吉水先生より一言

サンスクリット語を通してヒンドゥー文化のバックボーンに迫る


 二十世紀の末から,インドは経済的にめざましく成長しつつあります。十二億を超える人口の中で,活動的な若年層の占める割合は日本よりもずっと高く,貧困から脱して中流の仲間入りをした人々が増加しています。才能ある多くの人材が,IT産業をはじめとした,高度な知的活動を要求する先進的な分野で成功を収めて,国全体の発展を牽引しています。けれども,インド人の旺盛な知的活動は,インドが「新興国」と呼ばれるようになった二十世紀末になって,突然始まったのではありません。現代日本の映画やアニメは国際的に高く評価されていますが,これらは,世界に類を見ないほど洗練された日本の伝統的美意識に根ざしています。インドの場合その知的活動は,精密な思考と奔放な想像力とが両軸となって,三千年以上にわたって独自に育成され,第二次大戦後のイギリスからの独立を契機に,知的活動の門戸がより広い階層に開かれるようになり,さらに半世紀を経て,ようやくその成果が世界的に注目を集めるようになったのです。

 たとえば,近代以前の日本において,「源氏物語絵巻」など,貴族社会の生み出した,優れた美術品に日常接することのできた人々は,当時の社会全体でどれほどいたのでしょうか。けれども,そういう恵まれた人々は社会全体のごく一部であったにせよ,長い歴史の中での人的交流を通じて貴族文化が地方に広まっていく中で,日本各地で,中央の貴族文化に遜色のない芸術活動が起きてきたことは確かでしょう。近代以前のヨーロッパでラテン語がそうであったように,インドの伝統的な学術言語はサンスクリット語であり,中世のヒンドゥー教聖典や文芸作品の多くも,サンスクリット語で書かれています。このサンスクリット語による文化的伝統の中で,インド人の精密な思考と奔放な想像力は育まれてきました。確かに伝統的な社会の中で,学術・宗教・芸術のあらゆる分野にわたるテキストを,サンスクリット語を使って編纂し伝承したのは,司祭階級のバラモンと宮廷の上流階級,そして仏教やヒンドゥー教などの出家教団であり,社会全体の一部に限られます。しかしながら,このサンスクリット文化が地方に浸透していく中で,サンスクリット語のテキストを地方語に翻訳し,注釈を作ることを手がかりとして,地方固有の民衆文化が形をなしてきました。現代のインドを観光旅行しても,サンスクリット文化の担い手に遭遇することは稀ですが,サンスクリット文化が現代のヒンドゥー文化のバックボーンになっているということは,やはり否定できないでしょう。

 インド人の精密な思考と奔放な想像力の根底には,インド人独特の鋭敏な言語感覚があります。この言語感覚の古代における成果が,ヴェーダと呼ばれる,神々を讃える詩と祭式儀礼規定の集成です。このヴェーダの言語を精密に分析することから文法学が誕生し,紀元前4世紀のパーニニは,文法規則の立て方(メタ・ルール)にまで合理性を徹底した文典を完成しました。パーニニ文典が言語を扱う厳密さは,近代になってインドを「発見」したヨーロッパの地で比較言語学を誕生せしめたほど高度なものです。インドでは,文法学をひとつの模範として,他のさまざまな分野での学問の伝統が形成されました。また,古代のヴェーダ神話を脚色しながら民間信仰の要素を取り込んだヒンドゥー教の神話では,ヴィシュヌやシヴァなどの神々が,世界の創造や破壊を司るばかりでなく,様々な化身(avatāra,いわゆる「アバター」の語源)となって人間社会に現れ,社会の常識をひっくり返すほど奔放な行動をとります。独善的な勧善懲悪を超えて,他の世界宗教に類を見ないほど想像力豊かに増殖したヒンドゥー教神話は,やはり優れた言語感覚により,サンスクリット語の詩の形で聖典化されました。

 かつてインドは「神秘の国インド」と形容されていたこともありました。二十一世紀の現代ではこれを,もう少し正確に,「バーチャル・リアリティーの国インド」と言い直すことができるでしょう。精巧に仕組まれた言語を駆使して想像力豊かな物語を組み立て,それを頭脳の中に蓄積し投影して鑑賞するのです。パソコンもモニタもなしに,このような知的営為を三千年以上に渡って綿々と持続してきたことは,まさに驚嘆すべき事実です。第二次大戦後に,敗戦国日本が戦勝国アメリカに製品輸出することで急速な経済成長を遂げたのと同じように,現代のインドは,得意のI T技術を駆使して,欧米の先進国にソフトウエアとアウトソーシング(外部委託)のサービスを提供することで,経済的に飛躍しつつあります。今後当面の間,世間では,インドといえば,「どこのインド企業に投資すれば儲かるか」といった実利的な話題が関心を呼ぶことでしょう。しかしながら,日本がそうなったと同じように,やがてインドももはや「新興国」ではなく,真の経済大国になる時代が必ずやって来ます。そのときには,グローバル化する国際社会の中で,インドが独自の文化を保ちつつ経済大国となったことに,あらためて注目が集まることになります。そしてインド人の知的活動のバックボーンとして役割を果たしてきた,サンスクリット語の言語感覚に裏打ちされた伝統文化が,必ずや再評価されることになるでしょう。