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『エスペラント』(La Revuo Orienta) 第79巻(2011)1月号, pp.15-16. 掲載
動詞fluiの『エス日』での第1義は「流れる」となっています。fluiでも「流れる」でも、まっさきに思い浮かぶのは川の水が動いていくさまなどでしょう。確かに、fluiと「流れる」とは、語義の中心部分ではかなり重なっています。
ただ、日本語では、水そのものだけでなく、水の上を運ばれる木の葉についても「流れる」と言うことができます。「流れる」には予定がとりやめになることを指す語義もありますが、「流れ者」という派生語のことも考え合わせると、不安定さを示唆するところがあるようです。
fluiと「流れる」は、語義の中心部分を離れると、それほど単純に対応するものでもなさそうです。fluiについて少し詳しく見てみましょう。
fluiの主語としてもっとも頻繁に使われているのは、実際、akvo, river(et)o, larmoj「涙」, sango「血」, ŝvito「汗」などの液体類で、aero, ventoなどの気体も見られます。odoro, suno, sunbrilo, radioj「光線」は、空気を介して伝わってくるものなので、ここでは気体に近いと考えていいでしょう。頻度が低くあまり目立ちませんが、salivo「つば」や、テーブルにこぼれたkafoやbieroなどの例も、もちろんあります。このように、中心的な語義ではfluiの主語は液体・気体にほぼ限られているようです。
なお、sangoは、血管を流れている場合も、出血して体表や床の上などを流れている場合も、fluiで表せます。「血液が循環する」というときの専門用語としては、cirkuliという動詞があります。
実際の言語使用の場面では、文字通りの具体的な流れだけに注目するとは限りません。Ankaŭ en mia vejno fluas sango.「私の血管にも血が流れている」は「私はロボットではない、感情を持った人間だ」の意味を含んで使われることもあるでしょう。Fluis sango.は、文脈によっては、より抽象的に「流血の惨事が起きた」の意味で使われることがあります。
Fluis multe da inko.と言ったとしても、インクが瓶からこぼれて流れたとは限りません。多くの人が文章を書いて意見を戦わせたことを、このように表現することがあります。さらに、Fluis multaj larmoj.も、実際に涙を流したかどうかはともかく、「多くの人が嘆き悲しんだ」と受け取ることができます。いくぶん凝っていますが、彩りのある表現です。
fluiの主語としてlarmojが使われている実例はたくさんありますが、Larmo fluis.と言った例はほとんど見当たりません。ただし、Fluis larmo post larmo.「涙が次から次に流れた」ならば可能ですが。これはlarmoの意味が「涙の一滴」であることから来ています。Guto fluis.のように、gutoを主語にした例もほとんど見当たりません。
ここから、動詞fluiの主語として使われる語を特徴づけるのは、単に液体であるということより、連続性であることが推測されます。液体・気体以外についてfluiが使われる場合も、連続性が大きな要因として関わっているようです。
そのような中で比較的目立つのは、主語が音や声、言語表現である場合です。La vortoj fluis el la buŝo.「言葉が口から流れ出た」、Lia parolo fluas dolĉe.「彼の話は甘美に流れる」などです。ほかにlingvaĵo, melodio, muziko, sono, versoj「詩句」などの単語が使われます。
実例はそれほど多くはありませんが、mono, profitoのような財産、miloj da homojなどの人もfluiの主語として使われています。『エス日』の例文に挙げたMono fluas al riĉulo.「金は金持ちのところに流れて行く」は、ザメンホフのProverbaroから採ったものでした。
目に見えないものでもfluiの主語として使うことがあります。penso, informojなどです。また、tempo, tagojなど時間などがどんどん進んでいく場合もそうです。時間の経過を表すには動詞pasiを使うことの方がずっと普通ですが、pasiでは「過ぎ去る」感じが出るのに対して、fluiでは時間の経過が持続的なものと捉えられています。Lia vivo pasis trankvile.では故人の一生を振り返っているように響きますが、Lia vivo fluis trankvile.ではある時点までのその人の人生のことです。この違いは、pasiがアスペクトとして「線結」であるのに対して、fluiが「線」であることと関係しています。
実際の川の流れは途絶えてしまうこともあるでしょうが、fluiという動詞は流れ続けるイメージと強く結びついています。比喩的な語義の場合を含めて、fluiを修飾する副詞としてよく使われるのは、量の多さや激しさ、絶え間なさを表すtorente, rapide, inunde, abunde, senĉeseなどですし、なめらかさを表すfacile, libere, glateなども相性がいいようです。もっとも、状況によっては、flui zigzageと言うこともありますが。
「流れる水」に当たるのは分詞形容詞を使ったfluanta akvoです。fluiから品詞語尾を代えるだけで作る形容詞fluaは、たいてい比喩的な語義で使われていて、しかもほとんどの場合に言語運用に関するなめらかさを表しています。flua Esperanto, lingvaĵo, stilo, traduko、legadoなどです。人についてflua parolanto de Esperantoと言うこともでき、またLi estas flua en Esperanto.という構文でも使われています。副詞flueも同様で、多くの場合、flue (inter)paroli, esprimi sin, skribi, leg(iĝ)iとして使われます。
この反対語としてmalflua, malflueを使うことはきわめてまれです。これは一見すると不思議なようですが、そうではありません。fluiが元にあってそこからflua, flueが派生されているのに対して、malfluiという動詞が使われないために、malflua, malflueが派生されないのです。
言語運用のたどたどしさは、ne flueで表したり、malglate「粗く;ぎくしゃくと」で表したり、あるいはbalbuti「どもる;片言を言う;口ごもりながら話す, たどたどしく話す」やstumbli「つまずく, よろめく;言葉につまる, いいよどむ, 口ごもる」といった動詞およびそこからの派生語で表したりすることになります。
本来の意味のfluiの反対語としてstagni「よどんでいる」があります。stagniには「〔事業, 活動などが〕沈滞している, 停滞している, 不活発である」という転義があって、この語義で使われた例の方が本来の語義よりもずっと多く見られます。
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