2003年度東北大学日本思想史研究会夏季セミナーのご案内

終了しました


 拝啓
 時下、皆様におかれましては益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
 今年度の日本思想史研究会夏季セミナーは下記の要領で実施することとなりました。ご多用中とは存じますが、お誘い合わせの上奮ってご参加下さいますようご案内申し上げます。なお、参加の申込みにつきましては、電子メールにて、8月8日までにお知らせ下さいますようお願いいたします。

敬具 
2003年7月18日
日本思想史夏季セミナー実行委員会

期日:
2003年8月23日(土)
午後1時30分現地集合
24日(日)
午後3時00分現地解散
会場: 福島県土湯温泉 観山荘
 福島市土湯温泉町字見附25
 TEL(024)595-2026/FAX(024)595-2716
 http://www.naf.co.jp/kanzanso/welcome.stm
内容: テーマ「中央と地方」発表50分、質疑40分

8月23日(土)
 1 鈴木啓孝氏(東北大学大学院生)
  コメンテーター 渡辺和靖氏(愛知教育大学)

 2 高橋章則氏(東北大学大学院)
  コメンテーター 有馬毅氏(東北大学大学院生)

8月24日(日)

 1 市川浩史氏(群馬県立女子大学)
  コメンテーター 和田有希子氏(東北大学大学院生)

 2 冨樫進氏(東北大学大学院生)
  コメンテーター 佐藤勢紀子氏(東北大学大学院)

 3 全体討論


参加費: 全日程参加:
一日参加:
15,000円(宿泊費・飲食代、開催経費等込み)
 1,000円(宿泊無し、会場費)

問い合わせ先

日本思想史夏季セミナー実行委員会
(高橋哲・石澤理如・岩松宏典・有馬毅)

〒980-8576
 仙台市青葉区川内東北大学大学院文学研究科
日本思想史研究室内
 TEL/FAX(022)217-6067
 URL:http://www.sal.tohoku.ac.jp/shisoshi/

交  通

  往 路

○東京方面から―東北新幹線で福島へ
東京
上野
大宮
福島
Maxやまびこ49号 10:16→ 10:22→ 10:42→ 11:56
Maxやまびこ109号 10:32→ 10:38→ 10:58→ 12:19
○仙台から─東北本線上り列車で福島へ
仙台 福島
普通列車 09:51→ 11:22
快速列車 11:06→ 12:19
○東北新幹線で福島へ
仙台 福島
Maxやまびこ110号 11:08→ 11:45
やまびこ52号 11:53→ 12:19
※電車の時刻は全て7月現在ですので、各自お確かめ下さい。
※福島駅西口4番乗り場付近にて会場から迎えのバスが待っています。(12時30分発車)
○福島駅から観山荘へ
 福島駅東口7番乗り場 土湯温泉見附(終点の一つ手前)で下車。
 760円程度 所要時間約40分
 土曜日バス時刻 11:30 12:30 13:40


  復 路
東京行新幹線 
仙台行新幹線 
仙台行列車   
16:09 16:33 16:45 福島発
15:56 16:19 16:56 福島発
16:08 16:31 福島発


発表要旨並びに参考文献(発表順)


鈴木 啓孝氏
「明治初期の大学生にみる「中央」と「地方」―司法省法学校第2期生における〈自己〉意識の諸相」

 陸羯南・原敬など、近代日本に重きをなす人物が数多く在籍していたことで知られる司法省法学校の第2期生。明治初年において、まずはじめに日本という中央集権国家を作為したのは、戊辰戦争に勝利し当局者となった藩閥官僚達である。その作為の一環として司法省法学校は設立された。

 全国に散らばる各々の故郷を出て、東京に集い、難関を突破して法学校生となった彼らは、まぎれもないエリートであった。官立の学校によって国家のエリートたることを認められた彼らは、そのことによって必然的に、国家のため一生を捧げることを自らに誓うはずだった。当局者の一方的な命令に従ってさえいれば、中央官僚というエリートとしての自己を享受できる。それは地方出身の若者達にとって考えられる最善の自己像である。立身出世の第一関門を突破した彼らは、引き続いて、現状に満足しなければならない……はずであった。

 ところが、彼らの内面では釈然としないものが渦巻いていたのである。そのとき、羯南や原敬の退学事件として知られる「賄騒動」が起こった。結果、放校されてしまった面々は、国家のエリートとして、決定的な挫折を余儀なくされたのである。

*          *          *

 放校後、陸羯南と原敬は新聞記者となった。彼らの初期論文や書簡にあらわれた〈自己〉像から、明治初年における「中央」と「地方」を考えたい。後に「明治ナショナリズム」として大成することになる思想の原点がそこにあると考えられるのだ。

参考文献
  •  小田切秀雄編 『近代日本思想史講座6 自我と環境』筑摩書房 1960
  •  渡辺和靖 『明治思想史』 ぺりかん社 1978
  •  手塚豊 『明治法学教育史の研究〈手塚豊著作集9〉』慶応通信 1988
  •  小山文雄 『陸羯南――国民の創造』 みすず書房 1990
  •  中野目徹 『政教社の研究』 思文閣出版 1993
  •  山本四郎 『評伝原敬〈上〉』 東京創元社 1997
  •  木村直恵 『〈青年〉の誕生』 新曜社 1998



高橋章則氏「型紙と版本と」

 江戸期における「書物」蓄積の方法として考えられるのは、書肆からの購入・(知人や貸本屋からの)借用本の書写・自著の作成などであるが、そうした「書物」蓄積には様々な偏差がある。「知」的関心の差異や経済的な基盤の大小などによって、「書物」との関わりが大きく異なるからである。

 「書物」偏重の一方の極をなすのが、文献考証を学問的営為の中心に据える考証学者や国学者などの場合であり、彼らにとって「書物」の蓄積と整備とは学問的営為そのものと言ってもよく、経済的負担をものともせずに「書物」収蔵に血眼になっていたのである。

 そうした「個」に起因する偏差とともに見逃しがたいのが、地域的な差異に基づく偏差である。

 代表的な出版書肆や大規模な貸本屋等が存在しない三都以外の地域では、多様な「書物」の蓄積には困難さが伴った。その困難を克服するためには、出版目録を活用したり諸種の流通手段を確保したりするなどの工夫が必要であり、それなしには十全な「書物」の「享受」は難しかったのである。

 さて、本報告が扱う江戸期に現在の福島市北部に住んだ国学者内池永年(1762〜1848)の場合には、名古屋の書肆永楽屋の江戸店との関わりが「書物」の獲得を容易にし、また本居宣長の鈴屋を継承した本居大平(1756〜1833)が師弟関係を背景として行った鈴屋国学関連書の「斡旋販売」も永年の「書物」蓄積を支えていたのである。そして、後者のいわば国学学統の出版戦略を東北の地において支えていた人物が、伊勢白子の型紙行商人沖安海(1783〜1857)であった。

 型紙販売を「生業」とする国学者安海は、やはり商業を「生業」に持つ永年に、経済的な情報を与えたばかりではなく、「書物」を通じた「知」の情報をも多くもたらしたのである。こうした「知」の「仲介者」安海の活躍の場は、同学同門の永年の住する福島のみならず、彼の保有する行商圏全体に及んでいたと考えられる。われわれはその好例を宮城県北部地域に見いだすことができるのである。

    参考文献
  • ロジェ・シャルチエ『読書の文化史』(新曜社)1992
  • 同『読書と読者』第三章「出版戦略と民衆の読書」(みすず書房)1994
  • ピーター・バーグ編『ニュー・ヒストリーの現在』序章・第七章(人文書院)1996



市川浩史氏「中世における京都と鎌倉をめぐる問題」

 日本中世の「中央」と「地方」という問題について考えるとき、とりあえず二つの設定が可能であろう。ひとつは、日本の内部での「中央」と「地方」、いまひとつは日本の外のそれ、である。後者は、三国世界観に示される思想的状況が相当するであろうが、今回は前者の設定で考えてみたい。

 日本の内部の「中央」とはおそらくどのような領域を想定するとしてもやはり京都をさすと考えるのが穏当であろう。京都に対するのは、平泉などを含む北の周縁部、南の周縁部、そして鎌倉などが考えられる。すでに共通の認識となっている中世日本の領域観によれば、北は陸奥国外が浜から南は薩摩潟鬼界が島までである。そこで、この長い日本列島の中世において(1)京都対鎌倉(関東)という政治的対立軸と(2)陸奥国外が浜から鬼界が島までという地理的な枠組みとがどのように関連するのか、という問題が新たに浮上してくるように思われる。相対的なことがらである(1)と地理的・客観的な意味をもつ(2)というふたつの言辞は日本列島上に展開し、存在している<日本>という国家とその国土の観念が形成されていたことを意味するだろう。

 本報告では、(1)と(2)との関連について(可能であれば、三国世界をも含めて)、具体的には説話や日蓮の発言などを手がかりとして考えてみたい。

    参考文献
  • 大石直正「外が浜・夷島考」(関晃先生還暦記念『日本古代史研究』吉川弘文館、1980、所収)
  • 村井章介『アジアのなかの中世日本』(校倉書房、1988)
  • 市川「「末法」から」(『日本文学』49-7、2000)
  • 市川「日蓮の「内なる三国」」(同『日本中世の光と影─「内なる三国」の思想』ぺりかん社、1999、所収)
  • 市川「「四箇格言」の意味─日蓮と念仏」(福神研究所編『日蓮的あまりに日蓮的』太田出版、2003)
  • 市川『吾妻鏡の思想史─北条時頼を読む』(吉川弘文館、2002)



冨樫進氏「平安時代の東国における「都市」・「地方」観―『将門記』を中心に」

 本セミナーのテーマ「都市と地方」という分析概念に即して言えば、軍記物語『将門記』に描き出される将門の乱の経緯とは、天皇家に対する一種の反逆であると同時に、「都市」平安京に対する一「地方」坂東からの挑戦であると位置づけることができる。本書では平安京は「花」という語で修飾され(例;花城)、「花」の平安京と「夷」の坂東という構図が垣間見えるものの、「夷」たる坂東を未開の地とする認識は見出せない。この点は、『将門記』において「花」の平安京における優位性・先進性が必ずしも意識されていなかったことを示していると考えられる。

 それでは、坂東において「花」の都の存在が意識されるのは如何なる時か。この問題を考える際、『将門記』における将門への評価は注目される。『将門記』前半部分での将門は理知に長け、神仏の加護を受ける理想的な武士像として描かれるが、後半部分、将門が「公」たる天皇に対し坂東の地において「私」に王権樹立を図る場面を境にその評価はマイナスへと転じ、最終的に将門は死後に三悪趣に堕ちたとされている。このような点から、『将門記』における都市―地方観とは「公―私」観、換言すれば王権論との関わりにおいて初めて意識されるのではないだろうか。

 本報告では、『将門記』における王権論と都市―地方観との関わり、また『将門記』における都市―地方観が当時の東国においてどれだけ普遍性を有するものであり得たのかという点を検討したい。

    参考文献
  • 高橋富雄「みやことひなの論理」(『季刊日本思想史』3 1977年5月)
  • 村井章介「王土王民思想と九世紀の転換」(『思想』847 1995年1月)
  • 前田雅之「「東」・「東国」への視線―〈見られた〉像を見ること―」(『説話文学研究』33 1998年7月)
  • 京樂真帆子「首都の言説―周縁から中心へ、中心から周縁へ」(脇田晴子 アンヌ・ブッシィ編『アイデンティティ・周縁・媒介』所収2000年 吉川弘文館)



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