「君は闘っているか」

『災後の社会学 No.3』震災科研プロジェクト2014年度報告書

下記は、『災後の社会学 No.3』(2015年3月31日付け)に、寄稿したものです。あわせて舩橋先生を偲ぶLinkIcon雷鳴が遠ざかるLinkIconも参照ください。


 公害2014年7月15日世界社会学会議横浜大会「環境と社会」研究分科会ビジネスミーティングにて(堀川三郎氏撮影)Gメンとして、四日市で、東京都で、公害追及と加害企業の告発に大きな足跡を残した田尻宗昭氏は若い人びとに口癖のように言っていたそうだ。「君は、闘っているかね」と1)。口にこそ出されなかったものの、舩橋晴俊先生の背中は、いつも「君は闘っているか」と問いかけているようだった。先生は静かに、しかし決然と闘っておられた。
 先生の闘いは、東日本大震災の発災、福島第一原発事故の発生にともなって、いよいよ苛烈なものになった。次々と編著書が送られ、幾つものメーリングリストから様々の文書や連絡が送られてくるにつれて、あまりの忙しさに命を削ることになりはしまいか、と秘かに危惧していた。そんな矢先、8月15日午後、舩橋先生がこの朝くも膜下出血で亡くなられたというメイルが飛び込んできた。
 その1日半前、8月13日午後2時から4時まで開かれた日本学術会議の高レベル放射性廃棄物の処分に関するフォローアップ検討委員会でご一緒したばかりだった。9月に「暫定保管に関する技術的検討分科会」(以下技術分科会と表記する)と「暫定保管と社会的合意形成に関する分科会」(以下社会分科会と表記する)の報告を提出することになっており、その最終的な詰めの委員会だった。この検討委員会の幹事として、また社会分科会の座長として、報告の取りまとめにあたられた舩橋先生は、13日は珍しく疲れた様子で、髪を掻きむしるような仕草を何度かなさっていた。この検討委員会の中心的な論点である「暫定保管」は、国側の放射性廃棄物ワーキンググループ2)が打ち出してきた「回収可能な地層処分」とは異なるのだということを文字どおり力を込めて主張された。ごまかさないでくれ、一緒にしないでくれという有無を言わせぬ厳しさがあった。終了後メディアに取りかこまれ説明を求められている舩橋先生を残して帰宅した。これが永訣の場になるとは夢想だにしなかった。
 学部4年の出会いの折から、舩橋先生が私にとってどんな存在だったのか、ということについては、「意志の人」と題して環境社会学会ニューズレターに寄稿した3)。卒業生向けに加筆したエッセイもある4)。個人的な思い出はこれらにゆずり、ここでは東日本大震災以降舩橋先生がどんな風に格闘されたのかを、私の理解の範囲で記しておきたい。
 東日本大震災および福島原発事故に関連して、舩橋先生がかかわっておられたのは、以下のようなプロジェクトである。

 1. 法政大学サステイナビリィティ研究機構5)の機構長として(2009年8月から2013年3月末)およびそれを引き継いだ法政大学サステイナビリィティ研究所6)(2013年7月から)のリーダー(副所長)として。「サステイナビリィティ研究機構の閉鎖にあたって」には、その成果が次のように記されている(2013年3月31日付け)5)。

 日本で初めての「環境アーカイブズ」の形成、32回にわたる「サス研フォーラム」の連続的開催、「サス研ブックス」翻訳書シリーズの四冊の企画刊行、二回にわたる国際シンポジウムの開催(2011年、2012年)、東日本大震災に対する復興支援のための震災タスクフォースの諸活動、その一環としての陸前高田市の議会文書の修復、これらの活動に立脚した三冊の研究書の公刊、『原子力総合年表』の公刊準備、世界で初めての試みである英文の『世界環境年表』(A World Environmental Chronology)の公刊準備、国連大学Pro.SPER.Netの企画であるサマースクールの運営担当(2011年夏)、国際有機農業映画祭(2012年)など、きわめて多彩かつ積極的に各種の取り組みを行ってきた。

 2.2014年7月開催の世界社会学会議横浜大会関連のお仕事がある。舩橋先生は2003〜06年、09〜12年の日本社会学会理事として、世界社会学会議の日本招致を積極的に推進され、世界社会学会議組織委員会評議員のお一人として、「オリンピックと同様50年に1回の大会なんだから」と組織委員長の私をいつも鼓舞してくださった。このうち『原子力総合年表』と英文の『世界環境年表』は、2014年7月開催の世界社会学会議横浜大会目前に刊行された。『世界環境年表』の作成にはとりわけご苦労が多かった7)。 
 日本の社会学がその実力ほどには国際的に評価されていない、英語で発表されたものが少ないために、業績がそれほど世界に知られていない、その状況を何とか打ち破らねばならないというのは、舩橋先生が若い時から、いつも口癖のようにおっしゃっていたことだった。
 法政大学サステイナビリィティ研究所と環境社会学会、ISA(国際社会学会)の研究分科会「環境と社会」(RC24)は共催で、7月12日と13日にパシフィコ横浜で、Pre-Congress Conference “Sustainability and Environmental Sociology”を開催した。日英の同時通訳付きで、約250名の参加があり大成功だった。費用の大半を負担してくださったのは、法政大学サステイナビリィティ研究所である。世界社会学会議横浜大会には、計55の研究分科会と4ワーキング・グループ、4テーマティック・グループが参加したが、2日間にわたるPre-Congressを開催したのはRC24のみである。横浜大会の分科会別登録参加者数で、RC24は264名で第4位だった。舩橋先生の情熱と行動力とリーダーシップが可能にしたPre-Congressの成功だった。
 大会期間中も、法政大学社会学部とサステイナビリィティ研究所が共同で出展されたブースで、自らPre-Congressのプロシーディングなどの資料を展示され、説明にあたられていた。

 3. 原子力市民委員会座長としてのお仕事。福島原発事故に研究者としてどう向き合うのか、この真摯な問いに、最も誠実に答え行動したお一人が舩橋先生だった。
 福島原発事故後、被災地対策・被災者支援をどうすべきか、日本の原子力政策の転換をいかに図るのかが大きな課題となったが、高木仁三郎市民科学基金が中心となって、政府側の原子力委員会に対抗する「原子力市民委員会」が2013年4月から発足することになり、舩橋先生が座長に就任された8)。この委員会は、「東電福島第一原発事故の被災地対策・被災者支援をどうするか」「使用済核燃料、核廃棄物の管理・処分をどうするか」「原発ゼロ社会構築への具体的な行程をどうするか」「脱原発を前提とした原子力規制をどうするか」の4つを課題として、原子力政策に批判的な被災者・市民・NGO・技術者・研究者・弁護士などを網羅した委員会であり、原子力政策の抜本的な転換のための「公論形成」をめざした委員会である。


発足半年後の2013年10月には『原発ゼロ社会への道————新しい公論形成のための中間報告』を、1年後の14年4月には『原発ゼロ社会への道————市民がつくる脱原子力政策大綱』を刊行された。個性派揃いの脱原発運動の猛者たちを糾合し、市民サイドから包括的で対抗的な政策提案を、短期間でまとめられたのは特筆すべきことである。舩橋先生は、この委員会の文字どおりの顔として、報告書の取りまとめをリードするとともに、全国各地で開催された市民との意見交換会にも積極的に参加された。メディアにも頻繁に登場され、2014年4月には、「原子力の平和利用における協定のための日本国政府とアラブ首長国連邦政府との間の協定について」の参考人として、参院でも原発輸出に批判的な意見を述べている9)。

 4. 日本学術会議社会学委員会東日本大震災の被害構造と日本社会の再建の道を探る分科会座長として、「原発災害からの回復と復興のために必要な課題と取り組み態勢についての提言」(2013年6月27日)などの取りまとめに尽力された10)。詳細は、本報告書所収の山下祐介氏の原稿を参照されたい。

 5. 日本学術会議高レベル放射性廃棄物の処分に関する検討委員会(以下検討委員会と略記)および同フォローアップ検討委員会(以下フォローアップ委員会と略記)でのお仕事である。検討委員会は、原子力委員会からの審議依頼を受け、震災前の2010年11月に発足した。委員長は今田高俊氏であり、舩橋先生は幹事だった。舩橋先生に誘われ、第3回の委員会から私も委員として参加した。16人の委員のうち、3人が社会学者だった。 高レベル放射性廃棄物に関する政府の方針は地下300m以上の深さに埋設するというものだが、立候補する市町村がなく行き詰まっていた。どうすれば国民の納得を得られるのか、情報提供をいかにすべきか、原子力委員会は日本学術会議に助言を求めた。舩橋先生の当初からの企図は、「「なぜ、高レベル放射性廃棄物問題については、社会的合意形成が困難なのか」という根本から、問題を論じたい」「「リスクコミュニケーション」手法の洗練というレベルで論ずるべきではなく、エネルギー政策、原子力政策の見直しが必要というレベルで論じたい」ということだった。原発政策に批判的な立場の人々は、処分場の建設によって原発増設が野放図に拡大することを怖れていた。社会的な合意を形成するためには、放射性廃棄物の総量管理、放射性廃棄物の上限を設定することが不可欠だというのが、舩橋先生のアイデアだった。
 さまざまな立場の委員から構成されていたが、福島第一原発事故が結果的に後押しをすることにもなり、舩橋先生が当初から展望していたような構図での回答ができあがった。「本提言は、原子力発電をめぐる大局的政策についての合意形成に十分取組まないまま高レベル放射性廃棄物の最終処分地の選定という個別的課題について合意形成を求めるのは、手続き的に逆転しており手順として適切でない、という判断に立脚している」。「従来の政策枠組みをいったん白紙に戻すくらいの覚悟を持って、見直しをすることが必要である」(p.iii)。地震が多発し、地層の安定性や地下水の影響などが不安視される日本で、いきなり地層処分するのは無責任であり、当面は暫定保管するしかないという手厳しい回答が2012年9月に発表され11)、画期的な提言として、原子力政策に批判的な人々からも高い評価が得られ、社会的にも大きな反響を得た。
 2012年の回答をふまえて、2013年5月からフォローアップ委員会が設置され、社会的合意形成のためにさらに具体的な検討がなされた。舩橋先生は技術分科会と社会分科会の橋渡しに努力され、社会分科会の報告12)の取りまとめにあたられた。報告がまもなく完成する矢先の急逝だった。
 この2つの委員会を通じて、舩橋先生は、中途半端に妥協することなく、考え方や立場を異にする委員をも粘り強く論理的に説き聞かせるというスタイルで一貫されていた。舩橋先生にとって、高レベル放射性廃棄物問題に関する「公論形成」の真摯な実践が両委員会だった。

6. 日本社会学会の震災情報連絡会をはじめとした震災関連の社会学者の研究を「横につなぐ」活動がある。舩橋先生は、震災発生当時、日本社会学会の研究活動委員会委員長だったが、率先して、社会学を中心とした大震災関連の研究を横につなぐプラットホームづくりを呼びかけられた。田中重好・正村俊之氏とともに『東日本大震災と社会学−−−−大震災を生み出した社会』(2013年、ミネルヴァ書房)を刊行され、引き続き、田中氏との監修によるシリーズ「被災地から未来を考える」全3巻(有斐閣)を企画された。第1巻『原発震災と避難――原子力政策の転換は可能か』の終章として「新しい社会へ――脱原子力と被災地再建」を執筆される予定だった。
 このタイトルが示すように、東日本大震災と福島原発事故を、日本社会の転換点とすべく闘っておられた。その闘い半ばで急逝されたことほど、口惜しく残念なことはない。
 このように整理してみると、東日本大震災と福島原発事故を契機に、先生が自ら引き受けられた課題の大きさと重さがあらためて確認できる。しかも決して孤軍奮闘されたのではない。先生は卓越した組織者であり、これらの課題それぞれに最適のチームづくりに努められ取り組まれた。他人任せにすることなく、それぞれの課題に率先して垂範された。
 私たちに課せられた責務は、先生の遺志を引き継ぎ、闘い続けることである。先生の眼光を思い浮かべながら、自戒を込めて、いつまでも倦むことなく銘記したい。
 「君は闘っているか」。           合掌。


1)宮本憲一「君は、闘っているか−−−−人権の護民官、田尻宗昭氏を悼む」『公害研究』第20巻2号,1990: 1)。
2)総合資源エネルギー調査会電力・ガス事業分科会原子力小委員会放射性廃棄物WG「放射性廃棄物WG中間とりまとめ」(2014年5月)
3)長谷川公一「意志の人」『環境社会学会ニューズレター』No.60(2014年11月)
4) 長谷川公一「雷鳴が遠ざかる」『ソキエタス』第34号(2015)
5)舩橋晴俊「法政大学サステイナブリテイ研究教育機構閉鎖にあたって」
6) 舩橋晴俊「サステイナブリテイ研究の方針」
7) 舩橋晴俊「刊行にあたって」および堀川三郎「舩橋晴俊先生と世界社会学会議横浜大会」(伊藤公雄編, 2015, 『日本の社会学の国際化加速に向けて――2014年世界社会学会議横浜大会の経験』(2010−2014年度「日本における社会学教育・研究の国際化の加速をめざす総合的研究」研究成果報告書(基盤研究A・課題番号22243038), 京都大学)pp.106-7。
8)細川弘明「『原発ゼロ社会への道』をともに普請して」を参照(『環境社会学会ニューズレター』No.60(2014年11月) .
9)参議院会議録情報第186国会外交防衛委員会第11号(2014年4月25日)
10)日 本 学 術 会 議 社会学委員会東日本大震災の被害構造と日本社会の再建の道を探る分科会「原発災害からの回復と復興のために必要な課題と取り組み態勢についての提言」(2013年6月27日)。同, 「東日本大震災からの復興政策の改善についての提言」(2014年9月25日)

11)日本学術会議「回答 高レベル放射性廃棄物の処分について」(2012年9月11日)
12)日 本 学 術 会 議 高レベル放射性廃棄物の処分に関するフォローアップ検討委員会 暫定保管と社会的合意形成に関する分科会「報告 高レベル放射性廃棄物問題への社会的対処の前進のために」(2014年9月19日)

2015年2月20日