東北大学文学部創立80周年、おめでとうございます。 同じ国立大学文学部のお仲間として、そして学問研究上のライバルとして、 心からお祝い申し上げます。
1877年に発足した東京大学文学部は、東北大学文学部よりほぼ半世紀早く スタートいたしましたが、あたかも東北大学文学部が誕生した翌年の1923年に 関東大震災で校舎と蔵書の全てを失い、再スタートを切ることを余儀なく されました。そこから起算いたしますと、東北大学文学部と東京大学文学部の 80年の歩みはちょうど重なることになります。
東京大学文学部から見た東北大学文学部の印象を一言で表すとしたら、 「重厚」という言葉が最も適切であるように思われます。「研究第一主義」を スローガンに、時流におもねることをせず、長い時間をかけて地道な基礎的研究を 積み重ね、最終的には、後世に残る学問的価値の高い膨大な業績を世に問うと いうのが、東北大学文学部の学風であり、そのことは、東北大学文学部が過去に 多くの学士院賞受賞者を含む優れた研究者を輩出され、かつその方たちの業績が 現在もなお参照され続けているということに、如実に示されております。「重厚」 という言葉は、産業界においては近年むしろマイナス・イメージを持つ言葉と なってしまいましたが、100年単位でものごとを考え10年単位で仕事をすることを 本来の在り方とする人文学の世界においては、いまなお最も重視されるべき 学問態度であると、私は思っております。東北大学文学部が、世の流行に流される ことなく、そのよき学問的伝統を堅持されることを願ってやみません。
個人的なことになりますが、私はかつてお隣の東北大学法学部に15年間、 助教授として奉職いたしました。1987年に東京大学文学部に移りましたが、東京に 移ってはじめて、仙台および東北大学のよさが分かった気がしております。仙台 および東北大学のよさは沢山ありますが、研究者にとって最も重要なのは、 おそらく東京との適切な距離でありましょう。東京はたしかに日本で最も情報の 集まる所であり、かつ研究者の最も多い場所です。しかし、東京におりますと、 研究者との付き合いに振り回され、あるいは情報の洪水におぼれ、研究者は えてして自らの研究のペースを見失い、時間と手間をかけた大きな仕事ができなく なる傾向があります。その点、東北大学の研究者は、自分のペースで付き合いや 情報を取捨選択することが可能です。東京で開かれる研究会が、もしも自分の 研究にプラスになると思えば新幹線で日帰りすることも可能ですし、逆にもしも プラスにならないと思えば、出席を断ることは容易です。東京から新幹線で2時間 足らずという距離は、研究者が情報の洪水に溺れることもなく、情報の不足に喘ぐ こともなく、自らのペースを守りつつ研究を進める上で、最適の条件を提供して いるように思われます。東北大学文学部の皆様が、このよき条件をフルに生かして、 それぞれの分野で重厚な業績を挙げられることは、私ども東京大学文学部の 研究者にとって何よりの自己反省の機会を提供してくれます。その点からしても、 東北大学文学部のさらなる発展をお祈りする次第です。
やがて1年半後には、国立大学の法人化が待ち受けております。国立大学 法人化の未来像はいまだ不明な部分が多いものの、社会連携や産学官連携といった スローガンに象徴されるように、改編の過程で、理系にしても文系にしても、 実学的要素の大きい領域が有利な立場に立つであろうことは、ほぼ確実に予想が つきます。そうした中で、虚学中の虚学である基礎人文学をいかにして守るかと いうことは、全ての文学部が共通に直面する難問です。今年創立80周年を 迎えられた東北大学文学部が、20年後に創立100周年を無事祝うことができる ためには、東北大学文学部のみならず、全ての国立大学文学部がスクラムを組み、 文学部が存在することの意味を社会に対して発信していく必要があるでしょう。 まさにその意味で、東北大学文学部と東京大学文学部は、今後、これまでにも 増してよき仲間であり、よきライバルであり続けたいと念じております。