下記は2009年版です。2010年版は準備中です
野家 啓一

 のえ・けいいち 選考委員長・東北大学理事、附属図書館長
 1949年宮城県仙台市生まれ。哲学者。専門は科学哲学・現代哲学。仙台一高から東北大学理学部入学。同大卒業後、東京大学大学院理学系研究科で科学史・科学基礎論を学び、同博士課程中退。南山大学講師、プリンストン大学客員研究員を経て、1981年東北大学文学部助教授、同教授となる。主著に『物語の哲学』(岩波現代文庫、2005年)、『[増補]科学の解釈学』(ちくま学芸文庫、2007年)、『パラダイムとは何か』(講談社学術文庫、2008年)など。2005年10月より日本学術会議会員、同哲学委員会委員長。趣味は登山・俳句。

~高校時代の思い出~

 高校時代は蛮カラな校風で知られる男子校で過ごし、通学は高下駄に腰手拭といった出で立ちでした。出版部(新聞部)に所属して校内新聞の編集に携わりましたが、一年上に小池光さん(歌人、仙台文学館館長)らがおられ、彼らと薄暗い部室で夜遅くまで議論を闘わせたことが、現在の自分の基盤になっている気がします。

~高校生へのメッセージ~

 皆さんは阿部次郎の『三太郎の日記』という本をご存じですか。おそらく読んだ方は少ないでしょうが、昔は高校生や大学生の必読書でした。少し難しいのですが、青田三太郎という人物を主人公に、青年期の苦悩や憂愁を率直に書き綴ったエッセー集です。もちろん、現代の高校生には現代なりのさまざまな悩みや愁い、それにもまして喜びや感激があることでしょう。ぜひ21世紀にふさわしいフレッシュな『三太郎の日記』を読みたいと思います。一昨年・昨年に引き続き、本年も力作が寄せられることを期待しています。

佐伯 一麦 第3回ゲスト選考委員(これまでのゲスト選考委員LinkIcon

さえき・かずみ 作家
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 1959年宮城県仙台市生まれ。作家。仙台一高を卒業後上京して、週刊佐伯先生.jpg誌記者、電気工などとして働くかたわら小説家を志す。1984年「木を接ぐ」で海燕新人文学賞を受賞してデビュー。1991年『ア・ルース・ボーイ』で三島由紀夫賞、2004年『鉄塔家族』で大佛次郎賞、2007年『ノルゲ』で野間文芸賞などを受賞。2007年にはアスベストの被害を追ったルポルタージュ『石の肺』を刊行した。ペンネームは麦畑を多く描いたゴッホにちなむ。

~高校時代の思い出~

 水泳部に所属して、専ら図書館で本を読んでは、疲れるとプールにつかるという優雅な日々。また文芸部にも所属して、ガリ切りの同人誌も発行した。当時は文芸評論家志望で、主に戦後派に関する評論を執筆した。

~高校生へのメッセージ~

 君が都会にいようと、地方にいようと、何処にいたとしても、書いているものの力で直接世界と取り引きするのが文学であり、哲学である。君がいまいるありふれた場所そのものが、実は世界のまっただなかであり、思考し描くに足る対象物なのだ。

西川 善久

 にしかわ・よしひさ 河北新報社常務取締役編集本部長
 1948年東京都生まれ。開成高校、早稲田大学政経学部卒業。1972年河北新報社入社。特報部長、石巻総局長、報道部長、編集局長などを経て2009年4月から現職。スパイクタイヤ追放キャンペーン、考えよう農薬・減らそう農薬キャンペーン、世界のコメ作りから日本のコメ作りを問い直す連載企画「オリザの環」などの取材にかかわった。趣味は渓流釣り。

~高校時代の思い出~

 週末に印旛沼、霞ヶ浦などに1人で出掛けフナ釣りしていました。外国文学の長編ものを徹夜で読破したのも楽しい思い出です。

~高校生へのメッセージ~

 エッセーの執筆をとおして自分と向き合い、自分の中で対話する楽しみを見つけてください。高校生ならではの感性あふれる作品を期待しています。

花登 正宏

 はなと・まさひろ 東北大学文学部長・阿部次郎記念館長
 1947年京都市生まれ。専門は中国語学。古代中国語の字音研究、中国辞書史研究に従事。同志社高等学校に学び、大阪外国語大学中国語学科卒業、東北大学大学院博士課程中退。山形大学人文学部助教授、大阪市立大学文学部助教授などを経て、1994年より東北大学文学部教授。主著に『古今韻会挙要研究ー中国近世音韻史の一側面』(汲古書院)。

~高校時代の思い出~

 私立のミッションスクールに学びました。まことに自由な校風で、のびのびした3年間を過ごしました。ここで、聖書と論語という東西の英知に触れたことで、今のわたしがあるように思います。

~高校生へのメッセージ~

 「孜孜不怠(孜孜(しし)として怠(おこた)らず)」という言葉があります。勤勉に努力して、いささかも怠ることがないと言う意味です。努力という言葉は、近頃何か泥臭い、かっこわるい言葉のように思われていますが、決してそのようなことはありません。高校生である今は、将来大きく羽ばたくために、足元を固めてじっくりと、そしてたゆむことなく努力し、自分と言うものを豊かにする時期です。大切に過ごしてください。

長谷川 公一

 はせがわ・こういち 東北大学文学部教授
 1954年山形県上山市生まれ。社会学者。最近は地球温暖化問題などの環境問題の発生・深刻化の社会的メカニズムや市民レベルでの対応策などを主に研究している。山形東高校に学び、東京大学文学部卒業、同大学大学院博士課程単位取得退学。東京大学文学部助手、東北大学教養部助教授などを経て、1997年から東北大学文学部教授。主著に『環境運動と新しい公共圏』(有斐閣、2003年)など。阿部次郎文化賞受賞(2008年)。趣味は俳句。

~高校時代の思い出~

 高校時代は、作家志望で文芸部に所属し、小説のストーリーを夢中で考えていました。スイカの名産地尾花沢から、片道約2時間近い列車通学でした。車窓の月山を望み、春の桜桃の花・林檎の花に始まって、収穫の秋、やがて雪景色。沿線の四季の移り変わりをぜいたくに楽しんだ高校時代でした。

~高校生へのメッセージ~

 石川啄木や宮沢賢治にとっての岩手山、太宰治にとっての岩木山のように、作家や詩人の心を育んだ名山があります。酒田市にある阿部次郎の生家(現在・阿部記念館)をたずねると、道路の北側正面に鳥海山が、南側背面には月山が見えます。つまり鳥海山と月山を結んだ線上に、次郎の生家はあるのです【リンク・北の旅人 阿部次郎】LinkIcon。幼少年期の次郎は、そして長じて帰省するごとに、彼は、生家から鳥海山を仰ぎ、振り返っては月山を見たことでしょう。「まさに海に入らうとする最上河とその周囲に発達せる平野は、鳥海山と月山の中央山脈の山塊を盟友として、幼い私の魂をその懐の中に育ててくれたのである」と次郎自身が記しているように(「最上河」)、阿部の人格主義や多くの弟子たちに慕われた高潔な精神は、最上川や庄内平野とともに、鳥海山や月山によって育まれたものです。
 君にとっての精神的なふるさと、心のよりどころはどこですか。君の心を育んだ原点を綴ってみましょう。
 第1回第2回以上に、みずみずしく意欲的な作品を期待しています。

岩田 美喜

 いわた・みき 東北大学文学部 准教授
 1973年北海道札幌市生まれ。英文学者。宮城県第一女子高校に学び、東北大学文学部卒業。2001年東北大学大学院修了・博士(文学)取得の後、日本学術振興会特別研究員を経て、2003年より東北大学大学院で教鞭を執る。専門は英国・アイルランド演劇全般だが、最近は近代の英語演劇におけるアイルランド人表象の文化を主に研究している。主著は『ライオンとハムレット—W.B.イェイツ演劇作品の研究』(松柏社、2002年)、『ポストコロニアル批評の諸相』(共著、東北大学出版会、2008年)など。趣味は旅行と油絵を描くこと。

~高校時代の思い出~

 快晴だったというだけの理由で通学途中に一人でハイキングに行ったこと、授業中にこっそり読んでいた小説に泣き出したこと、運動部のかけ声を遠くに聞きながら、テレピン油の臭いが籠もった美術室で黙々と絵筆を走らせたことなど、高校時代の思い出は五感に訴えるものばかりです。

~高校生へのメッセージ~

 かつて、アイルランドの詩人W.B.イェイツは、パリで知り合った同国人のJ.M.シングに故国の離島での生活を薦めて、「これまで語られることのなかった生活を語りなさい」(express a life that has never found expression)と述べたそうです。皆さんも、自分の経験や思考としっかり向き合い、自分の中にある「これまで表現されてこなかったもの」を私たちに表現してください。そして、私たちを驚かせてください。なお、私のように堕落して、イェイツの言葉を借りたりしては、いけませんよ。