各教員紹介

石原謙 [1882年-1976年]

1882年8月1日 東京市本郷区本郷生まれ
1904年7月 東京帝国大学文科大学史学科入学
1905年9月 東京帝国大学文科大学哲学科転科
1907年7月 同上卒業、大学院進学
1917年10月 早稲田大学大学部文科講師
1918年9月 東京帝国大学文科大学講師
1921年4月 文学博士、文部省在外研究員としてヨーロッパ留学(ハイデルベルクなど)
1921年8月 東京帝国大学助教授
1924年7月 東北帝国大学教授就任、法文学部哲学第二講座担当
オイゲン・ヘリゲルと交流(ドイツ神秘主義研究)
1934年10月 東北帝国大学法文学部長(1937年7月まで)
1936年11月 カール・レーヴィットを東北帝国大学に招聘
1940年9月 東北帝国大学退職
1940年12月 東京女子大学学長就任
1976年7月4日 死没

石原謙の事績

 1882年生まれ、1976年没。キリスト教哲学・思想の研究に従事した。なお、物理学者の石原純(1881年〜1947年:東北帝国大学理科大学に1911年から21年まで在籍)は兄に当たる。

 石原の東北帝国大学との関係は、1924年にはじまる。彼は文部省在外研究員として21年4月から23年までヨーロッパ留学の途につき(ハイデルベルク、バーゼル、ロンドンなどに滞在)、同年10月に帰国。翌24年7月に東北帝国大学に招かれ、法文学部第二講座を担当することになった。その後、彼は足掛け十六年半を仙台で過ごすことになる。

 石原の仙台時代のはじまりは、ハイデルベルクで交流のあったオイゲン・ヘリゲル(Eugen Herrigel:1884年〜1955年)とともにあったと言えるかもしれない。ヘリゲルは『日本の弓術』『弓と禅』などで著名な哲学者。24年から29年にかけて東北帝国大学に滞在し、哲学を教授するかたわら弓道の修練に努めた。そのヘリゲルが日本にやって来るとの報を受け、石原は23年4月に神戸まで迎えに行った。5月にはともに仙台を訪れており、これが石原本人にとって就職の挨拶代わりにもなったらしい。長い親交があっただけに、両者の仲は良好であった。実は、ヘルゲルの妻は来仙まもなく急死している。石原は深い悲嘆に陥ったこのドイツ人哲学者を、郊外の散歩に連れ出したり、写真撮影の趣味に付き合うなどして慰めたという。やがて、ふたりの仲は研究の面でも密接なものになっていく。特に南ドイツ出身のヘリゲルが中高ドイツ語に親しみを覚えていたこともあり、石原はエックハルト説教集の読書会を提案。ドイツ神秘思想における重要人物であるエックハルトへの理解を徐々に深めていった(『石原謙著作集』十一巻、66頁以下)。この読書会が機縁となって、石原はドイツ神秘思想に関する多くの研究業績を残すことになる。27年の「エックハルトの著作本文に就て」(『思想』64号)、28年の「独逸神秘主義」(『岩波講座 世界思潮』)にはじまり、35年の「エックハルトに於けるFrutio Deiの思想」(『東北帝国大学法文学部十周年記念 哲学論集』)にまで至る一連の論文がそれである。以上のことからすると、石原のドイツ神秘思想研究を理解するには、ヘリゲルとの影響関係を考慮に入れる必要があるかもしれない。

 ところで、同じ頃、石原はマルティン・ルターにも関心を抱くようになっていた。ドイツにおける精神史を適切に理解するには、神秘思想と並んで宗教改革の意義を適切に理解しなければならないと思われたためである。その成果は、33年のルター『基督者の自由』、39年の同『信仰要義』の翻訳として結実した。加えて、そもそもルターが宗教改革に着手した経緯を明らかにするために、キリスト教史一般、とりわけカトリック教会成立のプロセスについての研究も開始。これが機縁となって、34年の『基督教史』が成立した。以上のように、仙台時代の石原によるキリスト教研究は、ある種の内的な一貫性に導かれて多方面へと発展していったことがわかる。

 石原は信仰の面でも活動的であった。彼は自宅に学生を招いて聖書講読を進めるなどしていたが、36年1月には私財を投じて東北帝国大学基督教青年会寮を設立。これが現在の東北大学YMCA渓水寮のもとになった。

 最後に、石原の公的な仕事についてもひとことしておく。彼は34年に高橋里美のあとを継いで法文学部長に就任したのだが、この時期の仕事として最も注目すべきはカール・レーヴィットの招聘であろう。レーヴィットの来日が九鬼周造の斡旋によることはよく知られているが、実務の面では石原が私信にてレーヴィットの内諾を得、その後の手続きを進めたのである。レーヴィットは36年11月に神戸に到着、河野与一が迎えに行き、石原は東京から同道した。この間、ドイツ大使館からユダヤ人雇用に関する抗議を受けた文部省が有形無形の圧力をかけてきたらしいが、これを跳ねのけることで招聘は実現されたのである(『石原謙著作集』十一巻、76頁以下)。


著作・参考文献

代表的な著作

  • 『ギリシヤ人の哲学思想』、日本評論社、1928年。
  • 『基督教史』、岩波全書、1934年。
  • 『新約聖書』、岩波書店、1935年。
  • 『ロマ書抄解:ロマ書に於けるパウロ』、長崎書店、1937年。
  • 『石原謙著作集』全十一巻、岩波書店、1978-79年。
  • (翻訳)マルティン・ルター『基督者の自由』、岩波文庫、1933年。
  • (翻訳)マルティン・ルター『信仰要義』、岩波書店、1939年。

参考文献

  • 『石原謙著作集 第十一巻 回想・評伝・小論』、岩波書店、1979年。
  • 山本和(編)『歴史の神学 シンポジウム』、創文社、1984年。
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