるマークアップを施すことにほかならない。リンクを張ったからといって、 サイト間に特別の連携関係があることを示すものではないし、リンク先サイトが すでに公開のものなら、その権利を侵害することにもならない。したがって、 文章や画像などページ全体の構成要素がそうであるように、リンクはそのページの 作者の表現の自由に属する。リンクを張る際にリンク先の許諾を得なければ ならないという主張には、技術的にも法的にも根拠がない。『無断リンク』などと いう言葉もあるが、リンクはそもそも自由なのである。

むしろ、リンクを張られる側がリンクを禁止したり、制約したりしようとする ことこそ、リンクを張ろうとする人の表現の自由を侵す可能性がある。 もちろん表現の自由とて無制限ではなく、他の自由との調整を必要とすることも あろう。リンクに伴う文章中の表現が名誉毀損に当たる場合などがそうである。 しかし、ウェブ上の名誉毀損はまずウェブ上の対抗言論によって回復を図るべきで あって、あらかじめ言論を封じることは社会とインターネットとの共存の あり方として健全ではない。

まして日弁連は公的な性格をもった団体であり、広く社会からオープンな批評を 受けるべき立場にある。しかも、法律家の専門団体として、『自由』や『人権』に 関して社会一般を啓発する責務を期待され、自任しているのではないだろうか。 そのような団体の公式サイトが、『原則として自由』といいながら、実は きわめて制約の強いリンク許可条件を課すという自己矛盾を犯していたことは、 モラルの上からも大きな問題である。とりわけ、住所氏名電話番号等の個人情報を 含めた事前の報告を求めていた点は、極めて不当であって、容認できない。 これは『日弁連に関する文章の公表は、個人情報を添えて事前に報告すること。 日弁連が不適切と判断した場合は許可しない』という検閲制度を課しているのと 同じなのだが、このような不当な規定は無効である。さらに、このような実効性を 担保しえない規定を麗々しく掲げていたことは滑稽でさえある。

とはいえ、日弁連がこのようなリンク許可条件を掲げていたことは、 その社会的な存在の大きさを考えると、悪影響ははかりしれない。残念なことに、 これは例外ではない。これまでも日本新聞協会日本ユニセフ協会 など似た立場にある 団体が厳しいリンク許可条件を掲げている。一般の企業・団体のサイトや個人サイトで リンクに種々の制約を課しているサイトは多いし、学術サイトや官公庁サイトの 一部さえリンクに制約を課すところがある。日弁連のリンク規定はそのような悪弊を 拡大再生産しかねない。

このようなリンク許可条件を見ると、そのサイトがウェブによって社会と どう関わろうとしているかが判断できるかもしれない。まるでウェブを使って 一方的なプロパガンダを強圧的に社会に垂れ流そうとしているかのようではないか。 個人のサイトならば笑って済ませられるかもしれないが、まっとうな 機関・団体・企業のサイトが取るべき態度ではない。これまでのところは単に考えが 足りなかっただけだと解釈しておこう。日弁連および同様にリンク許可条件を 掲げているウェブサイトには、今回このことが広く話題になったのを機会に リンクの自由についての認識を深め、自サイトのリンク許可条件を再考した上で、 撤廃することを強く要望したい。

さて、6月13日付で、日弁連のリンク条件は、一部修正された。事前報告制や 不当な個人情報の収集を取りやめたことなどは、肯定的に評価できる。なお、 これは内容の修正であって、日弁連が言うように単に『表現』や『表記』の 問題ではない。

しかしながら、修正は不十分なものにとどまっている。特に、 『原則として自由』といいながら『日本弁護士連合会が判断し、リンクの解除を 求めたときには、ただちにこれに応じていただきます』としている点は、 依然として不当である。繰り返しになるが、リンクの自由は表現の自由の 一部であって、リンクにはリンク先の許諾が必要であるという主張には、 技術的にも法的にもモラル的にも根拠がない。日弁連も認める通り、 『リンク元サイトのコンテンツ及び同サイト運営の責任は、全てリンク元サイトの 管理者等に帰属し、日本弁護士連合会とは無関係』である。この二項目が 互いに矛盾していることに気がつかないとは、まったく理解しがたい。

日弁連は、相手の判断によって容易に取り消すことができるものを 『自由』と呼んではばからないのであろうか。日弁連が表現の自由をその程度に 軽く考えているのだとすれば、あまりにも悲しい。

日弁連のリンク条件再考に敬意を表する

ASCII24 ニュース / トピックス 2002年7月2日
リンク許可問題、日弁連は「あまり深く考えていなかった」 (http://ascii24.com/news/i/topi/article/2002/07/02/print/636937.html) に掲載のコメント

問題になったリンク条件は、深く考えなかった結果とはいえ、個人情報の保護が 広く話題になっている折のことでもあり、個人情報の収集について認識が 甘かったと言わざるをえない。また、法的根拠を自覚しないまま他者に なんらかの行為を強制しようとした点も、法律家としてあまりにも軽率だったのでは ないか。とはいえ、日弁連がリンク条件を見直すのであれば、その姿勢には 深く敬意を表したい。

この機会に、世間の誤解を解くためにも、法律の専門家の立場から、 いくつかの点について法律上の解釈を明確にしてもらえれば有益であろう。 (1)リンクは著作権法上問題があるか (2)他の法律によってリンクを制限する根拠が あるか。あるとすれば、どのような場合か (3)リンクを張った旨の通知を 義務づけるなど、リンクの条件としてなんらかの行為を強制できる 法的な根拠があるか。

私見によれば、リンクにからんで起きるトラブルの大部分は、 リンクそのものではなく、リンク周辺の文章の表現などに起因する。 ウェブサイトの運営者としては、そのような場合に備えて法的責任を明確化した 警告文を用意したくなる気持ちも理解できる。しかし、ウェブの閲覧者の大部分は 善意の人であり、過度に強圧的な態度はサイトやそのオーナーの印象を損ねる方向に 働くことを理解すべきだろう。とりわけ日弁連は人権や表現の自由に関して 社会を啓発する立場にあるのだから、他者の表現に関して制約的であるよりは、 最大限に寛容であることを望みたい。


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