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柴田巌・後藤斉編,峰芳隆監修『日本エスペラント運動人名事典』

Biografia Leksikono de la Esperanto-Movado en Japanio

ひつじ書房, 2013.
ISBN978-4-89476-664-8.
本体\15,000+税
A5判上製カバー装 函入り
xviii + 653ページ
2013年10月刊

国際語エスペラントの125年以上の歴史の中で、それを使い、広めるための運動は日本においても多彩に展開された。加わった人の多くは無名であるが、吉野作造、柳田國男、宮沢賢治、梅棹忠夫などの著名人も含まれる。本書は2867人の物故者を取り上げ、その全体像とエスペラントに関連した活動や著作を紹介する。歴史的事実としてのエスペラントを記述し、エスペラントの位置づけに新たな視点を提示する。国際交流のなかで言語問題にどう対処してきたか、真の国際化はどうあるべきかを探る模索の記録でもある。巻末には人名索引も掲載し、人と人のエスペラントに関連した結びつきを示した。エスペランティストはもちろん、それ以外の人にも読んでほしい。


書評

受賞

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収録人物中の著名人

こんな人もちらっと


まえがき


ちらし
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1984年に刊行された田中貞美・峰芳隆・宮本正男編の『日本エスペラント運動人名小事典』(日本エスペラント図書刊行会. 以下『小事典』と略す)は,新書判本文120ページという小冊子ながら,エスペラント運動に積極的に関わった主要人物の経歴をまとめた事典として類書のないこともあって,エスペランティスト以外からも好評を受け,短期間で売り切れになった。本書は,それを受けつぎつつ,収録対象や記述内容を大幅に拡充した改訂増補版に相当する。もはや「小」を冠する必要がなくなったものと考え,新たに『日本エスペラント運動人名事典』と題することになった。

エスペラント運動は際立った性質を備えた文化運動である。1887年にザメンホフにより特定の民族集団に属さない国際語としてエスペラントが提案されると,早くにそれを使う一定規模の集団―言語共同体―が形成された。それは,自分の母語に加えて,自由意思によりエスペラントを選択して学習して,母語を異にする人との間でのコミュニケーションに使用するという,共通の意思と行動を基礎にして,国や民族の境を越えてゆるやかに結ばれている。

エスペラントは「人工語」として理念の面において語られることが多い。エスペラントの実際を知らない人が,想像と推測のみに基づいて,あるいはせいぜい付け焼刃の断片的な知識に尾鰭をつけるようにして,エスペラントを論じることは,しばしば見受けられる現象である。一方,エスペランティストの中にも,定型化された文言を繰り返すだけの人は少なくない。

「エスペラント運動」は,往々にして,エスペラントの普及活動ないし組織運営活動と同一視されがちであった。それに対して,精神科医でシャーロック・ホームズ研究家としても知られたエスペランティスト小林司はこれをより広く捉えるよう提唱した。それによれば,エスペラント運動とは「外部と自己に対するエスペラントのすすめと働きかけ」と規定され,その中に個人レベルと社会レベルの二つの単位において,それぞれ「広める,深める,使う,変える」の4つの側面があることになる。本書においても「エスペラント運動」を多面的にかつ広く捉える。

世界のエスペランティストたちは,エスペラントをより効果的なものにするために,数世代にわたって多くの試みを積み重ねてきた。出版,定期刊行物の発行,規模や性格の異なる諸団体,大小の大会・シンポジウム・集会・合宿ほかの催し,さらに人的接触や情報交換を活発にするための様々な仕組みなどである。125年以上に及ぶその営みは,エスペラントの言語共同体に特徴的な要素を多く含んでおり,エスペランティストの多くに共有されている。これを「文化」と呼ぶことは決して不当でない。

日本に限ってみても,この間にエスペラントを使って行われた活動,エスペラントのために行われた活動,その他エスペラントを契機として行われた活動はきわめて多彩である。それに加わった人々も数多い。

そのような歴史的事実としてのエスペラント運動を,人物を単位として記述することが本事典の目的である。原則として2013年初めまでの物故者を対象として,その人の全体像の概要を伝えるとともに,特にエスペラントに関連して行われた活動を事実に基づいて,なるべく具体的に紹介するよう努めた。著名人については,一般的な人名事典から容易に得られる種類の情報は略述するにとどめたが,国際的な活動や言語への関心など,エスペラントとの関連が推測できる事柄については注意を払うようにした。


推薦文 (佐高信、宝井琴桜、
馬場マコト、平出隆、米沢富美子)
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関西エスペラント連盟(日本エスペラント図書刊行会はその出版部門)には『小事典』が品切れになってからも注文が寄せられ,再刊を要望する声も聞こえていた。しかし,内容に関して修正や増補の必要が早くから感じられていたため,編者の一人であった峰芳隆が1988年から調査を再開していた。

2006年の日本エスペラント運動百周年を前にして,関西エスペラント連盟は記念事業として改訂増補版を刊行することを決め,2005年にその編纂作業を柴田巌に委託した。柴田は平和学と日中関係史を研究するなかでエスペラントへ関心を広げていたが,峰と連絡をとって改訂増補版のための調査執筆活動を実質的にはすでに始めていたのであった。柴田は意欲的な編纂方針を設定し,峰の助言を受けつつ精力的な編纂活動を進めた。

2006年後半には後藤斉が恒常的な協力者として加わった。後藤は言語学者として『エスペラント日本語辞典』(日本エスペラント学会, 2006)に編集副主幹として参画しつつ,エスペラントの言語運用の実態にも関心を深めていた。『エスペラント日本語辞典』が完成を見たことで,協力が可能になった。

大幅な増補を目標としたため百周年記念事業としての時期は失してしまったが,柴田を中心とした調査執筆活動は完成に向かって順調に進みつつあった。しかし,そのさなかの2008年に柴田は肺癌に倒れ,2010年に不帰の客となった。

遺言として柴田から本事典の後事を託された後藤は,峰の助言を得ながら,原稿と資料を引き継いで柴田の編纂方針に基づいて調査執筆活動を継続した。柴田から引き継いだ原稿はすでに相当の量に達しており,これにおおむね1割を付け加えれば完成するだろうと見積もられた。そのまま完成に至らせることも可能であったろう。

2011年3月11日に起きた東日本大震災では,後藤も被災した。自身も周囲においても大きな被害を受けたというほどではなかったが,相当の期間にわたって不便と不安の生活を送らねばならなかった。後藤にとっても比較的身近な地域が壊滅的な打撃を受け,多数の死者・行方不明者を出したことは,原発事故とともに,重苦しい現実であった。

そのような非常事態の中で世界のエスペランティストから示された様々な形での配慮は,後藤にエスペラントの意義を再認識させることになった。国際語エスペラントが作り出してきたエスペラントならではの人々のつながりについてである。

この観点から原稿を見直すと,不十分な点が目立つように後藤には思えた。そこで,国や民族の境を越えて人々をつなぐ言語としてエスペラントが現実に果たしてきた役割をよりよく反映できるように,原稿全体の記述を見直し,充実を図ることを決意した。そのために2012年度には勤務大学から研究休暇を取得して多くの時間と精力をこれに充て,刊行を2013年10月の第100回日本エスペラント大会に合わせるべく作業を進めた。

このようにして出来上がったのが本書である。「柴田巌・後藤斉編」と表記したが,上述の経緯によって一般的な共編書とは事情が異なる。本文のおおむね三分の二が柴田が執筆した部分にあたり,その寄与の大きさから第一編者としてふさわしい。後藤は残りの部分を執筆しただけでなく,柴田の執筆部分にもかなりの加筆修正を施し,さらに全体の調整を行った。柴田が調査した一次史料を再検討するまでの余裕はなかったが,柴田が物故していることもあり,本書全体についての最終的な責任は後藤が負うものである。

本事典の編纂方針として,物故者を対象に,氏名,生没年月日,出身地,主な学歴,別名(旧姓・筆名など),事績(主な経歴とエスペラント活動歴),著作,参考文献を記載する。対象は狭い意味のエスペランティストに限定せず,側面からまた外部から積極的に関係した人をも含むものとする。

この方針は『小事典』と根本的に異なるわけではない。しかし,収録人数は大きく増加している。『小事典』刊行以後に没した人を含めただけでなく,それに漏れていた名前を数多く拾い上げ,さらに「外部から積極的に関係した人」の解釈を拡大したためでもある。

また,『小事典』では記述において簡潔を旨としていたのに対し,本事典では記述の具体化,詳細化を図った。特にエスペラント活動歴,著作,参考文献の欄の記述を大幅に充実させ,エスペラント運動に大きな貢献をなした人や他の分野においても特徴的な活動をなした人には相応の記述量を充てるようにした。また,重要人物については,可能な範囲において,時代背景の中での位置づけ,それぞれの人生におけるエスペラントの意義,人と人とのつながりを描きだそうとするとともに,没後に及ぼした影響にも触れた。

記述にあたっては社会状況などを踏まえた上での重要度を考慮している。その時々に際立った活動はできるだけ具体的に記述する一方で,極めて日常的に行われた活動などは積極的な記述の対象にはならない。例えば,戦前における海外旅行はそれだけで特筆に値する活動であるが,1960年代半ばに海外旅行が自由化された以降においてはそうではない。来訪外国人との交歓も同様である。外形的に類似した活動であっても,一貫して類似した記述をすることにはならない。

著作の欄については,当該人物の全体像およびエスペラント活動を代表するものを中心として,著書,編著,雑誌寄稿,翻訳などを挙げた。決して網羅的なリストではないが,その関心や発表媒体の広がりなどがよく表わされるように選ぼうとしている。著作の少ない人物においては,新聞雑誌の「読者の声」欄への投稿など瑣末な文章を含むことがある。

参考文献については,編纂において実際に参考にした文献や当該人物に関してさらに知ろうとする読者にとって有益と思われる文献を挙げた。時として本事典と見解を異にし,あるいは部分的には記述に問題があると考えられる文献を含むことがある。当該の人物に対する多方面からの関心を示すことを意図している。

『日本エスペラント運動人名事典』である以上,日本における,また日本人によるエスペラント運動が記述の対象である。朝鮮,台湾,満洲などの旧領有地等における活動を含みうるが,記述はほぼ日本人,ないし日本との密接な関係の下に活動した人に限られることになった。それを越える部分については,韓国エスペラント運動史や台湾エスペラント運動史に委ねるのが適切であろう。

外国人は,原則として,日本におおむね数週間以上滞在し,日本のエスペラント運動に相当の寄与をした人物を対象に含めることとし,短期的な旅行者は採らない。例外的に滞日歴のない人を数人採り上げたが,いずれにせよ外国人については日本との関係に記述の重点を置く。


組み見本
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編者として,本書の編纂には時間の許す限り最善を尽くしたものと考えている。しかし,資料と調査活動の限界から,また最終的には紙幅の制約から,本事典に十分に記述することができなかった事実が相当に残っていることは否定できない。

本事典の潜在的な収録対象者,すなわち日本のエスペラント運動になんらかの形で関係した人は,実際に収録できた人の数十倍を下らないであろう。しかし,その大部分は「参加者○名」という記録に埋没しており,せいぜい種々の名簿に名前が残るだけであって,実際の活動ぶりや経歴全般が不明である。エスペラントに関して著作を物した人の中にさえ,その他の事績が不明であるため収録にいたらなかった人物は少なくない。

対象者の大部分は世間的な基準から言えば無名の人である。そのため,同時代に記録に残された範囲を越える情報を求めようとしても,縁者を探すことも文献に頼ることも極めて困難なケースが大半である。また,個人として行われるエスペラント活動は,そもそも広く報告されて記録にとどめられるとは限らない。収録できた人の多くについて,その基本的な情報や具体的なエスペラント活動を十分に記述することができない状態に留まっている。

とりわけ残念なのは,国際的な活動―国際団体における活動,外国訪問中の活動,外国人との交流,外国雑誌への寄稿など―について至らない点が多いことである。エスペラントが国際語である以上,この種の活動について委細を尽くしたいところではあるが,徹底した調査を行うことは不可能であった。

一方において,日本エスペラント協会図書館には,長期にわたる多数の一次史料が残されている。地方や専門分野ごとのエスペラント会の機関誌類(古いものの多くはガリ版刷り)も多く,そこには草の根のエスペラント運動に関する細々とした情報が膨大な量で含まれている。しかし,それらを咀嚼して系統的に記述に生かすことも,編者の能力を超えていた。

国語学者寿岳章子は父寿岳文章との対談の中で「市井の人々がどう受け止めて自分のライフヒストリーとどう絡ませてエスペラントが書き残されているかをやればおもしろい」(寿岳文章・寿岳章子『父と娘の歳月』人文書院, 1988)と述べていた。その願望に近い記述が可能であったのは,例外的な好条件にある,限られた数の人物に対してのみであった,と言わざるをえないであろう。

その意味で,残念ながら,本事典は決定版ではない。編者としては,これがさらなる歴史的事実の調査と再評価につながるであろうことを期待したい。

本事典の編纂には,監修者峰芳隆から折に触れて助言を受けながら,編者の二人がそれぞれ中心となってあたったのであるが,多方面からの協力に負うところも大きい。個別の項目への協力者は,各項目の末尾に記載しておいた。中には,単なる情報提供を越えた関係を編者と結んでくださった方も少なくなく,編纂において大きな励みとなった。

そのほか,東北大学大学院文学研究科言語学研究室の留学生諸氏には,中国および韓国の史料の読解を助けていただいた。ほかに執筆の中間段階で,森川多聞氏(当時東北大学大学院文学研究科専門研究員)から近代日本思想史の立場から意見を受けた。また,原稿がほぼ出来上がった段階で,石野良夫,蒲豊彦,北川昭二,染川隆俊,手塚登士雄,硲大福,三浦伸夫の各氏から様々なご指摘やご教示を受けることができ,記述の精度を向上させるのに有益であった。記して感謝申し上げる。

仙台エスペラント会の所蔵資料,とりわけ菅原慶一文庫を自由に使える便宜は,歴史を本職としない筆者が日本エスペラント運動史の概略を把握するにあたり,この上なくありがたいものであった。日本エスペラント協会図書館の所蔵資料も大いに利用させていただいた。

東北大学大学院文学研究科には,本書の編纂のために2012年度に研究休暇の取得を認めていただいた。深く感謝するとともに,一年間,とりわけ言語学研究室の教員と学生の諸氏には,多大なるご迷惑をお掛けすることになったことをお詫びしたい。

本事典の中心的な目的は,上述の通り,個々の人物の活動を記録することであるが,それを全体として眺めた場合には,日本近現代史の中でのエスペラントの位置づけが見えてくるであろう。エスペラントは大きな役割を果たしたとまで言うことはできないが,様々な分野で多くの役割を果たしたとは言えるのではなかろうか。

評論家石堂清倫は大島義夫・宮本正男『反体制エスペラント運動史』新版(三省堂, 1987)について「不当に低く見られたエスペラントとその運動の日本の文化の中での位置づけを直すには,どうしてもこの本が必要であった」と著者に書き伝えたという。本書によってそれを別の視点から補うことができるとするならば,編者としてこの上ない喜びである。

2013年7月26日
後藤 斉


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