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『La Movado』第493号(1992)3月号, pp.1-2 掲載

バランギャンを悼む

後藤 斉 (宮城)


平凡な表現であるが,ガストン・バランギャン (Gaston Waringhien,1901.07.29−1991.12.20) の死は, まさにエスペラント学の巨星墜つと言うにふさわしい。長くエスペラント・アカデミーの会長をつとめ, Plena Ilustrita Vortaro de Esperanto (PIV,1970) ,Plena Analiza Gramatiko de Esperanto (PAG,Kalocsayと共著,1980) を始め,多くの著書,訳書,論文を生み出した功績は, エスペラント文化史に長くとどめられることであろう。

彼の活動は広範囲におよんでいた。文芸雑誌 Literatura Mondo (1931-38; 47-49) への協力と La Nica Literatura Revuo (1955-62) の責任編集や,G. E. Maŭraなどのペンネームによる 詩作も彼の行なった立派な仕事である。G. P. Peneter のペンネームによる詩も彼の経歴の一つの エピソードであるし,Lanti とその無民族主義関係文献の解説翻訳などもある。しかし,彼の業績の中心を なすものはなんといってもエスペラント語学研究,文学研究,各国文学作品のエスペラント訳, その他のエスペラント学研究であろう。

なかでも筆頭に挙げるべきは辞書編集である。彼は若くして Plena Vortaro de Esperanto (1934) の 編集に加わり,後にはその補遺 (Suplemento 1964) を編集したし,エス仏辞典 Grand Dictionnaire Esperanto-Français (1957) も編み,さらに1970年に大辞典 PIV を完成させた。これはそれぞれがエスペラント辞書史上の一里塚であって,他の辞書への 影響も考えあわせれば,すべてのエスペランティストがその恩恵にあずかっている。このことは,もちろん, 例えば PIV に欠点がないということではない。語義の解説にはフランス語の影響がかなり多く見られる。 また,PIV を一見して気づく見出し語選択上の特徴は,明らかなヨーロッパ, 特にギリシャ・ローマ文明の偏重である。Empedokloといった語をわざわざ見出し語にたてるのは エスペラントの使用の実態を反映したものとは言えまい。これは明らかに時代的制約および彼の個人的な好みに よるものである (彼はかつてリセーのギリシャ・ラテン・フランス語教師であった) 。

PAGに結実する文法研究もヨーロッパ的制約から自由だったとはいえない。このことは格の 取り扱い方に見られるし,母音 e, o の広狭にこだわるのもそうである。しかし,エスペラント文法学の 歴史的意義は,ヨーロッパの伝統的文法の単なる敷き写しから脱して,エスペラント特有の現象を 説明するための理論を内発的に開発していくところにある。語構成を説明するための語根の品詞性の理論が その一例であるが,この点でのバランギャンの功績を一つ挙げれは,動詞を語い的アスペクト (持続的かそうでないか,結果があるかないか)によって三分類したことである。結果の有無に着目するのは アリストテレスにさかのぼるともいわれるが,西欧の言語学では長く注目されなかったのであり, ごく最近いわば再発見されたものである。この分類はバランギャンのオリジナルな業績といってよい。

Lingvo kaj Vivo (1959) の巻頭にある Pra-Esperanto の研究は辞書などに比べれば実用性には 欠けるが,それにおとらず知的好奇心をそそるものがある。ザメンホフがどのようにして1887年の エスペラントの語形にいたったかを明らかにしようとしたものである。適度に実証的な研究であって, 最近の B. Golden の論文などよりよほど健全であると思われる。

1887年以降のエスペラントの語いの増加,表現法の発達などについては,Lingvo kaj Vivo でも 扱われているし,別に 1887 kaj la Sekvo (1980) に関係の著述がまとめられてもいる。 その他のエスペラント学の分野では Leteroj de Zamenhof, 2 vol. (1948) の編さんももらせない。 これは今ではいとうかんじ氏らの業績によってその使命を終えているが,バランギャンがいとう氏の協力者で あったのは周知のことである。

文学論としては,詩論書 Parnasa Gvidlibro (Kalocsayらと共著,1932, 68, 84) をあげる べきであろう。初版では Kiel Fariĝi Poeto と題されていたが,いかに詩想を練るかを 扱ったものではなく,もっぱら詩の韻律を形式的な面から詳しく分類したものである。それぞれの形式には エスペラント詩の具体例がつけてあるが,記述の枠組み自体は,それまでのエスペラント詩から帰納的に 詩のタイプを抽出したというよりは,ヨーロッパなどの詩の形式をエスペラントにあてはめたという 色合の方が強い。

各国文学のエスペラント訳としては,ボードレールの『悪の華』(1957),ラ・ロシュフーコーの 『箴言』(1935) などフランス文学の名作を翻訳したのは当然としても,Tra la Parko de la Franca Poezio (1977-84) と題された,中世からロマン主義まで時代別になったフランス語原文への注つきの対訳詩集 四部作は特筆に値しよう。ほかにハイネの詩集もてがけており,なかでも目立つのは, オマール・ハイヤームの『ルバイヤット』をペルシャ語原文から翻訳した (1953, 84) ことである。 翻訳の出来栄えについては筆者は論評できないが,イラン人エスペランティストであるレザ氏の 短い紹介を聞いたかぎりでは,少なくとも観賞に耐えるものであるらしい。

バランギャンの60歳を祝って,当時の Esperantologio 誌はその第2巻第2号 (1961) を 彼の記念号にした。また80歳を祝うために記念論文集 Li kaj Ni (1985) が刊行され, 彼の著作目録も収められている。おそらくは自分の好みにしたがって仕事をし,しかも,それが ひとりよがりにおわらず,質量ともにすぐれたものであり,さらにそれにふさわしい高い評価を 与えられたという点で,バランギャンはエスペランティストとして幸せな人生を送ったと言うべきであろう。 後の世代の人間にはそれを乗り越える責務があるが,なまやさしいことではない。


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