故平野先生は,平成13年12月6日(木)に急性心筋梗塞のため卒然と逝去されました。 まことに痛惜の念に堪えません。
先生は,昭和18年6月15日に北海道札幌市にお生まれになりました。 高等学校ご卒業後,一旦は工業の分野で社会人学生としての道を歩まれましたが, ほどなくして言語学研究を志すに至り,昭和42年に東北大学文学部に 入学なさいました。大学院修士課程を修了後,直ちに文学部助手となられ, 県立新潟女子短期大学,旭川医科大学を経て,平成5年,設置されてまもない 東北大学文学部言語交流学講座に教授として着任されました。大学院重点化に伴い 平成12年4月からは,大学院文学研究科言語学講座教授として,研究・教育に 従事してこられたところです。
先生のご研究は朝鮮語の音結合の構造を中心とした音韻論が主な対象で ありましたが,その視野は単に朝鮮語にとどまらず言語一般に適用される 音韻理論の発展を目指すものでありました。近年は最適性理論に基づく分析に 努力を傾注され,その成果をまとめ上げた著書『韓国語音韻の研究』は, わずか十日あまりのちがいで先生が生前御覧になることはありませんでした。 まことに無念の極みであります。
先生のお人柄は率直にして明朗であり,その性格は研究や教育に遺憾なく 発揮されました。学部・大学院を通じて多くの卒業生を育てられたことは 言うまでもありませんが,留学生の指導に特に意を用いられたことは特筆に 値します。所期の目的を達成して韓国など母国に帰国し,関連分野の研究教育に 活躍しているものは少なくありません。先生は前任校時代を含め卒業生や 元留学生との間に長く深い交流を続けておられましたが,このことは先生の 厳しくも温かい指導が極めて的確であったことのなによりの証であります。
先生は,全学や学部・研究科内の委員会においても,その積極的で当を得た発言と 行動によって多くの場面で指導的な役割を果たしてこられました。 このように大学人として最も充実した時期をお過ごしのさなかにおける 先生の突然のご逝去は,正に惜しんでなお余りあります。
ここに平野先生の生前のご功績とお人柄を偲びつつ,心から哀悼の意を表し, ご冥福をお祈り申し上げます。
(文学研究科)
『東北大学学報』No. 1552 (2002.1.15) p.18掲載
| 1971年3月 | 東北大学文学部卒業(言語学専攻) |
| 1973年3月 | 同 文学研究科大学院修士課程(英文学英語学言語学)修了 |
| 1973年4月 | 東北大学文学部助手 (〜1974年3月) |
| 1974年4月 | 県立新潟女子短期大学英文科講師 (〜1977年10月) |
| 1977年10月 | 旭川医科大学助教授 (〜1993年3月) |
| 1982年6月 | 文部省大学英語教員研修英国エセックス大学 (〜1982年9月) |
| 1987年6月 | 文部省大学英語教員研修英国レディング大学 (〜1987年9月) |
| 1992年9月 | 文部省在外研究員英国エセックス大学 (〜1992年12月) |
| 1993年4月 | 東北大学文学部言語交流学講座教授 |
| 1998年10月 | 日本学術振興会特定国(英国)派遣研究者 (〜1998年11月) |
| 2000年4月 | 東北大学大学院文学研究科言語学講座教授 |