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『エスペラント』(La Revuo Orienta) 第77巻(2009)10月号, pp.6-7. 掲載

de vorto al vorto (4) multa

後藤 斉


multa 「多くの, たくさんの」はエスペラントの基本単語で、エスペラント入門の初めの頃に学ぶはずのものです。だれでも知っているものですが、この単語を出発点にいくつかの単語の使い方をみてみましょう。

multa には、数について言う場合の「多数の」と、量について言う場合の「多量の」とがあります。「多数の」の場合には multaj homoj のように複数になりますが、multa akvoのように「多量の」の場合には複数になりません。複数にできるかどうかは、日本語にはない区別なので、意識しにくいものです。個体として一つ、二つと数えられるものは複数にすることができ、液体など、個体に分かれていない物は複数にしない、というのが基本的な原則です。

ただし、ここでのポイントは物理的に分離しているかどうかではなく、概念化において複数性があるかです。液体だから複数にならないと単純に言えるわけではありません。いろいろな場所に分かれて存在している水であれば、akvoj と複数で言うことは可能です。いろいろな状況、種類などを抽象的に考えている場合も同様です。

danko のような名詞の場合も、理屈から言えば、一回一回の行為と捉えていれば複数にできるし、漠然とした心情としてであれば複数にはしない、ということになるでしょうか。しかし、この違いは微妙なものであって、それほど大きくはないようです。実際、multa danko と multaj dankoj の両方の実例があって、Multa(j) danko(j)n. と直接感謝を表明する場合にも、saluti kun multa(j) danko(j), ŝuldi multa(j)n danko(j)n al iu などのように文の中で使う場合にも、同程度に見られます。

結局のところ、複数になるかならないかについては、原則を押さえた上で、実際には柔軟に使われることもある、と考えておくのがよいでしょう。

multe da homoj と、副詞として使って、前置詞 da で名詞を導くこともできます。数量副詞(multeやkelkeのほかに iom などの相関詞も)は、文の主語や目的語として使える、名詞的な性質をもっており、multe da homoj は multaj homoj と近い意味です。ただ、『エス日』の da の項に説明があるように、multe da homoj は一まとまりになっている場合に使うのが普通です。

なお、multo da jaroj, multo da mono のように名詞として使う例もザメンホフには多く、好んで使う人もいるようですが、必ずしも広く使われているようには見えません。ただ、grandega multo da ... のように、さらに修飾語を付けて強調したい場合などには便利です。

会話や文章の中で物が多いことを伝えたいことはよくあり、その多さを強調したいこともしばしばあります。このため、multa の類義表現は多く、これらをうまく使うことで表現にいろどりを加えることができます。最も簡単なのは、拡大辞 -eg- をつけた multega ですが、そればかりではありません。

abunda「豊富な, おびただしい」は、あり余るほどの多さを表します。abunda rikolto「豊富な収穫」のように好ましい豊かさを表すのが本来的な使い方ですが、abundaj larmoj「おびただしい涙」では好ましさはなく、単に多さを表しています。

また、nekalkulebla「数え切れない」、sennombra「無数の」、multnombra「多数の」、grandkvanta「大量の」など、さまざまな派生語、合成語でも多さを表現できます。

多さを granda nombro [kvanto] da io 「多数[多量]の〜」という句で表現することもできます。さらに、この granda の部分を別の形容詞、例えば maksimuma「最大限の」、mirinda「驚くべき」、rekorda「記録的な」、senfina「際限のない」などとすると、さまざまな含みをもって多数・多量を表す幅広い表現を作ることができます。rekorda nombro da partoprenantoj「記録的な数の参加者」などです。konsiderinda「かなりの」、ne neglektinda「軽視すべきでない」でも、多さを印象づける表現ができます。

この da の前に多数や群れを意味する名詞を使うこともできます。もっとも幅広く使え、実際にもよく使われているのは、amaso です。amaso da homoj, mono など、一ヶ所にかたまっている多くの人や物を指して使いやすいのですが、Ni havas amason da rimedoj. 「方策はたくさんある」のようにそうでない場合にも使えます。

多数や多量をイメージさせる、特定の意味をもっている単語を、比ゆ的に使うこともできます。monto「山」がその代表です。比ゆですから、文字通りの意味を反映して、monto da libroj のように堆積をイメージしやすい場合や monto da postuloj のように乗り越えるべき障害をイメージできる場合に使いやすいのですが、決してそのような場合に限られるわけではありません。

日本語からは少し思い浮かべにくいかもしれませんが、maro も、元の海のイメージに必ずしもとらわれずに、同じような用法でかなり広く使われまています。実例として、maro da homoj, eraroj, floroj, akuzo, protesto などがあります。

一方、svarmoにはミツバチなどのうごめく虫のイメージがかなり強く残っており、svarmo da pensoj とすると「ごちゃごちゃした多くの考え」を表すことになります。このほか、あまり例は多くありませんが、legio「軍団, 大群」を使うこともできます。

multa の反対語はもちろん malmulta 「少数の,少量の」です。接頭辞 mal- が目立ちすぎるのを避けるため、poka と言い換えることもあるようですが、これはそれほど広く使われてはおらず、お薦めはできません。malmulte, malmulto の用法については、類推ができるでしょう。

少なさを表す類義表現のバリエーションは、多さの場合に比べて、目立たないようです。よく使われるのは、iomete da io でしょう。そのほか、malgranda[eta] nombro[kvanto] da ioも広く使われます。形容詞部分を、limigita「限定された」、minimuma「最小限の」などで取り替えて表現することもできます。

少数・少量を強調する名詞もあまりバリエーションがないようです。広く使われているのはguto「しずく」くらいでしょうか。


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