2006年度日本思想史研究会月例会報告要旨(予告)




開催日 報告者     題 目
4月22日 二宮 康裕 「「金次郎の自伝」を編む ―金次郎の一族観と本家復興仕法―」

黒崎史朋子 「遠州の茶の湯における和歌」
5月13日 崎山 隆則 「漱石と禅」

多湖 浩平 「藤岡作太郎における平安時代文学観について」
6月10日 小泉 礼子 「源信の念仏思想−念仏実践の活動をめぐって−」

谷村ふみ子 「草木成仏思想における「即」の論理」
7月15日 北原かな子 「明治初期津軽の洋学教育とその思想的背景―私学東奥義塾の草創期を中心に― 」
11月18日 渡辺麻里子 「天台の学僧尊舜における狂言綺語観について」
12月23日 伊藤雄志 「山路愛山と井上哲次郎の神道論−天照大神信仰をめぐって−」
1月13日 オリオン・クラウタウ 「宗教と社会構想−近世仏教堕落論の歴史的意義」
2月10日 修士・卒業論文発表会 リンク参照



4月例会報告
◎二宮 康裕「「金次郎の自伝」を編む ―金次郎の一族観と本家復興仕法―」

 金次郎は両親を病で失い、その後も洪水で所有の田畑は荒地と化し、兄弟生き別れとなる悲哀に見舞われながら、自家の復興に努めていた。しかし、金次郎の思いは、自家の復興途上にも拘わらず、本家再興に向かっていた。この不可思議とも思える金次郎の思惟を探るには、金次郎自身の遺した、日記・書簡・仕法書等を繙くにまさるものはないだろう。彼のその場その場における思いと行為をこれらの資料から再現したいと考える。

◎黒崎史朋子「遠州の茶の湯における和歌」

 近世初期の大名茶人、小堀遠州の和歌への関心は「きれいさび」の茶の一断片、彼の「王朝趣味」の一端としてしばしば言及されるが、遠州作の和歌作品や、和歌が彼の茶に果たした役割など、議論され尽くしたとは言いがたい。
 今年度提出する修士論文では、遠州の茶の理論と実践に和歌が深くかつ有機的に関わっていた可能性を探ることを考えている。本報告では、上記の課題に取り組むための一方法として、遠州の茶会記の分析を試みる。

 日 時 :4月22日(土)13時より
 場 所 :文学部 610演習室(6F)

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5月例会報告
◎崎山隆則「漱石と禅」

 小説家夏目漱石(1867-1916)は、講演「現代日本の開化」(1911)において、西洋の「内発的」文明に対し、日本の文明は「外発的」であると批判的に語った。彼こそは、近代的自我の獲得を目指す当時の人々とは異なり、日本という場においてそれを成し遂げることの難解さを認識していたであろうと、発表者は考えている。
 本報告では、特に彼が接近した禅について、上記の問題意識のもとに考察していきたいと考えている。

◎多湖 浩平「藤岡作太郎における平安時代文学観について」

 藤岡作太郎は、明治30〜40年代に、芳賀矢一とともにアカデミズムの中心で活躍した国文学者である。この藤岡が説き出した平安時代文学観は、芳賀をはじめとする先行する国文学者たちのそれとは位相を異にするものであり、平安時代文学史叙述における新たな地平を開くものであった。本発表では、「国風文化」として語られる特権的平安時代文学観創出の一つの階梯を浮き彫りにすると同時に、そうした事態がこの藤岡において担われたことの要因を考察する。

 日 時 :5月13日(土)13時より
 場 所 :文学部 610演習室(6F)

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6月例会報告
◎小泉 礼子「源信の念仏思想−念仏実践の活動をめぐって−」

 源信(942〜1017)の思想に関してはすでに多くの研究がある。しかしそのほとんどは彼の教学的側面の研究であり、念仏講活動などの彼の実践的側面に関してはいまだ考察されるべき点が多く残されていると思われる。そこで修士論文においては、源信の実践活動に焦点をしぼり、それが何を目指し、どのような背景的教義に基づくかを考察し、源信の念仏思想を捉えなおしたいと考えている。例会では修士論文の構想を含め、その内容の一部を発表したい。

◎谷村ふみ子「草木成仏思想における「即」の論理」

 日本において草木成仏思想を最初に打ち出したのは、平安初期の最澄と空海だとされる。「草木成仏」と「即身成仏」との思想的関連は、明治期に始まる学術的研究の初期から指摘され、最近では「本覚思想」の枠組みのなかで「現世肯定的」思想と捉えられている。本発表では、「現世肯定的」であるということは必然的に生命現象の生生流転の性質、つまり時間的変容の肯定が内包されているという観点をもち、そこに働く「即」の論理との関連から草木成仏思想について考察する。

 日 時 :6月10日(土)13時より
 場 所 :文学部 610演習室(6F)

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7月例会報告
◎北原かな子「明治初期津軽の洋学教育とその思想的背景―私学東奥義塾の草創期を中心に―」

 明治5年に旧弘前藩学校の後身として開学した東奥義塾は、洋学教育による人材育成で、津軽地方や青森県内に強い影響力を持った学校である。その一方で、招聘した外国人教師たちが皆キリスト教宣教師であったことから、同校ではキリスト教や政治、人権思想の普及を巡って様々な葛藤も生まれ、時には政府の弾圧を受けることにもなった。
 本報告では、同校草創期の歴史を辿ることで、文明開化期日本の一地方に展開した教 育の在り方について述べると共に、その思想的背景について考察する。

 日 時 :7月15日(土)14時より
 場 所 :文学部 610演習室(6F)

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11月例会報告
◎渡辺麻里子「天台の学僧尊舜における狂言綺語観について」

 狂言綺語観については、仏教と和歌、僧侶と和歌の関係を考える上での重要性から様々に議論が重ねられてきたが、本発表では、学僧における狂言綺語観に注目する。尊舜(一四五一〜一五一四)は、『津金寺名目』、『玄義私類聚』、『二帖抄見聞』、『鷲林拾葉抄』などの著者として知られ、学者として重要な位置を与えられていると同時に、和歌を用いた注釈を行う。こうした学僧にとっての和歌の意義や、狂言綺語観について、狂言綺語を論じた論義注釈書『尊談』を用いつつ、検討してみたい。

 日 時 :11月18日(土)14時より
 場 所 :文学部 610演習室(6F)

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12月例会報告
◎伊藤雄志「山路愛山と井上哲次郎の神道論−天照大神信仰をめぐって−」

 戦後史学界を代表する津田左右吉の日本神話の批判的研究については、これまで多くの歴史家が論じてきた。ところが、津田よりも早い時期から明治大正時代の史論家山路愛山が、日本神話の批判的研究に着手していたことは注目されてこなかった。本発表で山路愛山と彼の論敵井上哲次郎の神道論を比較検討し、津田に先立って山路が日本神話の国家主義的解釈を批判し、学問・思想の自由を擁護した先駆的知識人であったことを論じたい。

 日 時 :12月23日(土)14時より
 場 所 :文学部 610演習室(6F)

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1月例会報告
◎オリオン・クラウタウ「宗教と社会構想−近世仏教堕落論の歴史的意義」

 近世仏教堕落論」とは、近世における仏教が他の時代よりも堕落したものであるとみなす言説とされている。その「祖」と認識されるのは辻善之助(1877-1955)であるが、辻が近世仏教に関する主張を発表した時には、それが強力なものとなる、あらゆる要素が整えられていた。本発表は特に、明治初期の「新仏教運動」より、堕落論がより体系化された形で見出される、辻の『日本仏教史之研究 続編』(1931)の出版に至る時期に焦点を当て、堕落論の歴史的形成とその意義を考察するものである。

 日 時 :1月13日(土)14時より
 場 所 :文学部 610演習室(6F)

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2月例会報告
◎2005年度修士論文・卒業論文発表会

修士論文発表

黒崎史朋子    小堀遠州の茶の湯
崎山隆則     近代日本における「個人」と「共同体」─夏目漱石を中心として
多湖浩平     藤岡作太郎の思想史的研究
二宮康裕     二宮金次郎の思想とその形成過程─『三才報徳金毛録』に至る過程を中心に─



卒業論文発表

藤巻遼介     「転向」の思想史的研究
阿部かすみ    世阿弥の思想
梶沼彩子     木村鷹太郎の思想
佐藤哲也     日本人の地獄観 その受容と変化
武林美智子    家訓から読み解く戦国武将の精神構造
本宮康寛     貝原益軒の思想
吉川裕      服部南郭の絵画に関する思想について

 日 時 :2月10日(土)・11日(日)11時より
 場 所 :文学部 610演習室(6F)


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