各教員紹介

カール・レーヴィット
[Karl Löwith 1897年-1973年]

1897年1月7日 ミュンヘン生まれ
1936年11月 東北帝国大学招聘
哲学第三講座および独文の外国人講師として授業を担当する。
1941年2月 東北帝国大学退職
渡米後、ハートフォード神学校
ニュースクール・フォー・ソーシャル・リサーチ
1952年 ハイデルベルク大学
1973年 死没

カール・レーヴィットの事績

 1897年生まれ、1973年没。マルティン・ハイデガーの高弟であったユダヤ系ドイツ人哲学者。ハイデガー哲学を批判的に摂取した独自の哲学的人間学の彫琢につとめ、また十九世紀ドイツ哲学・思想の歴史的研究に携わった。

 レーヴィットが東北帝国大学にやってきたのは、ナチス・ドイツによるユダヤ人への迫害を避けてのことであった。1933年にドイツでナチス政権が誕生すると、彼は翌34年にイタリア・ローマへ脱出。そこでいくつかの重要な仕事(『ヤーコプ・ブルクハルト』(36年)、『ニーチェの永遠回帰の哲学』(36年)、論文「政治的決断主義」(35年)におけるカール・シュミット批判など)を残したのち、知人であった日本人哲学者九鬼周造の斡旋により東北帝国大学に職を得た。

 来仙は36年11月18日、受け入れ側の責任者は石原謙。哲学研究室とドイツ文学研究室での講義を担当した。当時学生であった中川秀恭(1908年〜2009年:35年入学、レーヴィットに師事。のちに北海道大学教授、北海道教育大学学長、国際基督教大学学長)の回想によると、レーヴィットは11月27日からただちに講義を開始、講義題目は「マックス・シェーラーの哲学」であったとのことである(中川秀恭『行く手遥か:航海いまだ途上にあり』、28頁)。同年12月20日には、着任講演 “Die Idee von Europa in der deutschen Philosophie der Geschichte” を行う。講演原稿は齋藤信治の手により「獨逸の歴史哲學に於ける欧羅巴のイデー」というタイトルで翻訳され、翌37年に『文化』第四巻(東北帝国大学文科会)に掲載された。のちに原稿の一部が改変され、『ヘーゲルからニーチェへ』第一部第一章に組み込まれることになる。レーヴィットは同講演の最後に、現代の「教養人」たちが宗教的・社会的・政治的なドグマを恃んで研究と認識の自由を制限していることを非難し、文化研究の重要性を称揚するという厳しい姿勢を見せている。時代状況に対する鋭い批評であったと言えよう。

 仙台での住居は、片平丁にあった大学の官舎であった。マールブルクでの家具をそのまま持ち込めたので、心やすい生活を送れたと回想している(『ナチズムと私の生活』、181頁以下)。夏場は宮城県七ヶ浜町にある高山外国人避暑地で過ごす機会があったようであるが、梅雨の時期に海辺で過ごすことの辛さが河野与一宛の書簡(東北大学史料館収蔵)に綴られている。このほかにも、軽井沢への滞在や北京への旅行の記録が残っており、国内外のさまざまなところに足を伸ばしていた様子が窺える。また、東京帝国大学での講演(37年10月)や京都帝国大学での集中講義(37年11月1日から二週間)に見られるように、日本の学術界との交流を積極的に試みたようである。これらの講演・講義で語られたこともまた、邦訳のうえ各雑誌や紀要に掲載されて、日本の読者のもとに届けられた。たとえば、市民社会の思想史を取り扱った京大での集中講義の原稿は、柴田治三郎の手により翻訳され、岩波書店から出ていた『思想』38年11月・12月号に掲載された。なお、この原稿もやはり、改変のうえ『ヘーゲルからニーチェへ』第二部第一章に組み込まれた。

 上記のことからもわかるように、東北帝国大学におけるレーヴィットの研究活動は、おおむね『ヘーゲルからニーチェへ』の執筆へと集約されていったと言ってよい。在籍期間中の講義には、Die deutsche Philosophie von Hegel bis Nietzsche(「ヘーゲルからニーチェに至るドイツ哲学)というタイトルのものがいくつか並んでおり、くだんの著作のもとになったものと推察できる。40年の講義目録を見ると、ハイデガーの『存在と時間』をテクストにして時間論を扱った講義が行われているが、これなどは恐らく、同著第一部第五章に対応しているのであろう。なお、この年は高橋里美も並行して『存在と時間』をテクストにした講義を行っており、両者のあいだでどのような対話が交わされたのか興味が尽きない。

エラスムス像の切り抜き

 レーヴィットが1941年に仙台を離れるに当たって残したデューラーによるエラスムス像の切り抜き。額に収められており、額の裏書に、「Herrn T. Igarashi zum Abschied von Sendai Karl Löwith Febr. 1941」とある。なお、レーヴィットの離仙に当たり引越しの手伝いに来た元学生にIgarashiという人物がいる(Von Rom nach Sendai. Von Japan nach Amerika, S.99)。


著作・参考文献

代表的な著作

  • Das Individuum in der Rolle des Mitmenschen, Drei Masken Verlag, 1928.(『共同存在の現象学』、熊野純彦訳、岩波文庫、2008年。)
  • Von Hegel bis Nietzsche, Europa Verlag, 1941.(『ヘーゲルからニーチェへ』上・下、三島憲一訳、岩波文庫、2015年。)

参考文献

  • Enrico Donaggio, Karl Löwith: eine philosophische Biographie, J. B. Metzler, 2021.
  • Löwith, Mein Leben in Deutschland vor und nach 1933, J. B. Metzler, 1986 / 2007.(『ナチズムと私の生活』、秋間実訳、法政大学出版局、1990年。)
  • Löwith, Von Rom nach Sendai. Von Japan nach Amerika: Reisetagebuch 1936 und 1941, (hg.) Klaus Stichweh und Ulrich von Bülow, Deutsche Schillergesellschaft Marbach, 2001.
  • 高田康成『クリティカル・モーメント』、名古屋大学出版会、2010年。(Von Rom nach Sendai. Von Japan nach Amerikaの抄訳が掲載されている。)
  • 中川秀恭『行く手遥か:航海いまだ途上にあり』、文藝春秋企画出版部、2005年。
ページの先頭へ