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グーテンベルクオーケストラ社刊"esperanto"誌に対する違和感

後藤 斉


目次

  1. 概要
  2. 前提1: エスペラントとその文化および共同体
  3. 前提2: ザメンホフの活動と思想 | 日本語で読める参考図書
  4. 事象: グーテンベルクオーケストラ社刊の雑誌および関連活動 4.1 雑誌の創刊 | 4.2 懸念・抗議 | 4.3 改名 | 4.4 商標とその後
  5. 注釈: 誌名について
  6. 結論: 事象の評価
  7. 資料
  8. 参考サイト
  9. 雑誌等記事
  10. 本サイト内のエスペラント文化関連コンテンツ

1. 概要

このページは、2020年12月に発生した事案のために2021年1月4日に初公開したもので、主として2021年4月までの状況を扱ったものです。その後の経過を必要に応じて補足しています。

2020年12月にグーテンベルクオーケストラ社(代表取締役: 菅付雅信)が創刊した雑誌は"esperanto"と名乗り、Esperanto Culture Magazine (エスペラントカルチャーマガジン)を標榜するものだが、全文英語で書かれているだけでなく、内容的に国際語エスペラントの文化や共同体と全く関りをもっていなかった。関連してEsperanto Culture Community (エスペラントカルチャーコミュニティ)なる有料のオンラインコミュニティーも企画されていた。これは極めて不可解な名称であって、混乱を招くものであった。その姿勢はむしろザメンホフの思想に反している。このような命名とその背後にある姿勢に対して、後藤は強く違和感を表明した次第である。

言語の研究者である後藤が国際語エスペラントの社会面を取り上げるとき、「文化」や「言語共同体」をキーワードにすることがある。「エスペラント文化」や「エスペラント(言語)共同体」の概念はエスペラント話者が織りなしてきた諸活動や人々の繋がりを指す用語として定着している。その基盤にあるのは、言語の多様性を尊重した上での、特定の民族や国家に結びついていない共通語エスペラントによる国際コミュニケーションである。ザメンホフ自身の思想は多少の変遷を見せており、その思想全体に対しては必ずしもエスペラント話者すべてが同意するわけではない。個人の立場で展開した後期の主張には先鋭的なところがあるが、その根底には、大民族・大言語が小民族・小言語を抑圧していた当時の状況への強い異議申し立てがあった。

その後、2021年2月8日づけの声明文において、グーテンベルクオーケストラ社は日本エスペラント協会(JEI)の要望を受けて『Esperanto Culture Magazine』の名称を変更し、オンライン・サロン「Esperanto Culture Community」を中止する旨、発表した。4月には誌名を『ESP Cultural Magazine』に改めることが公表されたが、改名の経緯について一般向けには十分に説明されていないようだ。菅付氏は勝手な「ザメンホフの思想への共鳴」を空回りさせて、国際語エスペラントの関係者に迷惑を振りまいたということになろう。

なお、グーテンベルクオーケストラ社が2020年10月22日に行っていた「エスペラントカルチャーマガジン/ESPERANTO CULTURE MAGAZINE」の商標出願について、特許庁は2022年6月16日づけで最終的に「(3275) 査定種別(拒絶査定) 最終処分(拒絶) 最終処分日(2022/06/16) 通常審査」と決定通知した。

2. 前提1: エスペラントとその文化および共同体

「エスペラント」はザメンホフ(1859-1917)の提唱(1887)から共同体が成立した国際語を指す固有名詞である。後藤は言語学の研究者として言語に関するいくつかのテーマを研究対象としているが、国際語エスペラントもその一つであり、これまでいくつかの著書、編著書、論考を公刊してきた。エスペラントの言語面および社会面を考察することがあったが、社会面を取り上げるとき「文化」や「言語共同体」をキーワードにすることがある。研究者としての後藤が認識するエスペラントの文化や言語共同体がどのようなものかを、示してみよう。

そもそも、「エスペラント文化」という概念に慣れておらず、疑問を寄せる人もいるかもしれない。次のように答えたい。

「エスペラントには文化がない」という誤解をしている人がいます。確かに、エスペラントが特定の国家や民族、地域と結びついておらず、特定の民族文化、地域文化に基礎を置いていないことは、エスペラントの存在理由であって、指摘してもらうまでもないことです。

しかし、同時に、エスペラントが言語を異にする人々の間でのコミュニケーションのために 120年以上にわたって実際に使われてきたこともまた、だれにも否定できない事実です。自分の母語に加えて、特定の民族集団に属さない言語を意識的に選択した上で学習して使用するという行為は、エスペランティストを特徴づけるものであって、エスペラントの言語共同体はそのような 共通の行動によってゆるやかに結ばれています。そのような行動様式を基礎にしてエスペラントの文化が成立していると捉えることは、十分に可能です。

本サイト内「『エスペラント日本語辞典』の使い方(8) エスペラント語法」 (http://www2.sal.tohoku.ac.jp/~gothit/ro0810.html)

さらに、柴田巌と共編で刊行した『日本エスペラント運動人名事典』(ひつじ書房, 2013)の「まえがき」から抜粋すると、次の通りである。

エスペラント運動は際立った性質を備えた文化運動である。1887年にザメンホフにより特定の民族集団に属さない国際語としてエスペラントが提案されると,早くにそれを使う一定規模の集団―言語共同体―が形成された。それは,自分の母語に加えて,自由意思によりエスペラントを選択して学習して,母語を異にする人との間でのコミュニケーションに使用するという,共通の意思と行動を基礎にして,国や民族の境を越えてゆるやかに結ばれている。

エスペラントは「人工語」として理念の面において語られることが多い。エスペラントの実際を知らない人が,想像と推測のみに基づいて,あるいはせいぜい付け焼刃の断片的な知識に尾鰭をつけるようにして,エスペラントを論じることは,しばしば見受けられる現象である。一方,エスペランティストの中にも,定型化された文言を繰り返すだけの人は少なくない。

世界のエスペランティストたちは,エスペラントをより効果的なものにするために,数世代にわたって多くの試みを積み重ねてきた。出版,定期刊行物の発行,規模や性格の異なる諸団体,大小の大会・シンポジウム・集会・合宿ほかの催し,さらに人的接触や情報交換を活発にするための様々な仕組みなどである。125年以上に及ぶその営みは,エスペラントの言語共同体に特徴的な要素を多く含んでおり,エスペランティストの多くに共有されている。これを「文化」と呼ぶことは決して不当でない。

日本に限ってみても,この間にエスペラントを使って行われた活動,エスペラントのために行われた活動,その他エスペラントを契機として行われた活動はきわめて多彩である。それに加わった人々も数多い。

本サイト内「柴田巌・後藤斉編,峰芳隆監修『日本エスペラント運動人名事典』」に再録 (http://www2.sal.tohoku.ac.jp/~gothit/biografialeksikono.html)

また、『日本語学』2018年5月特大号 (特集世界の標準語と日本の共通語)に掲載した「国際語エスペラント ―言語共同体の特性から―」には次のように書いた。

1 はじめに

...

エスペラントの言語共同体には際立った特徴がある。なじみのある多くの言語の場合、特定の地域(ないし国)における民族集団などにその基盤があり、個々の子どもにおける母語の獲得という形で言語が世代を越えて伝承されて、言語共同体が維持される。それに対して、エスペラントの共同体には国や民族、地域という背景がない。その成員の大部分は、ある程度長じてから自らの意思によりこの言語の使用者となることを選択し、第二言語以降として学習して習得した人である。

つまり、エスペラントの言語共同体を成立させているのは、エスペラントを意識的に選択して学習し、母語を異にする人との間でのコミュニケーションに使用するという、共通の意思と行動である。エスペラントの使用者(エスペランティスト)は国や民族の境を越えて世界に散在しており、この共通の意思と行動によってゆるやかに結ばれている。

このような形で言語共同体が成立したこと、まして、それが提唱者の死(1917)ののち100年以上にわたって存続していることは、類例のない社会現象である。エスペラントの著しい特徴はむしろここにあると言うべきである。しかし、正にこの特異的な性質のために、エスペラントという言語は、この共同体に参加していない人には認識されにくい。

6 おわりに

エスペラントの言語共同体は、個々人の自由意思を基調としているから、拘束力は弱い。国や民族などの後ろ盾がなく、基盤は脆弱なようにも見える。エスペランティストの数は世界の人口と比べれば少なく、語学力や共同体への参加の程度にも大きなばらつきがある。エスペラントが世界中どこでも通用するという状態からは確かにほど遠い。

しかし、エスペランティストの多くは国際交流を志向して自由意思によりこの言語に取り組んでいるので、一般に相互協力精神やボランティア精神に富んでいて、共同体としては柔軟であるとも言える。

2017年に「ことのはアムリラート」(Sukerasparoブランド)という美少女アドベンチャーゲームが発売され、ある層で話題を呼んだ。異世界に迷い込んだ主人公が現地の少女とコミュニケーションをとるために異世界語を少しずつ習得していくというストーリーであるが、この異世界語は実質的にはエスペラントである。このゲームに対する好みはともかく、エスペラントの言語的特徴をうまく生かす作りになっており、それぞれの人がエスペラントの新しい使い方を実行している一例として面白い現象には違いない。

インターネットの普及もあって、エスペラントによるコミュニケーションも多様性が増している。従来は手薄であった東南アジアなどの地域で若い層への広がりが見られる。筆者が実行委員長を務めた第102回日本エスペラント大会(2015, 仙台)では、インドネシアとネパールから青年を呼んで、震災関連のプログラムで発表してもらった。このように、他の言語の場合と異なった種類の言語体験ができることが、筆者にとってエスペラントの面白さの一つである。

本サイト内「国際語エスペラント ―言語共同体の特性から―」 に再録(http://www2.sal.tohoku.ac.jp/~gothit/nhnggk1805.html)

日本国内の諸言語・諸文化を広く取り上げたJohn C. Maher (ed.) Language Communities in Japan (Oxford Univ. Pr., 2022, ISBN 9780198856610)に寄稿した、エスペラントを扱った共著論文"22: Esperanto: Internationalism, dialogue, and an evolving community" (Kimura Goro Christophと共著)では、アブストラクトとして以下のようにまとめた。

Abstract
Esperanto is unique among languages in Japan which has been a major center of the Esperanto movement since the start of the 20th century. Esperanto has been adopted by many learners as a language of additional identification and forms a community of users, and a forum for dialogue among people with various social, political and religious backgrounds. Esperanto is not merely a utopian idea but continues to serve practical purposes. Though Esperanto has lost its pioneering role as one of Japan's bridges to the world, information technology providing new possibilities and a social climate that accepts diversity have created favourable conditions for further development.

後藤がエスペラントの文化に自覚的になったのは、エスペラント100周年記念として開かれた第72回世界エスペラント大会(ワルシャワ,1987)の時に遡る。参加記に次のように書いていた。

さて、ウェルズの世界の言語シリーズはそれとは違い、内容自体はエスペラントとは全く関係がない。エスペランティストに世界の(特にヨーロッパ以外の)言語についての教養を高めてもらおうという意図でしばらく前のUK[世界大会]から行っていて、すでにオーストラリアやアフリカの言語などについては話した、とのことであった。私はUKには初参加なので初めて知ったのだが、いい企画だ。それにシャーロック・ホームズばりのイギリス紳士が精力的なのには驚いた。さきに述べたエスペラント学会議のほかに四つの講義をこなすのだから。

さすが音声学者だけあって、発声は耳に心地よかった。そればかりか話し方もまさに当意即妙であって、聞く人をひきつける力があった。本当にうらやましい話術だとしかいいようがない。

聴衆も300人ほど(?)の大入りで、しかも熱心にメモをとる人もめだった。むしろ、終わったとたんにがくっと減って、次の講演者が気の毒なくらい。エスペランティスト大衆の中に(ヨーロッパからみれば)エキゾチックな言語への関心が高いことがわかって、エスペラント文化の健全な発達をみたような気がした。[...]

このような講義をこなす講師が何人も存在し、それについていく聴衆も多数いるということで、IKUが形だけのものでなくエスペラント文化の一部をなしているということがわかったのは、今回のUK参加の収穫のひとつであった。

本サイト内「大会の講演を聞いて」 に再録(http://www2.sal.tohoku.ac.jp/~gothit/ro8710.html)

これ以上の引用は不要であろうが、後藤はさらに『人物でたどるエスペラント文化史』(日本エスペラント協会, 2015)で『日本エスペラント運動人名事典』で扱いきれなかったエスペラントを契機とした活動や人の繋がりを深く追究した。

後藤自身の経験をもう一つ付け加えれば、後藤は2018年にJosé Antonio VergaraおよびKimura Goro-Christophと共編で"En la mondon venis nova lingvo: Festlibro por la 75-jariĝo de Ulrich Lins"を刊行した。ドイツ学術交流会東京事務所長を務めたリンス氏の七十五歳記念論文集である。チリ人José Antonio Vergaraの提案にドイツにもルーツをもつ日本の研究者Kimura Goro-Christophと後藤とが賛同し、世界各地から30人以上の執筆者を得て編集を進め、ニューヨークで出版し、リスボンでの献呈式で後藤が献呈の辞を述べた。もちろん作業はすべて電子メールを使ってエスペラントで行われ、本文は(部分的な引用を除けば)すべてエスペラントで書かれている。これは研究者としての経験でもあるが、一人のエスペラント話者としての経験でもある。これこそ正に国際語エスペラントにふさわしい文化活動の一例ではなかろうか。

このようなエスペラントの文化や共同体の概念は後藤の独自のものではない。例えば臼井裕之の「谷川俊太郎とウィリアム・オールドの「出会い」と「共鳴」~そして、詩を翻訳する〈不可能性〉について~」 (山本真弓編著『文化と政治の翻訳学』明石書店, 2010所収)は詩の翻訳を主なテーマとするものだが、諸所にエスペラントの「文化」や「共同体」への言及がある。

たまたまGoogle検索でStanford students explore the vitality of the modern Esperanto movementというページを見つけた。2017年3月30日づけのスタンフォード大学のNewsのうちの一ページで、二人の学生がヨーロッパでエスペラントが生きて使われているさまを体験してきたという記事である。人々の繋がりを"the Esperanto community"と呼んでいる。

国際語エスペラントを真剣に考察するとき、「文化」や「共同体」の概念は欠かせない。「エスペラント文化」や「エスペラント(言語)共同体」の概念はエスペラント話者が織りなしてきた諸活動や人々の繋がりを指す用語として定着しているのである。

1905年にフランスのブローニュ・シュル・メールで開かれた第一回世界エスペラント大会において、ザメンホフの起草の下に「ブローニュ宣言」が採択された。運動面において「ブローニュ宣言」は、エスペランティストを「どのような目的に使うかにかかわらず、エスペラントを知り、使う人」と定義し、エスペラント思想を「異なる民族に属する人々の相互理解を可能にする、中立的人間言語の使用を広める努力」とだけ規定した。現在でも、多くのエスペランティストが支持するであろう。

1996年7月、チェコのプラハで開かれた第81回世界エスペラント大会において、21世紀を前にした国際語運動の原則と目的を指し示すとともに、現代社会におけるエスペラント語使用者の立場を明らかにしようとするものとして「国際語エスペラント運動に関するプラハ宣言」が採択された。その第一項は次のようである。

国際語エスペラント運動に関するプラハ宣言

1.民主性
あるコミュニケーションのしくみが、特定の人々には一生涯の特権を与える一方で、他の人々にはより低い段階の能力の獲得にさえ多年の努力をつぎ込むよう求めるなら、それは根本において反民主的なものである。エスペラントは、他の言語と同様に、完全ではないが、平等な全世界的コミュニケーションという領域では、どの競合する言語に比べてもはるかにまさっている。
 言語の不平等は、国際レベルを含めたあらゆるレベルにおいて、コミュニケーションの不平等を生み出すものであると、私たちは主張する。私たちの運動は民主的なコミュニケーションを目指すものである。

世界エスペラント協会(UEA)はNGOの一つとして国連やユネスコに協力している。ユネスコはエスペラントの意義を認める決議を2回行った。1954年ウルグアイのモンテビデオで開かれた第4回総会で採択された決議(IV.1.4.422-4224)では、エスペラントがそれまで国際交流で示した成果を認め、それがユネスコの目的に合致すると述べた。1985年ブルガリアのソフィアで開かれた第23回総会での決議(XXIII.11.11)は、エスペラントの百周年を2年後に控えて、それを祝賀するとともに、加盟国やNGOに対して祝賀行事に協賛するよう呼びかけるものだった。さらに2017年にはザメンホフ生誕150年を祝賀した。

Records of the General Conference, 23rd session, Sofia, 8 October to 9 November 1985, v. 1: Resolutions

11.11 Celebration of the centenary of Esperanto
The General Conference,
Considering that the General Conference at its 1954 session in Montevideo, by its resolution IV. 1.4.422-4224, took note of the results attained by the international language Esperanto in the field of international intellectual exchange and mutual understanding among the peoples of the world, and recognized that those results corresponded with the aims and ideals of Unesco,
Recalling that Esperanto has in the meantime made considerable progress as a means for the advancement of mutual understanding among peoples and cultures of different countries, penetrating most regions of the world and most human activities,
Recognizing the great potential of Esperanto for international understanding and communication among peoples of different nationalities,
Noting the considerable contribution of the Esperanto movement, and especially of the Universal Esperanto Association, to the spreading of information about the activities of Unesco, aswell as its participation in those activities,
Aware of the fact that in 1987 Esperanto celebrates its centenary of existence,
1. Congratulates the Esperanto movement on its centenary;
2. Requests the Director-General to continue following with attention the development of Esperantoas a means for better understanding among different nations and cultures;
3. Invites the Member States to mark the centenary of Esperanto by suitable arrangements, declarations, issuing of special postal stamps, etc., and to promote the introduction of a study programme on the language problem and Esperanto in their schools and higher educational institutions;
4. Recommends that international non-governmental organizations join in celebrating the centenary of Esperanto and consider the possibility of the use of Esperanto as a means for the spreading of all kinds of information among their members, including information on the work of Unesco.

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3. 前提2: ザメンホフの活動と思想

エスペラントの歴史は、 公式には、ザメンホフがエスペラント博士の筆名で発表した『国際語』 (1887)から始まる。永年温めていた国際語の案を公に提案する際、彼はエスペラントに対する提唱者としての特権を放棄した。ロシア帝政下のポーランドという地は運動を組織するには政治的・地理的な制約が多すぎたが、それ以上に彼は言語には指導者よりも使用者の方が重要であることを直感的に知っていたのである。その後の彼は、国際語の理論的考察を著しながらも、むしろ雑誌編集者、翻訳家、著述家、そしてまれに見る筆まめとして、つまり実際の使用を通して、エスペラントの可能性を世に示した。雑誌に連載され、没後に単行本にまとめられた『語学問答』(1925)では、言語の規範を示すよりは、表現の可能性を広げようとする彼の態度が明瞭に見て取れる。

ザメンホフ自身の思想は、エスペラント運動の進展や社会状況の変化、彼自身の思索の深まりなどにより多少の変遷を見せており、その思想全体に対しては必ずしもエスペラント話者すべてが同意するわけではない。宗教を重視するところなどもあって、後藤もあまり共感を持って読むことができない部分もある。ただ、エスペラント話者の中にも誤解している人がいるようだが、ザメンホフの思想は単純なコスモポリタニズムではなく、まして単に「人類みな兄弟、仲良くしよう」というような生易しいものではない。

まず、第一回世界エスペラント大会(1905)の開会式におけるザメンホフの演説から引用しよう。

Parolado de Zamenhof en la unua universala kongreso

Tie la reciproka kompreniĝado estas atingebla per vojo nenatura, ofenda kaj maljusta, ĉar tie la membro de unu nacio humiliĝas antaŭ membro de alia nacio, parolas lian lingvon, hontigante la sian, balbutas kaj ruĝiĝas kaj sentas sin ĝenata antaŭ sia kunparolanto, dum tiu ĉi lasta sentas sin forta kaj fiera ; en nia kunveno ne ekzistas nacioj fortaj kaj malfortaj, privilegiitaj kaj sen privilegiaj, neniu humiliĝas, neniu sin ĝenas ; ni ĉiuj staras sur fundamento neŭtrala, ni ĉiuj estas plene egalrajtaj ; neniu humiliĝas, neniu sin ĝenas ; ni ĉiuj sentas nin kiel membroj de unu nacio, kiel membroj de unu familio, kaj la unuan fojon en la homa historio ni membroj de la plej malsamaj popoloj staras unu apud alia ne kiel fremduloj, ne kiel konkurantoj, sed kiel fratoj, kiuj ne altrudante unu la alia sian lingvon, komprenas sin reciproke, [...].

後藤仮訳: 彼方では、相互理解は不自然で無礼で不公正な手段でのみ達成可能である。というのも彼方ではある民族の一員は他の民族の一員の前に卑下し、己の言語を恥じつつ彼の言語を話し、口ごもっては顔を赤らめ、話し相手の前で迷惑がられていると感じ、一方話し相手の側は自分を強く偉いものと感じているのだから。我々の会合では、民族に強い弱いも有利不利もなく、どの民族も卑下せず、気兼ねしない。我々はみな中立の基礎の上に立っていて、我々はみな全く同権である。だれも卑下せず、気兼ねしない。我々はみな一つの民族の成員のように、一つの家族の成員のように感じている。そして人間の歴史上初めて、まったく異なる民族の成員である我々は、部外者同士や競争者同士としてではなく、自分の言語を相手に押し付けることなく互いを理解し合う[...]兄弟として並んで立っているのだ。

ザメンホフは個人の立場で平等主義をさらに追求して、独自の政治・宗教的な信条としてのHomaranismo (1913)(ホマラニスモ宣言、人類人主義宣言)にたどりつく。この後期の主張には先鋭的なところがあり、エスペラント運動とは別個の、純粋に個人的な思想と断った上で慎重に展開している。ザメンホフ自身、これがエスペラント運動と結びつけられる誤解を招いて、エスペラントに不利に働く可能性があることを認識していた。

ザメンホフはここで、人類の一員としての個人に重きを置き、民族や宗教の敵対関係を人類最大の不幸の一つと見なして、民族・言語・宗教・社会階層を理由とした人間の抑圧を野蛮行為と断じる。そして、排外主義や偏狭な愛国心、少数民族抑圧の不当性を指摘するばかりでなく、国土は、出自、言語、民族や社会的役割にかかわらず、すべての居住者に平等に所属するとまで主張する。宗教を重視し、また20世紀初頭のヨーロッパの地政学的状況を主に念頭においている表現には分かりにくい部分もあるが、全体として、当時の社会に対する強烈な異議申し立てになっていた。現代から見ても先進的と思えるところが少なくない。項目の中から言語に関わる部分を抜き出せば、以下のとおりである。なお、上述の理由で直接に「エスペラント」の名を挙げることを避けている。

V. Mi konscias, ke en sia privata vivo ĉiu homo havas plenan kaj nedisputeblan rajton paroli tiun lingvon aŭ dialekton, kiu estas al li plej agrabla, kaj konfesi tiun religion, kiu plej multe lin kontentigas, sed en komunikiĝado kun homoj de aliaj lingvoj aŭ religioj li devas peni uzi lingvon neŭtralan kaj vivi laŭ etiko kaj moroj neŭtralaj. Mi konscias, ke por samregnanoj kaj samurbanoj la rolon de lingvo neŭtrala povas ludi la lingvo regna aŭ tiu kultura lingvo, kiun parolas la plimulto de la lokaj loĝantoj, sed ke tio devas esti rigardata nur kiel prooportuneca cedo de la malplimulto al la plimulto, sed ne kiel ia humiliga tributo, kiun ŝuldas gentoj mastrataj al gentoj mastrantaj. Mi konscias, ke en tiaj lokoj, kie batalas inter si diversaj gentoj, estas dezirinde, ke en la publikaj institucioj estu uzata lingvo neŭtrale-homa, aŭ ke almenaŭ krom la gentlingvaj kulturejoj tie ekzistu ankaŭ specialaj lernejoj kaj kulturaj institucioj kun lingvo neŭtrale-homa, por ke ĉiuj dezirantoj povu ĉerpi kulturon kaj eduki siajn infanojn en senŝovinisma spirito neŭtrale-homa.

後藤仮訳:私の認識するところでは、私生活において人はだれでも自分にとって最も楽な言語ないし方言を使い、また、自分を最も満足させてくれる宗教を信仰することへの、議論の余地ない完全な権利を有しているが、他方、他の言語や宗教をもつ人との交際においては中立的な言語を使い、また、中立的な倫理と習俗に従うべきである。私の認識するところでは、同じ国や都市の住民同士ではその中立的言語の役を国語や当該地方の住民の過半数が話す文化言語が果たしてもよいが、それは少数者が多数者に便宜上の譲歩をしているにすぎないと見なされねばならず、被支配民族が支配民族に納める屈辱的な貢ぎ物とみなされてはならない。私の認識するところでは、諸民族の軋轢がある地方においては、公的施設では中立的人間言語が使われるのが望ましく、あるいはせめて、民族言語の文化施設のほかに、中立的人間言語の特別な学校や文化施設がそこにあってほしいのだ、希望する人はみな、排外主義のない中立的人間精神において文化に触れ、わが子を教育することができるように。

IX. Konsciante, ke lingvo devas esti por la homo ne celo, sed nur rimedo, ne disigilo, sed unuigilo, kaj ke la lingva ŝovinismo estas unu el la ĉefaj kaŭzoj de malamo inter la homoj, mi neniam gentan lingvon aŭ dialekton devas rigardi kiel mian sanktaĵon, kiel ajn mi ĝin amus, nek fari el ĝi mian batalan standardon. [...] kia ajn estas mia lingvo gepatra aŭ persona, mi devas posedi ankaŭ tiun neŭtrale-homan lingvon, kiun miaj samtempuloj uzas por rilatoj intergentaj, por ke mi ne bezonu miakulpe altrudi al aliuloj mian lingvon kaj por ke mi havu moralan rajton deziri, ke aliuloj ne altrudu al mi sian, kaj por ke mi povu sur senŝovinisma bazo servi al la kulturo neŭtrale-homa.

後藤仮訳:言語は人間にとって目的でなく手段にすぎず、分けるものでなくまとめるものでなければならないと、また言語的排外主義が人々の間の憎しみの主な原因の一つであると私は認識しており、私は、ある民族言語ないし方言をいかに愛していようとも、それを神聖な物と見なしたり戦いの旗印にしたりは決してしない。[...]私の母語や私個人の言語がいかなるものにせよ、同時代人たちが民族間の関係において使う中立的人間言語をもまた私は会得せねばならないのだ、私が誤って私の言語を他者に強いてしまうことがないように、また、他者がその言語を私に強いてくることがないよう欲する道徳的権利が私にあるように、さらにまた、私が排外主義のない基盤にたって中立的人間文化に貢献することができるように。

この思想は、国連総会が1992年に採択したDeclaration on the Rights of Persons Belonging to National or Ethnic, Religious and Linguistic Minoritiesの考え方と少なくとも部分的には重なるところがあり、それを先取りしていたものと言える。

Declaration on the Rights of Persons Belonging to National or Ethnic, Religious and Linguistic Minorities

Adopted by General Assembly resolution 47/135 of 18 December 1992

Article 1
1. States shall protect the existence and the national or ethnic, cultural, religious and linguistic identity of minorities within their respective territories and shall encourage conditions for the promotion of that identity.
2. States shall adopt appropriate legislative and other measures to achieve those ends.
Article 2
1. Persons belonging to national or ethnic, religious and linguistic minorities (hereinafter referred to as persons belonging to minorities) have the right to enjoy their own culture, to profess and practise their own religion, and to use their own language, in private and in public, freely and without interference or any form of discrimination.

日本語で読める参考図書

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4. 事象: グーテンベルクオーケストラ社刊の雑誌および関連活動

4.1 雑誌の創刊

株式会社グーテンベルクオーケストラ(代表取締役菅付雅信)は2020年12月15日に全文英語の季刊誌"esperanto"を創刊した。下に主な報道記事へのリンクを挙げた。報道によれば、1万部(国内3,000部,海外7,000部)が発行されるという。「「CULTURE MAGAZINE FOR WHOLE EARTH CITIZENS」(地球市民のためのカルチャー・マガジン)というサブタイトルが示しているように、文化と教養のグローバルな共有を謳い、東京発・世界視点のメディアであり、シンクタンクを目指している。」(下記AdverTimes記事)ともある。

株式会社グーテンベルクオーケストラのサイトには[2021年1月]現在のところ関連の情報が確認できないようだが、英文の同誌ティザーサイト(https://www.esperantoculture.com/)には雑誌の命名の由来として次のようにある。

Esperanto ... originally comes from the name of an international auxiliary language devised by Polish linguist Ludoviko Lazaro Zamenhof in the 19th century. It is an artificial language created in hope for world peace.

関連のesperanto culture communityと名乗るサイトは次のように謳っている。

エスペラントカルチャーコミュニティは、世界に向けて発信するための文化的教養、そして英語力を鍛え、国を問わず通用する編集、企画スキルを学べるコミュニティです。

ここでは、編集者の菅付雅信が編集長を務め、2020年12月に創刊した全編英語テキストによる海外市場向けカルチャー・マガジン『ESPERANTO』(エスペラント)の編集を幅広く、多様な人材と共に制作し、かつ様々なイベントを一緒に企画・実行していくコミュニティを目指しています。

『ESPERANTO』の副題は「Culture Magazine for Whole Earth Citizens」ですが、アメリカの伝説的な雑誌『Whole Earth Catalog』をリスペクトしつつ、21世紀の世界市民によって、必要な文化と教養を考える雑誌ですが、2021年に「エスペラント」が軸となった大きなイベントが予定されており、また他にも多種多様なイベントを行う予定です。

エスペラント編集部は5カ国にも及ぶ多国籍チームですが、このコミュニティも基本英語で運営します。

Esperanto Culture Communityとは (https://esperantoculture.community/about)

このサイトのコンテンツにおいてJoyce Lと署名された記事"Esperanto Culture Magazine—our inspiration and concept"には以下のような文言が見られる。

The constructed language of Esperanto gained momentum after WWII with the aim to unify a broken Europe and foster global communication through a universal second language. Esperanto translates into English as 'to one who hopes'.

Esperanto magazine embodies the spirit of an ‘international language’ ...

Esperanto Culture Magazine—our inspiration and concept (https://esperantoculture.community/contents/c6b316cf3b06)

下記AdverTimes記事には「ザメンホフが世界平和を願って作った学びやすく喋りやすい人工言語である「エスペラント語」の思想に共鳴し、名付けたという。」と書いてあった。このくだりを記者が勝手に書いたはずはない。

4.2 懸念・抗議

全文英語で書かれていて既存のエスペラント文化、エスペラント共同体との関りがまったくないにもかかわらず「esperanto」をタイトルに掲げる雑誌の創刊は、エスペランティストほか関心を持つ人々の間に懸念を呼び起こした。

日本エスペラント協会は数度にわたり同社と協議し、書状を交換したとのことである。「「esperanto」を題字とする英文雑誌の創刊について」を参照。

12月28日づけ日本エスペラント協会宛て回答文において、グーテンベルクオーケストラ社側は、「本誌を読んでいただければ、エスペラントをメタファーとして用いた誌名で、国際的なコミュニケーションや国際的な文化交流を促進する雑誌であることは理解していただけると思っております。そしてその考えは、ザメンホフがエスペラント語という言語を超えて伝えたかった考えではないかと、勝手ながら想像しております。ザメンホフにとって、エスペラント語の普及がゴールではなかったはずです。」と、ザメンホフの考えについて文字通り勝手な想像を開陳した。

4.3 改名

その後、2021年2月8日づけの日本エスエペラント協会[ママ]宛て声明文において、グーテンベルクオーケストラ社は日本エスペラント協会の要望を受けて『Esperanto Culture Magazine』の名称および「esperantoculture.com」のドメイン名を変更し、オンライン・サロン「Esperanto Culture Community」を中止する旨、発表した。また、「国際的なコミュニケーションと文化交流を促進するという大きな理念をJEIと共有し、今後友好的かつ協力的な関係を築いていくことをここに宣言する。」とも述べた。

英文の同誌の新ティザーサイトでは、ザメンホフの思想への言及は消え、"We are now ESP Cultural Magazine. / Extra Sensorial Print for Extra Sensorial People. / An amalgamation of many hopes; ESP alludes to our sixth sense, the 1965 Miles Davis album of the same name, and is still (and forever will be) a space for Whole Earth Citizens."と表記されるようになった。Newsの項に2月8日づけ日本エスエペラント協会[ママ]宛て声明文も掲載されていたが、のちに削除された。

4月に入ってからのアナウンスでは、『Esperanto Culture Magazine』はIssue 2から『ESP Cultural Magazine』に雑誌名を一新し、世界市民のためのプラットフォームを作り続けることを目指すと述べられた。実際に第2号はそのような誌名で2021年4月に刊行され、エスペランティストでもあるTony LaszloによるSearching for Universal Languagesと題する論考も掲載された。改名以降は、ザメンホフの思想への共鳴といったことは語られなくなり、誌名の由来については別の説明がなされるようになった。

もっとも、改名の経緯について一般向けには十分に説明されていないようだ。6月1日づけの同誌の紹介記事では、タイトルでは新誌名を挙げ、本文では「昨年12月、新しいカルチャー誌「Esperanto Culture Magazine/エスペラント・カルチャー・マガジン」が東京で創刊しました。」とした上で、脚注のように小さく「※誌名は2号から「ESP Cultural Magazine」に変更されています。」と説明しているのみで、その経緯については語られていない。

4.4 商標とその後

グーテンベルクオーケストラ社は2020年10月22日に「エスペラントカルチャーマガジン/ESPERANTO CULTURE MAGAZINE」の商標(商願2020-136377)を「雑誌,書籍」および「電子出版物の提供」を対象として出願していた。「称呼(参考情報)」として「エスペラントカルチャーマガジン,エスペラントカルチャー,エスペラント,カルチャー」をも含んでいたため、懸念や抗議における論点の一つであった。日本エスペラント協会との協議のなかでグーテンベルクオーケストラ社側がこの出願を取り下げる意向を示したとされるが、実際に取り下げが行われたことは確認できず、グーテンベルクオーケストラ社の説明には疑義が残る。この出願に対して、特許庁は「本願商標をその本願指定商品・指定役務中、「エスペラント語の雑誌に関する商品・役務」以外の商品・役務に使用するときは、商品の品質又は役務の質の誤認を生ずるおそれがあります。」との理由を付して2021年7月5日づけで拒絶理由通知書を送付し、引き続き12月17日に拒絶査定を送付していたが、2022年6月16日づけで「(3275) 査定種別(拒絶査定) 最終処分(拒絶) 最終処分日(2022/06/16) 通常審査」となった。

参考までに、改名を表明したのち2021年2月1日にグーテンベルクオーケストラ社が出願した「イーエスピーカルチュラルマガジン/ESP CULTURAL MAGAZINE」の商標(商願2021-20037)に対しても、7月16日に拒絶理由通知書が発せられ、引き続き2022年2月18日に拒絶査定が送付され、8月12日づけで「(3286) 査定種別(拒絶査定) 最終処分(拒絶) 最終処分日(2022/08/12) 通常審査」となった。

同誌は季刊誌として創刊されたはずであった。しかし、第2号の発行(2021.4)から3年半近くを経た2024年10月になっても、第3号の発行(ないし、さらなる改名)に関するアナウンスはない。「ブレーン」2021年12月号の記事「デザインプロジェクトの現在 言葉とイメージとデザインを編み集め、多くの人に届ける グーテンベルク オーケストラ 菅付雅信」の中で「今は3号目の編集真っ最中だという。」と紹介されてからも3年近くが経過しようとしている。ところで、菅付氏が2022年4月から教授として勤務している東北芸術工科大学の教員検索による「菅付雅信」では、プロフィールに「英語テキストの不定期刊カルチャーマガジン『ESP Cultural Magazine』編集長」とあり、同誌は広くアナウンスされないままにいつの間にか不定期刊になっていたようだ。とはいえ、前号の発行から3年半近くを経ても次号が発行されないのは、「不定期刊」の雑誌としてでさえ異例のことであろう。

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5. 注釈: 誌名について

当該雑誌の正式名称は「Esperanto Culture Magazine」(エスペラントカルチャーマガジン)であるという。確かに創刊号の背にはそのように表記されている。グーテンベルクオーケストラ社代表も2020年12月末以降はそう表記することが多いようだ。

しかし、創刊号の表紙に大きく記されているのは「esperanto」であり、「Esperanto issue 1」との号数表記もある。創刊の趣旨を述べたとされるEDITOR'S LETTERでもEsperantoと複数回にわたって書いている

また、創刊前後のグーテンベルクオーケストラ社代表菅付雅信や公式のツイッター(@MASAMEGURO, @esperanto_c)はほぼ一貫して「『ESPERANTO』(エスペラント)」と表記していた。

この間の12月18日には「英語テキストの世界市民向け新カルチャー・マガジン『ESPERANTO』が示すヴィジョン」と題するイベントを開いていた。

同誌の関連活動であるエスペラントカルチャーコミュニティのサイトの「Esperanto Culture Communityとは」では、前節での引用のとおり、誌名を「『ESPERANTO』(エスペラント)」と表示し、「『ESPERANTO』の副題は「Culture Magazine for Whole Earth Citizens」です」と付記している。

下の資料欄に掲げたメディアの報道などでも創刊前後には一致して「ESPERANTO」がタイトルとして表示されている。2021年1月下旬にも「エスペラント」と表記する書店情報がある。これらの一致した表記は、常識的に考えて、グーテンベルクオーケストラ社側から提供された資料に基づいているはずである。正式名称とは相違するとして、グーテンベルクオーケストラ社代表側から訂正の申し入れがなされた形跡は見られない。

2021年2月18日づけで誌名を「ESPERANTO」と紹介するウェブマガジン記事(「英語テキストのカルチャーマガジン「ESPERANTO」創刊」 (PICTURES 2021.2.18) [『ガジェット通信』再録 (2021.2.18)])が新たに公開された。この記事は2月22日に<情報>【英語テキストのカルチャーマガジン「ESPERANTO」創刊】」としてtwitter投稿されてもいる。6月になってさえなお、誌名を『esperanto』と表記する、書店のtwitter投稿が見られるが、菅付氏は書店に対して明示的に訂正を申し入れていない。

2021年4月に発行された第2号について、誌名を『ESP Esperanto Culture magazine』と表記する書店の案内がある。このような混乱は、発行元が誌名の変更についての十分な説明を怠っていることに起因するものとしか考えられない。

このように多くの資料が示しているとおり、同誌が創刊前後には「esperanto」を名乗っていたことはまぎれもない事実であり、また、明らかに他者にもそう称するよう誘引していた。2020年12月30日以前に対外的に「Esperanto Culture Magazine」と名乗っていたことを示す資料はほとんど見受けられない。百歩譲って、当初から正式名称が「Esperanto Culture Magazine」であったとして、少なくとも公式の略称としては「esperanto」と名乗っていたのである。本文書ではこれに基づいた表記を継続する。

6. 結論: 事象の評価

「エスペラント」はザメンホフの提唱から共同体が成立した国際語を指す固有名詞である。その根幹は、特定の国家や民族と結びついていない国際語エスペラントを使用するというところにある。その考えをともにする者たちによって、エスペラントの共同体が作られ、文化が形成されてきた。それはザメンホフの死後100年以上を経て、受け継がれている。

当該雑誌の企画自体は関知するところではないが、2020年末において、全文英語で書かれていて、既存のエスペラント文化、エスペラント共同体との関りがまったくない雑誌をesperantoと名づけ、それに関連した活動を「エスペラントカルチャーコミュニティ」と呼ぶことは、不可解な名称であり、混乱をもたらすものであった。エスペラントを尊重するようなそぶりを見せつつ、実際には混乱を蒙る側に対する配慮を微塵も示さない無礼な振る舞いであった。

英語が「地球語」とさえ呼ばれてさまざまな分野で広く使用されているという現状は、それが政治的・経済的・軍事的な強大国家と結びついていることと無縁ではない。この現状をどう捉えるかにはさまざまな見方がありうるだろうが、現状を自明の前提として少しも疑うことなく無自覚的・無批判的に受容し、結果としてそのさらなる拡大を助長しようとする姿勢は、ザメンホフの思想とは反するものである。(なお、多言語主義ないし関連の事項については、当サイト内の「言語の多様性と少数言語の権利について」をご覧いただきたい。)

当該雑誌に関連するコミュニティなるものが英語のみを使って世界とつながろうとした点で、ザメンホフの思想とは相いれない。ザメンホフやエスペラントの精神・思想に共鳴したと称するとすれば、自己撞着であり、正気の沙汰とは思えない。既存のエスペラント共同体に対して敬意を欠いており、侮辱とすら言える。

目的に「英語力を鍛え」と掲げるコミュニティが「エスペラントカルチャーコミュニティ」を名乗るなど、悪い冗談、無神経、悪趣味、グロテスク、支離滅裂、醜悪、傲慢、愚行、蛮行、愚挙、暴挙、噴飯物、お笑い草、滑稽、珍妙、唖然、茫然、恥知らず、鉄面皮、厚顔無恥、荒唐無稽、破廉恥であり、センスが悪くて、臍が茶を沸かしてしまう。

グーテンベルクオーケストラ社刊"esperanto"誌の命名とその背後にある姿勢に対して、[2021年1月4日づけで]後藤斉は強烈な違和感を表明するものである。

その後、2021年2月8日づけの声明文において、グーテンベルクオーケストラ社が日本エスペラント協会の要望を受けて『Esperanto Culture Magazine』の名称を変更し、オンライン・サロン「Esperanto Culture Community」を中止する旨を発表したことには、敬意を表したい。4月に入ってからのアナウンスでは、第2号から『ESP Cultural Magazine』に誌名を改め、世界市民のためのプラットフォームを作り続けることを目指すのだと述べた。菅付氏は勝手な「ザメンホフの思想への共鳴」を空回りさせて、関係者に迷惑を振りまいたということになろう。彼がこの件からなんらかの有益な知見や教訓を得たのであればよいのだが……

第2号発行以降に関係の活動をまったく停止させたかに見える経緯を考えると、結局、グーテンベルクオーケストラ社の2021年2月8日づけ日本エスエペラント協会[ママ]宛て声明文において「国際的なコミュニケーションと文化交流を促進するという大きな理念をJEIと共有し、今後友好的かつ協力的な関係を築いていくことをここに宣言する。」と述べた文言がいかほどの内実を伴うものであったかについては、深い疑念を感じざるをえない。

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7. 資料

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8. 参考サイト

9. 雑誌等記事

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10. 本サイト内のエスペラント文化関連コンテンツ

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