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東北社会学研究会

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2020年度東北社会学研究会大会「パンデミックの経験とコミュニケーション」のご案内

シンポジウムの趣旨のご説明 


 新型コロナ感染症のかくも急速・広範な蔓延はもとよりグローバリゼーションの申し子であって現代社会の構造に骨がらみの事象である。さらに日本では、いわゆる感染防止と経済の両立困難、あるいは対策の無さ・スピードの無さというのも、単に未知・未経験・問題の大きさ・担当者の無能といった事情に由来するばかりではなく、積年にわたる新自由主義の追求とその行き詰まりや腐敗が、対策を阻害し、問題をより深刻なものにしていると言えるだろう。その内実を抜きにした対策vs.経済の二分法という枠組みでの「経済を回せ」言説が、現レジームによる民主的手続きの軽視・無視・敵視を正当化さえしている。パンデミックに関する一般化された考察もむろん重要だが、現象形態は多様なのであって、一般論と結び合って今日の日本社会における新コロナ禍の具体的な性質をつかみとらなければならない。
その深刻な危機のさなかで「経験とコミュニケーション」とは、あるいは呑気なテーマ設定と見なされるかもしれない。しかし、そうではなく、これは「社会」の存立と実質にかかわる論題である。それもまた一般論と交差しつつ具体の吟味を必要としている。
身近なところから挙げれば、これを企画している2020年8月上旬現在、私の職場では自室に立ち入るにも厳格な対策を求められ、新入生は入学したはずの大学に立ち入ることもできぬままオンライン授業と向かい合っている。その他方で国の政策に関する議論がGo Toキャンペーンの是非であるとは、その政策の経済的必要性如何とはまた別に、自己のリアリティ感覚を揺さぶられる不協和の経験である。同一大学の新入生と上級生の間ですら、もはや大学経験が全く異なる。その中で私たちは今後の大学やゼミのあり方を考えてゆかねばならない。このように新コロナ禍は、政治や行政機構や経済の組織といった相における社会を攪乱しているばかりではなく、境遇の交換や理解の通用といったコミュニケーションの成否そのものをも大いに動揺させている。
自明な日常のこの解体と差異の露呈・創出が、分断を深めてゆくのか、それとも新たなコミュニケーションの回路と作法を生み出してゆくのか。それが人々の推論の方法や世界像を変えてゆくのか、変えてゆくとしたらどんな方向にか、それともかえって日常への復帰願望が強まるのか。これらの問いは、事実探究の課題であると共に実践的な課題である。
第一に、経験とコミュニケーションという論題は、いわゆる社会化の形式、または相互行為における予期と反応との結び目にあって往々にして暗黙化されている論理なり前提と、関連している。一例に、医者と患者のコミュニケーションが、医療専門職と患者役割との相互行為であるのか、それとも家父長制的な保護や救済という関係であるのかは、連字符社会学的な意味での医療という分野の主題であるばかりではなく、その社会全体の信託・信念の体系、正統性、関連性の構造などを照らし出す主題であろう。
今日、感染の自己責任化や、市民同士の相互監視とレッテル貼り、医療従事者が聖化されると同時にパリア化もされるというスティグマなどは、差別に関する特論的な問題であると同時に、病気になったら医者に行くという私たちが当然視していた行動や制度の前提を揺るがす問題である。他方、新コロナ禍の経験がパンデミックの原義通り「全ての人々」に偶然性の感覚を与え、それゆえの共感関係を生じさせる可能性も無くはあるまい。それとこれとのせめぎあいの過程だと言えるかもしれない。
第二に、経験とコミュニケーションはそれゆえ新しい社会の展望や構想ともかかわる論題である。専門システムは、クライエントの経験が、唯一無二の生きられた時間から科学的で診断的な知の体系へと、その関連性を転換されてしまうことをも含意していた。そこで、それとの対抗関係または補完関係において、類似の境遇にある者同士が安全空間を作って経験を交換するセルフヘルプグループや当事者研究の意義が積極的に追究されてきた。それは、だから専門職とクライエントの間にあった権力作用についての問題提起であるのみならず、制度化された健康-疾病の二分法が含意しがちな無力なクライエント像や健常至上主義に対する異議と代案、より一般的に研究者-対象者二分法に対する反省として、位置づけられてきた。臨床とかケアとはそのような負荷を担う論題だった。しかし、感染症は、そのような経験の交換が前提していた出会いや集いを困難にしてしまうと同時に、当事者はいかにして語りうるかという問い自体を何段階も前に引き戻してしまうだろう。ケアはいま、その実務においても、その含意の提唱においても、困難に直面していると思われる。
さらに懸念されるのは、今日の言説状況が、分断と攻撃性、被傷性を強めていないかということである。日頃からの学習性無力感やカリスマ待望に加え、行政機構と専門システムとメディアが一種の複合体をなし、語っているのは行政の長と専門家ばかりとなって、人々はむしろ声を失っている。忘れられた人々の間では、相互扶助の思想よりも、この状況では少数者や弱者のことを考えている余裕はないといった言説や推論が広がりかねない。配慮や支援の訴えは特権の要求と枠づけられ、むしろジェラシーと憎悪の対象になりつつある。この状況下、政権政党の広報が「進化」という言葉を恣意的に使用し始めているのは、20世紀の悪夢をいくつも招いてきたイデオロギーを再び引き出しかねない危険な兆候である。
第三に、社会的な機能分化ないし分業の進展とともに深まってしまう分離・分断(分業の病理的形態とか社会的世界のセグメンテーション)とその克服にかかわるコミュニケーションという課題もあるだろう。「食と農の社会的分断」はその典型である。生産者と消費者とが単に互いに見えない関係に置かれているばかりではない。両者は利害が対立する関係であるかのように論じられてきた。農の海外委託が消費者にとっての利益であると説かれる一方、食はロマンティックな農の記号でラッピングされ、素朴な農村像が消費されている。スマート化と規模拡大によって苦境が技術的に打開できると信じられている。このような状況において、都市-農村交流、CSAの展開、倫理的消費の提唱などは、社会編成と生活文化の根本に関わる問題提起であったと言える。その試みを、今般の新コロナ禍は困難にしているかもしれない。
ただし、震災後もそうであったが、日頃は不可視となっている社会的ネットワークの積み木歌式の連鎖が、寸断されることによってかえって可視化されることも起こりうる。今回も、休校措置によって給食が止まり、その給食に牛乳を提供していた酪農が苦境に陥ったのを消費者が知って、牛乳を買い支えようとする動きが生じたりした。食と農のことにかぎらず、この危機がより広い社会的視野なり社会学的想像力を喚起してゆくか否か、その可能性はひとつのカギであるように思われる。
第四に、このことは、東日本大震災のような災害や被災地への支援といったテーマにおいても、大きな課題および可能性を示唆するものでもあるだろう。避難所が典型的な三密であったことについては、スフィア基準を参考にした反省を余儀なくされるにちがいない。支援活動もまた、支援者やボランティアが被災地を直に訪問することを前提としていた。それが困難になっているのはもちろん大問題である。しかし、オンライン化の模索が始まっていることからふりかえってみると、その前提がともすれば壁ともなっていたかもしれないことに気づかされる。支援したいけれども種々の条件で出向けない人にとっては有罪観の温床だったかもしれない。被災者が負債の念から迎え入れの労や恩返しを余儀なくされるケースもあった。支配的な言説や場の力学などを考えてみても、対面=善と前提するのはかえって暴力的であったかもしれない、等々、支援に関してこれまで自明視されていた前提について内省する機会を、それは提供しているかもしれない。
――このように「経験とコミュニケーション」という視角から、今般の新コロナ禍という曲がり角に私たちの社会がどのようにして差し掛かり、そこで何が起こっているのか、何がとん挫し、何にどんな可能性が生じうるのか、その角をどの方向にどう曲がろうとしているのか、何をなしうる可能性があり、何をなさねばならいのか、考えてみたい。
もとより、シンポジウム企画としては、他の観点や方法もありうるだろう。現象もまだ進行中である。私たち自身もその中での生活と業務に追われてなかなか考えも進まない。他から、あるいは後からみれば、ピント外れのことをしているかもしれない。企画の責任を予め免除しておくわけにはゆくまいが、しかしそもそも誰も高みの立場にはいられない危険を互いに背負いあうところに学的コミュニケーションの基本があるだろう。登壇者やコメンテーターには、いつにもまして、答えを求めるような態度ではなく、口火を切っていただくことについての敬意をもって接するべきことを、確認しておきたい。経験と課題を各自が各自の持ち場で論理化・言語化してゆく契機となれば幸いである。

  • 日時:2020年12月5日(土)13:30〜16:30 
  • 形式:Google Meetによるオンラインリモート開催

報告者
板倉有紀(福島大学):「コロナ状況が映す個別的ケアの舞台裏と土壌」
中川恵(山形県立米沢女子短期大学):「農と食のコミュニケーションの今後:協同組合を核とした交流・学習会活動の中止を考察する」
松原久(東北大学):「コロナ禍における災害支援の展開とその可能性・課題」

コメンテーター
小松田儀貞(秋田県立大学)
・田中重好(尚絅学院大学)

  • 参加費:無料(お申し込みはsoc-kenkyu*ml.tohoku.ac.jpまで、ご所属とご氏名を明記のうえ、ご連絡いただきますようお願い致します。(*を@に変更)
  • お問い合わせ:東北社会学研究会シンポ問い合わせ窓口 soc-kenkyu*ml.tohoku.ac.jp(*を@に変更)

東北社会学研究会からのお知らせ

東北社会学研究会東北社会学研究会は、新明正道元東北大学教授が戦後長らく公職を追放されていたときに、『社会学研究』の発刊(1950年7月)にあわせて、その弟子たちが作り上げた学術研究団体です。現在では、会員数は200名を越え、全国的に展開しています。

機関雑誌『社会学研究』については、雑誌『社会学研究』のページへ。また、バックナンバーの目次は、すべて『研究』既刊号のページで公開しています。

研究会例会のご案内

日時:未定 決まり次第更新します。

入会のご案内

東北社会学研究会規約をお読みのうえ、下記まで入会申込用紙(kenkyu_admission.pdf(1107))を郵送してください。
推薦者欄は直筆で、お願いいたします。メール添付やファックスでは受け付けられません。なお、推薦者にお心当たりの無い方は、その旨ご連絡下さい。

〒980-8576 仙台市青葉区川内27-1
 東北大学文学部社会学研究室
 東北社会学会研究会
 E-mail:soc-kenkyu*ml.tohoku.ac.jp (*を@に変更)
 Tel & Fax:022-795-6034

東北社会学研究会規約

  1. 本会は「東北社会学研究会」と称し、社会学研究の促進をはかることを目的とする。
  2. 本会はその目的達成のために次の事業を行う。
    1. 機関誌「社会学研究」の発行
    2. 研究会、講演会の開催
    3. その他必要と認められる事業
  3. 本会の会員は本会の目的に賛同し、会員2名以上の推薦があり、運営委員会の承認を得た者とする。
    • 会員は本会の事業に参加し、機関誌「社会学研究」および研究会において、その研究を発表することができる。
    • 会員は機関誌代を含め、年額5,000円を納入しなければならない。
  4. 本会には次の役員をおく。
    • 会長 1名 地区委員 若干名 運営委員 若干名 監事 2名
    • 役員の任期は2年とする。ただし重任は妨げない。
    • 会長は運営委員会において推薦し、総会において承認する。
    • 運営委員は会員中より選出し、総会において承認する。運営委員は運営委員会を構成し、庶務、会計、編集の実務にあたる。
    • 地区委員は支部の運営を担当する。
    • 監事は運営委員会において推薦し、総会において承認する。
  5. 総会は年1回開催する。
    • 総会の議決は出席会員の過半数の賛同によって決するものとする。
  6. 本会の経費は、会費、基金収入、寄付金、その他の収入を持ってこれにあたる。
  7. 本会の事務局を東北大学文学部社会学研究室におく。
  8. 本会は各地に支部をおくことができる。
  9. 本会の規約の変更は、総会の議決を必要とする。

役員・運営委員会構成

  • 会 長

永井彰

  • 監 事

小林一穂 / 大井慈郎

  • 庶務委員

小松丈晃 / 磯崎匡

  • 編集委員

鈴木伸生 / 徳川直人 / 佐久間政広 / 青木聡子 / 本郷正武 / 中川恵 / 松原久 / 上田耕介 / 牛渡亮

  • 会計委員

田代志門 / 高橋知花

歴代会長


最終更新時間:2020年11月24日 11時04分06秒

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