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エロシェンコは「亡命詩人」でない
中村彝「エロシェンコ氏の像」
(重要文化財, 東京国立近代美術館蔵)
2023年12月5日づけの河北新報夕刊「河北抄」欄(全文の閲覧には要無料会員登録)で、エロシェンコが取り上げられ、「エスペラント語の普及や童話の創作に励んだ」と紹介された。記事の冒頭にあるように、11月21日の記事で相馬黒光が「ロシアの亡命詩人」を保護したとの記述について誤りを指摘されたの対して、信頼できる文献を参照した上での訂正と補足として掲載された記事である。この誤りを指摘したのは実は後藤であるが、指摘に対して真摯に対応された担当者には敬意を表したい。
河北抄(12/5):仙台市出身の実業家、相馬黒光(こっこう)…
2023年12月5日 14:00 [有料]
仙台市出身の実業家、相馬黒光(こっこう)が「ロシアの亡命詩人を保護した」と先月21日の小欄で紹介したところ、「亡命は誤りでは…」と読者から指摘された。
記事は匿名だったが、名前はワシリー・エロシェンコ。藤井省三さんの『エロシェンコの都市物語』によると、亡命はしておらず、詩人説も微妙とか。ご指摘に感…
エロシェンコ(1890-1952)は当時のロシア帝国から1914年に来日した盲人エスペランティストで、沈滞期にあった日本のエスペラント運動に話し言葉としてのエスペラントを印象づけて,大きな刺激を与えた。日本語は来日以前から学習しており、すぐに熟達して童話などを創作するようになった。一旦、タイ、ビルマ、インドに赴き、盲人教育に携わるが、おりからのロシア革命を恐れたイギリス官憲に革命派の嫌疑をかけられ、1919年に日本に送還された。再来日後は、新宿中村屋の相馬夫妻の世話を受けて多くの文化人とも交わり、中村彝(つね)「エロシェンコ氏の像」(重要文化財, 東京国立近代美術館蔵)と鶴田吾郎「盲目のエロシェンコ」(新宿中村屋蔵)のモデルにもなった。しかし、社会主義思想に傾倒したことで危険人物とみなされ、1921年に国外追放処分となった。ウラジオストックに送還されたが、ロシア革命後の混乱でロシアに入国できなかったため、中国に渡り、魯迅・周作人兄弟らの援助を受けつつ著述を続けた。1923年にはソ連に戻り、各地を経巡りつつ、後半生をエスペラント、盲人教育、著述などに過ごした。彼の多彩な人生についてここでこれ以上述べることはできないので、詳しくは下記の参考文献や参考ページを見ていただきたい。
エロシェンコのことをロシアからの「亡命者」「亡命詩人」などとする誤りは、広く蔓延しているのが実情だ。エロシェンコには童話作品が多く詩作は少ないので、「詩人」と呼ぶのも疑問の余地はある。とはいえ、詩作もあることはあるし、また「詩人」を広く「詩的な感受性を持った人」の意味で使うこともあり、これは見解の違いとすませて差支えないと個人的には思う。
一方、彼の来日を「亡命」ととらえるのは全くの誤りである。
そもそもエロシェンコが日本に来た理由は日本では盲人が按摩などで自立していると聞いたからである。実際にエスペラントのつてを頼りにして東京盲学校に特別研究生として入学し、授業を受けた。滞在費は親元から仕送りを受けていた。タイに出国後に「日本語、按摩・マッサージ両科修業」との修業証書が送られたともある。「亡命」とは「一般に,本国での政治的・宗教的・人種的迫害あるいはその恐れから逃れて,他国に保護を求める行為をいう。」(亡命(ぼうめい)とは? 意味や使い方 - コトバンクから『改訂新版 世界大百科事典』)のである。エロシェンコは世界市民的な行動をとることはあったが、祖国から逃れたり祖国を捨てたりしたことはないので、これに該当しない。
エロシェンコが亡命者だとの誤解は、やはり相馬夫妻に保護されたインドの独立運動家ビハリー・ボースの事例と混同しているのだろう。ボースはイギリス官憲に追われて日本に逃亡し、日本からも国外退去命令を受けたところを新宿中村屋に匿われたので、まぎれもない亡命者である。
もう一つ、原因として考えられるのは、相馬黒光の自伝『黙移』でエロシェンコを扱う部分が「白系ロシヤの人々」と題された章に含まれていることである。
「白系ロシア人」とは本来「1917年の十月革命後,ソビエト政権をうけいれずに祖国を去った,あるいはソビエト政権に対立する白衛軍を支持し,その敗北後国外に亡命したロシア人。」(白系ロシア人(はっけいロシアじん)とは? 意味や使い方 - コトバンクから『改訂新版 世界大百科事典』)である。エロシェンコの二度目の滞日と同時期に日本に渡来した白系ロシア人の事例もあって、相馬夫妻も交流したことは確かだが、エロシェンコは白系ロシア人には該当しない。
『黙移』の「白系ロシヤの人々」章でまず取り上げられるのは朝鮮人の林さん(独立運動家の林圭)であり、この章で扱われるのがみな「白系ロシア人」という訳ではないことを示している。「変人ニンツァ」やオペラ歌手の「ブルースカヤ」(ウクライナ出身のIna Bourskayaであろう)はロシア帝国出身であるが、明確に白系ロシア人に該当するかは明らかでなく、本文中では黒光は二人を「白系ロシア人」とは呼んでいない。エロシェンコについても、盲学校入学という当初の来日目的を黒光は認識して書いており、「亡命」や「白系」といった言葉は使っていない。章のタイトルが「白系ロシヤの人々」とつけられたのは不審であるが、もしかしてこのタイトルは著者本人でなく、編集者が不用意につけてしまったという可能性もあるのではないだろうか。
いずれにせよ、『黙移』は1936年の初版以降、明治大正を代表する女性の自伝としてたびたび版を重ねて、1999年には平凡社ライブラリーに収録された。エロシェンコを「亡命者」「白系ロシア人」とする誤解はこの本の章のタイトルの影響を否定できない。
新宿中村屋や相馬黒光、画家中村彝などに主な関心を持つ個人がブログなどでエロシェンコに言及しようとして、たまたま参考にした資料にあった「亡命者」「亡命詩人」との記述をそのまま書き写してしまうことは、なかなか責めることこともできない。
問題なのは、国立国会図書館や東京国立近代美術館といった公的な機関のサイト内でエロシェンコのことを「ロシアの亡命詩人」などと記していることである。レファレンスにおける典拠として有用であることを自任するようなサイトも同様である。このような明らかな誤りがなるべく早く訂正され、根絶されることを望みたい。
さらに問題なのは、教養書や専門書、レファレンス・ツールに分類されるような書籍の中にもエロシェンコを「亡命者」「亡命詩人」「白系ロシア人」とするものが、残念ながら少なくないことである。『黙移』をはじめとしてすでに出版された書籍の中の記述を訂正することは不可能であるが、せめてこの誤りが今後繰り返されないことを望むのみである。
付記
2024年3月4日づけで国立国会図書館展示会担当から「改めてヴァスィリー・エロシェンコについて複数の辞典を確認したところ、
亡命という語句、あるいは亡命と言える出来事の記載は見当たらず、当該の人物解説において、エロシェンコに付記している亡命の語句は削除することといたします。/修正の時期は3月末を予定しております。/不正確な記載となっており申し訳なく思うとともに、
今後一層正確な情報発信に努めてまいりたいと考えております。」とのメールを受信した。4月2日にアクセスして修正を確認した。
エロシェンコを「亡命者」「亡命詩人」等とする主なウェブページ・書籍
参考文献
- エロシェンコ 高杉一郎編訳 1974 『エロシェンコ作品集』みすず書房.
- エロシェンコ生誕125周年記念事業実行委員会編 2015 『生きた・旅した・書いた = Vivis・vojaĝis・verkis エロシェンコ生誕125周年記念文集』同委員会, 日本エスペラント協会発売.
- 太田哲男 2023 「高杉一郎とエスペラント」『La Revuo Orienta』2023.2, 16-19.
- 太田哲男 2023 「高杉一郎とエスペラント」『桜美林大学研究紀要 人文学研究』3: 2023, 172-189.
- 岸博実 2020 『盲教育史の手ざわり 「人間の尊厳」を求めて』 小さ子社.
- 菊島和子 2024 「引越し魔エロシェンコの足跡」『La Revuo Orienta』2024.2, 18-22.
- 高杉一郎 1982 『夜明け前の歌 盲目詩人エロシェンコの生涯』岩波書店.
- 藤井省三 1989 『エロシェンコの都市物語 1920年代 東京・上海・北京』みすず書房.
- Vasily Eroshenko. Tr. by Adam Kuplowsky 2023 The Narrow Cage and Other Modern Fairy Tales, Columbia University Press. (amazon.com)
参考ページ
- セルゲイ・アニケーエフ「盲目の詩人・エロシェンコ」 (2010-10-27)
- 新宿中村屋 創業者ゆかりの人々 ワシリー・エロシェンコ
- Wikipedia「ヴァスィリー・エロシェンコ」
- До 130-річчя Василя Єрошенка (1890-1952) (Педагогічний музей України)
- Тактильные экспонаты в экспозиции Дома-музея В.Я. Ерошенко
- 偕成社文庫3201『エロシェンコ童話集』
- 偕成社文庫100本ノック第36回『エロシェンコ童話集』 (2018-08-07)
- 「新宿中村屋とエロシェンコ」 (ブログ123451261256, 2011-12-28)
- 「エロシェンコとエスペラント」 (ブログ123451261256, 2012-01-14)
- 「中村屋サロン美術館の「盲目のエロシェンコ」」 (ブログ123451261256, 2014-11-09)
- "I raised a fire in my heart": remembering Eroshenko (British Library, European studies blog, 2014-12-15)
- Vasily Eroshenko: "He lived, traveled, wrote" (Turkmenistan: Golden age, 2021-09-28)
- 'I kindled a fire in my heart' – A blind Esperanto wanderer, Japanese anarchists, and a Moravian Eskimo chief ( Esperanto & Internationalism, Bernhard Struck, 2021-12-10)
- Portrait of Eroshenko, by Ian Rapley (Kyoto Journal, 2022-08-19)
- The Ukrainian Poet and Anti-Imperialist You've Probably Never Heard Of, by Adam Kuplowsky (Jacobin2023-03-07)
- “The Narrow Cage” by Vasily Eroshenko, Review by M.A.Orthofer, 25 February 2023 (the complete review, 2023-02-25)
- "The Narrow Cage and Other Modern Fairy Tales" by Vasily Eroshenko, by Rick Henry (Asian Review of Books, 2023-03-03)
- ‘The Narrow Cage’ by Vasily Eroshenko (Review) (Tony's Reading List, 2023-03-06)
- Book Review: The Narrow Cage & Other Modern Fairy Tales by Vasily Eroshenko, by Kelly Jarvis (The Fairy Tale Magazine, 2023-04-05)
- The Narrow Cage and Other Modern Fairy Tales, Reviewed by Eileen Gonzalez (Foreword, 2023-03/04)
- 余録「東京国立近代美術館が所蔵する「エロシェンコ氏の像」は…」 (『毎日新聞』2023-06-11)
- Now's the time to read Esperanto literature — in English translation (The Washington Post, 2023-07-28)
- The Narrow Cage – Vasily Eroshenko, Reviewed by Justin Stephani (Full Stop, 2023-09-01)
- Q&A: Adam Kuplowsky on The Narrow Cage and Other Modern Fairy Tales (Columbia University Blog, 2023-09-08)
- Review: The Narrow Cage and Other Modern Fairy Tales by Roy Chan (Modern Chinese Literature and Culture, Ohio State University, 2023-10-17)
- Как слепой русский крестьянин стал знаменитым японским писателем. Начало творческого пути Василия Ерошенко (Мила Витива, Нож, 2024-03-06)
- “The hands want to see, the eyes want to caress”. Braille books in Slavonic collections 1 (British Library, European studies blog, 2024-04-25)
- «Есть нечто, что заставило меня покинуть Японию, а сейчас вынуждает уехать из Сиама». Путешествия и сказки слепого русского писателя Василия Ерошенко (Мила Витива, Нож, 2024-04-26)
- Wien im Sommer 1924 – Tagungsort des Esperanto-Weltkongresses (Österreichische Nationalbibliothek, blogs, 2024-08-06)
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