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エスペラントを育てた人々 ―仙台での歴史から―

1920〜30年代仙台エスペラント会写真集


目次


1924(大正13)年4月30日


エスペラント平和デー記念絵葉書 1
撮影場所:西公園前
第12回日本エスペラント大会の宣伝と資金集めのために、 招魂祭の人出に合わせて大町から大橋、天守台にかけて女学生などを動員して、 宣伝文を書いた袋にいれた菓子を売った。
エスペラント平和デー記念絵葉書 2
撮影場所:西公園公会堂前

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1924(大正13)年6月28日


同胞倶楽部発会式記念絵葉書 1
撮影場所:東一番丁精養軒
第12回日本エスペラント大会の側面協力を意図して、 仙台の名士や学生からなる仙台人類同胞倶楽部を立ち上げた。なお、これと 同じ絵葉書がオーストリア国立図書館にも所蔵されている。

同胞倶楽部発会式記念絵葉書 2

同胞倶楽部発会式記念絵葉書 3

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1924(大正13)年7月28日

第12回日本エスペラント大会記念写真
撮影場所:宮城県会議事堂前
掲載:RO 1924.11 p.16.
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武藤於莵 (むとうおと): 1876〜1942. 大会準備委員、大会会頭。当時、仙台市電気局技師。
富田春之進: 仙台市会議員。
石川宇三郎: 大会準備委員。開会の挨拶。仙台鉄道局副参事。仙台組合教会(のち日本基督教団仙台東三番丁教会、現仙台北教会)執事、日曜学校長。万国エスペラント協会仙台代表。
萱場真: 1888〜1931. 大会準備委員。東北大理学部助手。RO1931.5に追悼文。
吉田松一 (よしだまついち): 1904〜1977. 東北大医学部生。31年、医学部エスペラント会創立。医学部小児科助教授ののち、満州哈爾濱満鉄病院小児科長。終戦後、大津で開業。
黒沢艮平 (くろさわごんぺい): 1870〜1945. 大会書記、宗教家分科会世話役。札幌農学校時代に 宮部金吾 の弟子、有島武郎と交友。長崎活水女学校、福岡県立農学校教頭などをへて、1916〜34年宮城女学校教諭。日本メソヂスト仙台教会(現日本基督教団仙台五橋教会)協励会長。
高橋悦郎: ?
尾上繁: ?
菊沢季生 (きくざわすえお): 1900〜1985. 東北大工学部卒業後、法文学部生。大会書記。のち、宮城女学校教員、宮城学院女子大学教授。
武藤丸楠 (むとうまるくす): 1906〜1996.於莵の息子。大会準備委員。当時、二高生。京大に進み、京都学連事件で検挙。のち日本プロレタリア・エスペランティスト同盟中央委員。戦争中に「潔」と改名。
島崎捨三: 1900〜1956. 伊具郡金山町(現丸森町)金山小学校教員。
渡部忠重: ?
山崎信次: ?
熊谷修平: ?

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1932(昭和7)年2月7日

エスペラント演説会記念写真
撮影場所:東北帝大喫茶所前か
掲載:RO 1932.3 p.107-108.
後列左から5人目、小坂狷二。
小坂狷二を迎えて、午後2時から、東北帝大喫茶所でエスペラント演説会を開催。 出席者27名、演説14名。別に 晩餐会と座談会も開催。
主な演説者と演題は:
中村貴義 (仙台エス会)蓄音機の機構について
桑原利秀 (大学エス会)日本エスペランチストの使命
鈴木北夫 (医エス会)若返法について
高橋啓一郎 (〃)産児制限について
北原三郎 (〃)仙台のエスペラント思ひ出
平野子平 (鉄エス会)国民教育としての医学
小島霊光 (栴檀中エス会)仏典のエス訳について
佐藤正雄 (二高エス会)登山の思ひ出
鈴木博 (仙台エス会)星の温度について
金子美雄 (大学エス会)エスペラント運動に関する一二の感想
松本浩太郎 (〃)二人の婦人科学者
菅原慶一 (学院エス会)誤植について
中村貴義: 1899〜?. 理学部卒。のち日本精機工業社長、芝浦工大教授。
桑原利秀: 1910〜1989. 工学部生。のち近畿大学教授、日本顔料技術協会会長。関西エスペラント連盟会長
鈴木北夫: 1911?〜1936. 医学部卒業後、東北大学病院小児科勤務、1936.6.17、同伝染病室勤務中に殉職(RO 1936.7)。
高橋啓一郎: 1911?〜?. 医学部卒業後、不詳。
北原三郎: 1908?〜1993. 医学部卒業後、東京神田和泉橋病院(泉橋慈善病院、現三井記念病院か?)勤務、のち静岡県で開業。
平野子平: 1892〜1935. のち仙台鉄道病院院長。1935.1.22ベルリン留学中に病死(RO 1935.6)。
小島霊光: 1913〜1945. のち本吉郡志津川町大雄寺住職。
佐藤正雄: ?
鈴木博: 理学部。のち仙台エスペラント会会長、東北中学校教諭。1933.1、共産党シンパの嫌疑で検挙(『河北新報』1933.1.19)。
金子美雄: 1910〜1993. 理学部。のち厚生省、経済企画庁、日本生産性本部。賃金問題の権威。戦後、小田原エスペラント会など。
松本浩太郎: 1910〜1981. のち鉄道省大臣官房、国鉄本社統計調査課長、熊本商大、千葉商大教授。
菅原慶一: 1911〜1997. のち自営業。仙台エスペラント会会長、東北エスペラント連盟会長。

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1934(昭和9)年7月8日

東京鉄道エスペラント会松島遠足記念写真
撮影場所:松島五大堂前
掲載:RO 1934.8 p.231, 239; MER 1334.8; La Fervojisto 36(1934.9).
東京から17名(うち松本浩太郎はもと仙台エスペラント会会員)、 郡山鉄道エス会から1名、盛岡エス会から2名、 仙台鉄道エス会から萩谷寛、石田六朗、松野太一の3名、 仙台エスペラント会から菅原慶一と庄司うめのの2名。
萩谷寛: 仙台鉄道局工務課電気掛。1939年上海・華中鉄道会社へ(RO 1939.12)。
石田六朗: 1908〜1994. 仙台保線区など。のちイーハトヴ・エスペラント会。
松野太一: 仙台駅員。
庄司うめの: ?

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1935(昭和10)年2月23日

吉田松一送別
撮影場所:仙台駅か
掲載:RO 1935.4 p.117-118.
左から、菅原慶一、昼間和男、佐々木滋、吉田松一、鈴木北夫、島貫清子、庄司うめの
吉田が満州のハルピン満鉄病院小児科長として赴任するに当たり送別。21時30分出発 前に撮影。なお、18時から明治製菓で送別会を行った。出席、土井晩翠、菊沢季生、 中村(貴義?)、菅原、島貫、庄司、佐藤(愛子?)、佐々木、鈴木、昼間など。
昼間和男: 1911?〜1945. 医学部生。のち陸軍軍医(RO 1935.8)、1945.7.15南方戦病死。
佐々木滋: 1911〜1995. 医学部生。卒業後熊谷内科勤務。のち水沢に開業、イーハトヴ・エスペラント会。水沢市(現、奥州市)名誉市民。
島貫清子: 1909〜2001. 土井晩翠・八枝夫妻の秘書役。大泉八郎と結婚し、大泉姓に。

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1938(昭和13)年1月24日

大島広歓迎会
撮影場所:東一番丁明治製菓
掲載:RO 1938.3 p.42, 1938.4 p.42.
前列左から4人目から、菊沢季生、大島広、黒沢艮平
九州帝大生物学教授大島広の歓迎会。父の勤務のため小学校から中学を仙台で過ごす。「30年ぶりかで第二の故郷仙台を訪問」と。出席18名。
大島広: 1885〜1971. 日本科学エスペラント協会理事。RO 1971.5 に三宅史平による追悼文。

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1939(昭和14)年6月1日

猪川珹送別会
撮影場所:明治製菓
掲載:RO 1939.7 p.43, 1939.8 p.22.
後列左から、大泉八郎、松野太一、山本耕一、
前列左から、大友信太郎、松隈健彦、猪川珹、菊沢季生、菅原慶一
仙台放送局(JOHK)放送課長から大阪中央放送局(JOBK)放送部長として栄転する猪川の送別会。
猪川珹: 1886〜1960. 1934年10月ごろ、前橋から赴任、のち京都放送局長。野鳥研究家、野鳥の鳴き声放送の開祖。
大泉八郎: 1910〜1944. 河北新報社記者
山本耕一: 1906〜1990. のち弘前大学医学部教授。弘前エスペラント会会長
大友信太郎: ?
松隈健彦: 1890〜1950. 東北大学理学部教授(天文学)。日本科学エスペラント協会理事。

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