リンクは自由!
『月刊言語』第32巻(2003)5月号, pp.61-65 掲載

ウェブ辞書の位置付け ―その長所と短所

後藤 斉


1.はじめに

本稿は、多様な広がりを見せつつあるウェブ上の辞書を概観しようとするもの である。ウェブ辞書といって多くの人が思い浮かべるものは、いわゆる ポータルサイトが提供する辞書検索サービスであろう。印刷物としては 有料で販売されている情報が無料で利用できることは考えてみれば不思議で あるが、ポータルサイトは利便性を高めることによって集客を図り、 辞書出版社は辞書のプレステージを高めることを狙っているのであろう。

語義を知るという一般的な使い方については、確かに利用価値がある。 特にウェブ上の文書を読みながら未知の単語の意味を調べる際には便利である。

しかし、ウェブ上に存在する辞書はこの種のものに限られるわけではない。 また、ウェブ上の辞書はウェブの性質からして印刷物とは違った特質を帯びても いる。ウェブ辞書がもつ特質、独自の存在意義はどこにあるのだろうか。

2.商業的辞書検索サイト

ウェブ上には、辞書出版社ないしその関連会社が提供する辞書検索サイトもある。 日本国内の代表的なサイトとしては、三省堂 WebDictionary (http://www.sanseido.net/)、 研究社 Online Dictionary (http://www.kenkyusha.co.jp/online-dic/on-dic1.html) があり、英語圏であれば Longman Web Dictionary (http://www.longmanwebdict.com/)や Bartleby.com (http://www.bartleby.com/)等が知られている。この種のサイトは有 料の会員制を取ることがむしろ普通である。

ウェブ辞書に限らず電子化辞書の最も大きな特長は、柔軟な検索が可能になる ところにある。冊子体の辞書の見出し語は、五十音順やアルファベット順などの 順番によって固定されており、それ以外の条件による検索は困難である。 電子辞書は、見出し語の後方一致検索といった冊子体では不可能な検索手段を 当然のように提供する。また多数の辞書を連携させて検索することも容易である。 もう一つの長所は文字だけでなく、音声情報や画像情報などマルチメディア性が 利用できることである。音声データや画像、アニメーションなどによって 従来の発音記号や挿絵に代わりより多くの情報を伝えることができる。

これらの長所をいかして、辞書検索サイトは同じ冊子体の辞書に基づいては いても、ポータルサイトで無料で提供されている検索サービスよりは総じて 高度な使い方ができるようになっている。ここには、冊子体の辞書に含まれる 情報の付加価値を高めることでことでビジネスのチャンスを広げようという、 出版社側の意図がうかがわれる。また、(語学辞書より特に百科事典で問題に なることだが)改訂のコストを抑えることも狙っているようである。

とりわけ ジャパンナレッジ (http://www.japanknowledge.com/)は、小学館を中心に 数社の語学辞書、百科事典、用語辞典等を利用して、単なる辞書検索サイトではない 「『天下無双の百科空間』をネット上に構築する一大プロジェクト」であることを 謳う意欲的な試みである(『日本国語大辞典』は2004年にサービス開始との 情報がある)。つまり、この種の辞書検索サイトは、単発的な単語の検索のためと いうよりは、利用者の知的活動の向上に資すべく継続的に利用されるサイトを 志向しているようであって、実際、教育機関や図書館向けに特別の料金体系も 設定される。このようなサービスが利益をもたらすビジネスモデルとして長期的に 成り立つかどうかの考察は本稿の域を越えるが、「ネット上のものは何でもタダ」と 考えがちな風潮をどのように打破できるか、また単語の意味を調べる以上の 辞書の活用法をどれだけ利用者にアピールできるか、がポイントになるであろう。

なお、電子辞書にはデジタルデータの可搬性から来る長所もある。利用者は ディスプレイ上の文字の大きさを容易に調節できるばかりでなく、文字情報を 音声情報に変換することも可能である。コンピュータの使用に習熟すること自体は 身体障害者にとって必ずしも容易ではないが、一旦習熟すれば、読み上げソフトを 併用することで一般向けに提供されている辞書を利用することが可能になる。 このように社会のバリアフリー化に貢献する可能性もウェブ辞書を含めた電子辞書の 評価に当たっては考慮すべきであろう。

3.ウェブ辞書のさらなる可能性

印刷物には永年培われてきた長所があり、CD-ROMや DVDにもそれなりの長所が あるが、ウェブにも独特な長所がある。そのネットワーク性は、サーバ上のデータを 更新することで利用者に見える辞書のデータを改訂できるという点に典型的に現れる。 Oxford Englich Dictionaryのサイト (http://www.oed.com/)は、冊子体の改訂に先立ってその内容を会員の閲覧に 供している。ただ、ネットワークにはコンピュータのネットワークとしての 側面の他に、人間のネットワークという性格もある。例えば、『日本国語大辞典』の 公式サイト「日国.net」 (http://www.nikkoku.net/)は現在のところ検索サイトではなく広報的色彩が濃いが、 友の会を作り用例を募集するという形で辞書の利用者との協同を図っている。

ネットワークのこのような性格は、コンピュータネットワーク上の辞書制作 プロジェクトの存在を可能にする。実際、現在は市販もされている『英辞郎』 (http://www.nifty.ne.jp/eijiro/)は翻訳者・通訳者のグループが制作する 辞書データがもとになっている。

インターネットの種々のアプリケーションのなかでウェブが特に成功したことの 大きな理由はそのハイパーテキスト性にある。テキストの流れが一次元的に 固定されておらず、テキスト中の随所から張られたリンクによって同一テキストの 他の箇所や他のテキストへの柔軟な参照が可能である。この性質は語彙体系の ネットワークの表示の仕組みに応用できそうである。例えば、プリンストン大学 認知科学科のプロジェクト Wordnet (http://www.cogsci.princeton.edu/~wn/)が類義関係にある語彙の 関係を可視化する試みとして興味深い。また、Perseus Projectのなかの Text Tools & Lexica (http://www.perseus.tufts.edu/lexica.html)にあるギリシャ語とラテン語の 辞書では、辞書の例文からテキスト本文への参照でウェブのリンクが縦横に 活用されていて、壮観である。

最後に、ウェブには、またコストが相対的に低くすむという利点もある。 とりわけ、マイナーな言語の場合コストの関係から冊子体では容易に出版に こぎつけられるとは限らないが、それに比べればウェブ上で辞書を公開することは 比較的容易である。本号の特集の趣旨とも合うが、個人や小規模なグループによって 様々な辞書が公開されているが、高橋まり代氏の「チベット語辞典」 (http://mariyot.infoseek.livedoor.com/tbdic.htm)が好例と言える。

4.ウェブ辞書の問題点

以上ウェブ辞書の特長を概観してきたが、マイナス面を無視することはできない。 その最大のものは、辞書の編集方針や個性といったものに無関心な利用者を 増やしてしまうことかもしれない。確かに冊子体の辞書であっても凡例を きちんと読む利用者は少なかったではあろうが、ウェブというメディアは、 全体として、手っ取り早く答えが得られればよいとする考えを助長しかねない 危険性をはらんでいる。

ネットワークにおいては利用者の環境は千差万別である。したがって、 制作者の側で利用者の目に見えるレイアウトやタイポグラフィを完全に コントロールすることができない。このことは紙の上では可能な様々な印刷上の 工夫が大きく制約されることを意味する。使える文字の集合もJISないしUNICODEの 規格に制約される。さらに、文字コードに無頓着に執筆された辞書本文は、 意図しない字形が利用者に見えている可能性を否定できない。

また、コンピュータのディスプレイの解像度は印刷に比べて低く、印刷物と 同程度の鮮明さやページの一覧性のよさを備えたディスプレイは、当分の間、 望み得ない。ウェブ辞書に教育上の効果があるとしても、視覚にとってやさしくなく、 長時間の利用にあまり向いていない、というジレンマがある。さらに、 デジタルデータには複製が容易だという性質がある。利用者にとっては引用の際に 便利であるが、出版社の側で著作権侵害に懸念を持つとすればそれはもっともであろう。

5.まとめ

私見によれば、コンピュータ・ネットワークはその可能性のごく一部しか 認識されていない。ウェブ辞書も単語の意味を調べるという単純な目的にしか 使われないのであれば、不幸なことである。語彙体系の深い理解や高度な 知的活動につながり、ウェブ辞書がより創造的な使い方へ向かうことが望ましいが、 それは半ば以上に利用者の意識の問題であって、制作者や出版社の力の及ばない 要因が多い。

(東北大学大学院文学研究科/言語学・ロマンス語学)



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