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『エスペラント』第64巻(1996)7月号, pp.5-6掲載

言語にとっての運動とは?

後藤 斉


エスペラントに対する偏見の一つに、運動に基づく言語が可能か、という 疑問がある。人が生まれてから親やきょうだいが使っているのを聞いて覚えるのが 自然なプロセスであり、意識的な運動によらなければ存立しえないエスペラントは いわば自然の法則に反している、というのである。

しかし、これは事実ではない。「運動」の定義によっては、すべての文字を 持つ言語は運動の所産であるとさえ言える。自分の話を録音して聞き直せば すぐにわかるが、話し言葉はそのままでは文章にならない。体裁の整った文章に するためには、程度の差こそあれ、書き手の側に意識的な努力が必要である。 そして社会的に一定のレベルを維持するために学校教育や文芸運動が行われて いる。

もっと典型的な「運動」によって古代語を復活させた例としては、イスラエルの ヘブライ語がよく知られている。これほど極端でなくとも、政治的・経済的に 不利な条件のなかで自らの言語を守り通している例は少なくない。スペインの 少数言語であるバスク語やカタラン語などはそのような事例と言えよう。

さらに、実は、5000とも8000ともいわれる世界の言語の大部分は、現在では 意識的な運動なしにはすでに存立しえなくなっているのである。多くの生物の 種(しゅ)が消えつつあることは、生態系の破壊と関連してマスコミで報道されて いる。それに比べて一般に報道されることはあまりないが、同様に、言語の数も 減りつつある。悲観的な観測では、今後の100年間で言語の数は今の1割程度にまで 減るだろうとも言われている。

言語の統合が進むことは、一見して好都合なことのように思える。一つの言葉で 話し合える人の数が増えるのだから。特に経済的な見地からはまことに望ましいことで あろう。

しかし、言語の消滅は文化の消滅である。言語の多様性が消えることは人間の 可能性の幅が狭められることである。人間の本質を知るための手掛かりが 失われることでもある。このため、世界の良心的な言語学者は「危機に瀕した言語」の 保存を現在の急務と考えている。日本でも、最近、東京大学文学部に これを専門とする研究施設が設置された。

「危機に瀕した言語」を話す人々の対応はまちまちである。もちろんすすんで 大言語に乗り換える人々も多い。実生活での便宜を考えれば当然の選択とも言える。 しかし、その一方で、自分たちの言語を守るために積極的に運動を繰り広げている人も また少なくない。政治的・経済的な運動と結びついていることが多いが、 創作活動・出版活動を奨励し、学校の内外で言語教育を行うなど、言語に関する運動の 要素も当然含まれる。

他方、積極的な運動にもかかわらず、先行きに不安のある言語もまた多い。 南フランスのオック語は中世には一大文化を担っていたが、その後フランス語の 勢力に押され、矯正すべき方言とみなされるにいたった。今世紀には復興運動が 起こり、地道な活動が展開されたが、話し手の減少傾向・老齢化に歯止めは かかっていない。

言語が親から子へ伝えられるというプロセスは確かに自然なものであろう。 けれども、社会現象としての言語はそれほど単純なものではない。特に現在は、 言語においても当事者や第三者による保護運動を必要とするほどに世界の各地で 自然破壊が進んでいるのである。運動に基づく言語だから自然に反しているという 見解は、あまりにもナイーブな考え方であって、現実に即していないのである。


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