イチローと高橋尚子の練習問題

卒業生に贈る言葉 2001年度

スポーツから教育を、指導のあり方を考える

 今年はラグビーだったが、毎年スポーツものの卒論がある。今年からJ 1 に昇格するベガルタ仙台を論じた卒論も二・三年前に読んだ。
 たまたまソルトレイク・オリンピックのさなかだが、スポーツは結果がはっきりしているだけに、教育や師弟のあり方という点からもいろいろなことを考えさせられる
 テレビや新聞では、勝つべくして勝った、負けるべくして負けた式のとらえ方が多いが、問題はそれほど単純ではない。素質のある選手を優秀な監督が育てれば強くなるかというと、それほど単純ではない。ある資質はある条件のもとでなぜ開花し、あるタイプの資質はその条件のもとでなぜ開花できなかったのか。こういう問題をもっと考えてみたい。

 春夏の甲子園で活躍した投手のなかでプロ入り後も期待どおりの成績をおさめる投手は意外に少ない。最近では西武の松坂大輔ぐらいではないか。連投によって肩を酷使して、肝心の肩を痛めてしまう場合が多いから、というのが定説だが、それ以上突っこんでは論じられていないのではないか。
 選手の育て方の上手な球団、下手な球団、上手な監督・コーチ、下手な監督・コーチというのも当然あるだろうが、何の分野であれ、客観性の高い評論の貧弱なこの国では、もっとも人気のある野球ですら、データにもとづいてそのことが論じられていない。選手としての資質と監督としての資質は当然違うはずなのに、多くの球団があいかわらず有名選手を監督に迎える愚策を繰り返しているのは、コーチや監督の職能というものが正当に評価されていないことのあらわれでもある。

 日本のスポーツ界は、次のような練習問題をさまざまの角度から論じるべきである。

練習問題 1  

 イチローは、仮にどの球団にいても今日のように大成したのだろうか。例えば、読売軍にいたらどうだったのか。阪神にいたらどうだったのか。ロッテにいたらどうだったのか。仰木監督のもとでオリックスにいたからこそ開花しえたのか、どうか。あるいは彼が最初から渡米して大リーグ入りしていたら、今日のイチローはありえたのかどうか

練習問題 2 

 高橋尚子が旭化成に入社して、宗兄弟の指導を受けていたらどうだっただろうか。素人の直感では、そこそこの選手にはなっただろうが、オリンピックで金メダルをとるほどには伸びなかったのではないか。

 むろんここでのイチローと高橋尚子は比喩である。スポーツ界も、球団も、固有名詞も、各自の関心に従って、しかるべく読み替えてほしい。適切な時点で、適切な指導者から、適切な指導を受けられるかどうか、という大きな問題がここにはある。

指導する者の責務

 私がいいたいのは、学問であれ、芸術であれ、何の分野であれ、無数のイチローや高橋尚子が、すぐれた指導者に出会えぬままに、あるいは下手にいじられて埋もれたままで終わっているのではないか、ということである。
 教育する側にいて思うのは、学生・院生の中の無数の潜在的なイチローや高橋尚子を自分が見殺しにしてはいまいか、ということである。
フロリダ 2007. Jan.
 卒業生を送り出す頃、卒論(修論)を読みながら、毎年、この学生(院生)はとても伸びたな、と思うし、他方で期待に反して伸び悩んだな、と思う学生(院生)も少なくない。その差異を生み出したのは何だろうか。その差異を生み出した条件に関わる、教員としての私の責務は少なくあるまい。そういう自戒のもとで卒業生を送り出し続けて、ちょうど 10 年目になる。

 学生たちよ! 君たちの内なるイチローや高橋尚子、清水宏保に耳傾けよ。人生を変えるような出会いをつくりだせるかどうかにこそ、本当の幸運がある。

2002年2月18日(2009年3月16日一部加筆)